ノートルダム大聖堂復興に一歩

■着工850周年プロジェクト

 ノートルダム大聖堂は2013年に着工850周年を迎え、そのプロジェクトの一環として北塔と南塔の鐘の鋳造やノートルダム大聖堂前の広場の整備、屋内照明の改修などが行われた。

 鐘の鋳造は大聖堂の18世紀末の鐘を再現するもので、マンシュ県のコルニーユ・アヴァール鋳造所とオランダのロイヤル・アイスバウツ鋳造所で9基の鐘(銅・錫製で重さ6トン)が鋳造された。その費用の200万ユーロは全額寄付金で賄われ、鐘は2013年3月23日に披露された。

▶︎大規模火災の発生

 2019年4月15日の夕方に大規模火災が発生し、屋根の尖塔が崩落した。フランスのメディアでは、現地で実施されていた改修工事による火災の可能性があると報じられている。寺院に保管されていた文化財・美術品の一部は、消防士により運び出されるなどして焼失を免れたと発表された。巨大なパイプオルガンも無事であった。

▶︎建物全体

 木組み構造の身廊・翼廊の屋根部分はほぼ全焼し、尖塔が崩壊した(修復作業中だった尖塔が焼けて崩落し、木材で骨格が作られていた屋根の3分の2が焼失した)。屋根に用いられていた鉛は火災により溶融した。一方、石組みのヴォールトは一部が崩落し、元の形を保った部分は材木の落下を食い止めた。溶融した鉛を含む燃焼物が身廊内に落下したが、身廊内への延焼は食い止められた。

 13世紀のバラ窓は3つとも生き残った。2つの塔と正面部は損壊を免れた。

▶︎収蔵品

イエス・キリストが処刑される際に身に付けていたと伝えられている聖遺物「いばらの冠」。上空から被害状況を確認するドローン

 大聖堂は建物だけでなく、寺院内部にも価値があるものが多数存在していたため、火災発生後の15日夜(CEST)に救急隊員や教会関係者などはバケツリレー方式(英語版)によってなるべく多くの文化財を救出するために活動した。火災発生後には、複数の文化財を安全な場所に保管していることをパリ市長のイダルゴが明らかにした。

 大聖堂の司祭であるパトリック・ショーベは、出火時に聖堂内にあった聖遺物「いばらの冠」と「聖ルイのチュニック」(死後に聖人となった(列聖)13世紀の国王であるルイ9世が身に付けていたチュニック)は消防士によって搬出され、被害を免れたことを認めた。

 2019年4月19日、フランス文化省の担当者は消防当局の安全確認後、聖堂内に残っていたすべての絵画を、修復と聖堂再建までの保管を目的としてルーブル美術館に運び入れた。

▶︎改修工事の内容

 当時、大聖堂では改修工事が行われており、工事が原因で出火した可能性があると報道された。大聖堂は老朽化が進んで壁に亀裂が入るなどしており、2018年にフランスのカトリック教会が改修工事のために寄付を募った。2019年4月11日には尖塔にある彫像16体がクレーンで下ろされており、彫像の修復作業中に尖塔の改修工事を行う予定だった

▶︎再建の進捗状況

 ノートルダム大聖堂は回復には程遠い状態にある。延焼により溶けだした鉛で汚染された大聖堂はいまだ整備の途上にあり、重量を分散させるための「巨大な補強梁」の設置作業が行われている。これにともなって、19世紀の窓ガラスが取り除かれ、近隣住人が避難した。屋根に開いた3つの大穴の修復に際する最大の問題は、大聖堂に吹きこみ建物の構造を脅やかす「風」だと大聖堂側は説明する。ロボットの助けを借りながら、瓦礫除去をする労働者の上に落下物や雨が落ちるのを防ぐため、プラスチック製の巨大な保護装置が設置された。瓦礫の除去が完了すると、尖塔の周囲を囲む250トンの足場の除去が始まる。そして修復は発火箇所へと至る。その期間はおよそ4か月かかると見られている。

▶︎パリのノートルダム大聖堂の火事から1年

 パリのノートルダム大聖堂の火事が起こったのは、4月15日ー16日、1年が過ぎた。鉛問題、放火疑惑問題など、数々の問題が襲っていることは、半年経ったときに報告した。

 4月10日には、復活祭のお祝いがノートルダム大聖堂で行われた。新型コロナウイルスのせいで、数人の参加のみの厳かな式となった。それでも、昨年のクリスマスのお祝いはノートルダムでは何もできず、シャトレのSaint Eustache教会で行われたのだから、少し嬉しかった。復興は少しずつ進んでいるのだ(今はコロナのせいで止まっているけれど)。

下のビデオはその日の様子。アベ・マリアの独唱に、たった一つのバイオリンの演奏・・・シンプルな儀式がかえって美しさを際立たせていたと思う(3分35秒)