多文化共生の哲学

■「多文化共生の哲学ー国際的、国内的展望の中で考える」

▶︎「哲学」を手がかりに、新しい社会状況によるコミュニケーションの変化について考える。

山脇 直司氏(哲学博士、星槎大学学長、東京大学名誉教授)

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 背景はこれバーチャル背景でございまして、現在は自宅におります。神奈川県立図書館にはですねいろいろご縁がありまして、蔵書のですね、実態をどのようなってるとこ。特に哲学思想関係ですね、どうなっているかなどのお手伝いをしております。

 で今日は第3回目「多文化共生の時代の哲学」ということで、パワポを使いましてですね、ゆっくり現在どうなっているかどういう課題があるかというのを国際的な展望と、そして国内的な展望を特に神奈川県立図書館主催でありますので、神奈川県の実態に即しながら、お話したいと思っております。

 質問はですね、先ほど山下さんがおっしゃったようにできるだけチャットで、特に休憩時間を利用して書き込んでいただく。というのが一番効率的ですけれども、どうしてもですねちゃんに今書くのが難しいといった方は、乳糖を外して、最後の質疑応答時間でご質問いただければ、時間の許す範囲でお答えしたいと思います。それでは早速ですが、画面共有させていただきます。

 はい。画面映ってますでしょうか?はい。今日は多文化共生の哲学、国際的国内的展望の中で考えるという形でお話したいと思っております。既に今お手元にレジメじゃなくてパワポですか、パワポがもう配布されていると思いますけれども、一応そちらに書き込むという形でもしダウンロードされてる方はですね、書き込むという形でもういいですし、まだなおプリントアウトしていない方は私の画面を見ながら、それでいろいろメモを取って最後に質問をするという形が一番望ましいんではないかと思います。

 前、今回のテーマの意図って言いますか、私の場合、専門と言ったら、本当は広い意味の哲学ですけども、特に社会ですが公共哲学というものを今までの大学では担当してまいりました。公共哲学といえば皆さんマイケル・サンデルさんで思い出すかもしれませんけども、私自身の定義は良き公正な社会を追求しながら、今まさに現場で起こっている公共的な諸問題を、市民、特に当事者意識を持った市民やパブリックですね、そういった方々と共にいろいろ考えていく実践哲学というふうに私自身は定義しております。

 今日はですね、コロナ禍以前から理想とされながらも揺らいでいる多文化共生の問題というものを、歴史的展望の中で皆さんとともに考えていきたいと思っております。んで、大きく三つにいいわかれます。三つの段落といいますか。各章にわかれます。第1章は国際的展望と現実、これは人権宣言の発達と多文化主義の現在と、いうような内容でお話したいと思います。

 そして後半、第2章は国内の展望と現実日本における多文化共生の理想と現実ということを、特に神奈川県の実態に即してお話したいと思います。そして3番目は、これは将来のあるべき姿ということで、文化の多様性と基本的人権の両立と、というものをどういうふうに哲学的に考えていったらいいか、ここにオリジナリティがありますね。単なる社会学ではなくて、哲学する「考える」というようなこと、それを私独自の観点から申し上げたいと思います。それで第1章に入りますと、皆さんご存知のごとく人権宣言というのは、どのように発展してきたかというのは高校の教科書でもあるいは大学の一般教養でも大を学ぶ。

 もう既に学んでいらっしゃると思いますけれども、普通は1215年のイギリスのマグナカルタこれが最初ではないかとよく言われています封建貴族が主体でした。それに対して、アメリカのバージニア州権利章典1776年とある意味でそれをパクッたと言われます。フランスの人および市民の権利宣言、1789年ラファイエットですね、

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 2期目は人権の宣誓を信じるか、さらに神を信じるか聞かれて、イエスと答えて、彼らを支持したんで、それで人権のためにオリンピック・プロジェクトのバッチをつけて、2人の表彰台への抗議行動の支持を表明したんですが、そのためにノーマンはオーストラリアに帰って、当時白豪主義がとられていました。

 今だからこそオーストラリアは多文化主義をとってますけれども、当時は白豪主義でしたそれで非常にバッシングにあうわけですね。それで抜群の好成績を出したにもかかわらず、非常に大きなスキャンダルですね。1972年のミュンヘンオリンピックが意図的に選出されなかったということですね。もう記録からいったらもう圧倒的に今は代表になってもいいんですけれども、それが露骨だ。差別によって、表彰されなかった。一番前の選手ですね。

 後日ありまして、黒人のお2人はですね、非常にもうサクセスストーリーとして表彰されている銅像はあるんですが、アメリカの中には立ってますけども、ノーマンは負の生活ですね。アルコール漬けになっちゃって、それで2000年代になくなると、そのときにこの2人の黒人がノーマン選手のお葬儀に出たというようなことがよくYouTubeを引くと出てきますので、関心のある方はどうぞご覧ください。そういった中ですね。今日のメインである多文化主義というのがですね、どうやって出てきたかということをちょっとご説明したいと思います。公民権運動の結果1964年にコミューンは制定されました。アメリカはその投資家のケネディがなくなってジョンソンでしたけれども、それが制定されて、人種差別は法律で禁止された。けれども、先ほど申し上げたように、キング牧師は貧困層出身の白人男性によって暗殺されてしまった。メキシコ五輪では、さっきのような出来事ありました。ちなみに当時のオリンピックの会長のボランテージ、非常に評判が悪いようなんですけども、彼はこのお二人からメダルを取り上げております。はい。そうした一連の経緯からですね、異なる人種間の共生が、法の整備だけでは実現せず、現実の貧富の格差や、その社会構造の中で生きる人間の心の問題だということが認識され、それが制定され多文化主義はそうした広義のレイシズムですね。

 先ほどもそれに対抗するために、異なる文化を持つ集団同士が、その独自性を認めつつ対応の文化で、扱われるべきだという理念として生まれたわけです。この場合の異なる文化という場合は、アメリカの場合、大抵英語ですけれども、生活様式とかそういったものを含みますし、言語と価値観と生活様式、それに肌の色を含めるかどうか微妙ですけれどもいずれにしろ、そうした多文化主義がですね、主にアメリカよりもアメリカの場合は普遍主義が主流でしたけれども、特にカナダやオーストラリアなどでも国税として認められた。

 オーストラリアは、非常に今でこそ多文化主義でしたけれども、当時はそういったご白豪主義が強くて、今でも残ってますけども、あと先住民ですねアボリジニ、そういった人たちの権利、そういったものを主張された。カナダはケベックがフランス語ですよね。その他これから説明しますけども、先住民というものも言うと、そういった人たちもそれぞれの文化の様式を認めながら、協働するという考えですね。はい。同化主義ではないですね。同化主義はフランスですけども、一国の文化、密集的な強い文化があって、全てそれに合わせるというのが同化主義的な普遍主義です。それに対して他昔は、それぞれの文化のあり方を相互に承認しながら、基本的権利も認めるというようなところです。二つで日本に多文化共生として定着するのは、2000年半ばです。少なくとも表面上、その言葉が

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 大きな影響を与えているのが、与えたのが黒でピストンするんですね。日本では60年代後半に構造式・構造人類学の提唱者で、それまでの実存主義に対抗する一つの潮流の中の1人として位置づけられていましたね。クロード・レヴィ=ストロースがおりますけれども、だから非常に日本びいきですねちょっと引き継ぎんじゃないかというくらい日本びいきで、特に出雲文化に対してすごい関心を抱いた。

クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908年 – 2009年)は、フランスの社会人類学者、民族学者。ベルギーのブリュッセルで生まれ、フランスのパリで育った。コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座を1984年まで担当し、アメリカ先住民の神話研究を中心に研究を行った。専門分野である人類学、神話学における評価もさることながら、一般的な意味における構造主義の祖とされ、彼の影響を受けた人類学以外の一連の研究者たち、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、ルイ・アルチュセールらとともに、1960年代から1980年代にかけて、現代思想としての構造主義を担った中心人物のひとり。

 そういった親日家ですけれども、彼がユネスコ憲章の採択の60周年の記念式典で、97歳という高齢にもかかわらず、車椅子に座ったまま25分間の講演を行って、大きな感銘を与えたと。

 そこで彼が述べた最後のメッセージは、「西欧の人文主義の大きな誤りは、世界に存在する文化の多様性を無視して自らを特権化した点にある」ということ。そして、世界文化の多様性と生物の多様性は同じではないけれども、有機的に結ばれていて双方を保護して大切にしていかなければならないということでね、一番大切なのは、政府の多様性と同時に文化の多様性を尊重し、その中に生きる人々に尊敬の念を抱くことなどを、パリで本部がある裕福でそうなったと。ちなみにユネスコっていうのは最初、非常に哲学者の大集団でした。サルトルであるとか、マルセルであるとか、そういった人たちがいろいろ議論していた場所なんですね。それがいつの間にか非常に政治色を見るようなところになっています。

 私が関与したときは、2000年代ですけども、もういよいよもう哲学というものヨーロッパ中心主義から解放して、民主主義、いいというものをどう調和させるといいなそういった理念でいろんな国が参加して行われていたんですね。そういった中で、レヴィ=ストロースの講演もあったということで、彼は単にですね。未来への展望を書く悲観的な文化相対主義者ではなくて、何らかの希望をメッセージも発したい。

 で、あと日以降の螺旋状的な展開しかですね。ですから文化というものをシタテックじゃなくてダイナミックにも捉えるというような観点で、そういった見方が必要だというようなことを置いてきたわけです。あと今日は哲学的な見解をですね。どうしても示していかなきゃならないということで、2人ばかりに関しては有名な哲学者の考え方をここで紹介しています。

 面白いことに2人とも必ず人ですね、やっぱり同じ北米でもカナダとアメリカは相当違いますね。言ってみればすぐわかるんですけど、そのチャールズ・テイラーという1931年です。

 生まれて私は2回ばかし会ってます。1回はハーバードで3人たちと議論した。2000年と、それから東大の駒場キャンパスに客員教授として、そうですね3ヶ月ぐらいいたんですかね。その時話したことを覚えてます。非常に温厚な感じの方で身長が2m近くあるんでちょっと発表される雰囲気ですけども、語り口は非常にソフトです。

 彼はご両親のうちどちらかは英国人でどちらかはそれはそうですね。はい。ですからバイリンガルの家庭で育ったということで、彼は彼の哲学は人間の保護や宗教の多様性を重視するという、そういう立場です。

 ですからある意味で近代啓蒙主義的な思想を批判しつつも、別な近代的なウォルターネイティブの道を示していると、そういうふうなスタンスだと思いますけれども、重要なやっぱり多様性ということですねと人間の防護や宗教の多様性、同じヨーロッパで支配的な英語とフランス語でもですね、ニュアンスが違うんだと、翻訳不可能な言葉っていうのがあるわけですね。ですからあと気質も変わってきてるということですね。そういった非常にこれはデリケートですね。それを特にグローバルなレベルにまで展開しようとするわけで、そのために風間がこの影響を受けて解釈すべき対話というものが中心ということです彼はリベラリズム。

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リベラルということに固執します。それは文化的存在たる個人の自立性という観点から、マイノリティが尊重されるような政治的主張が構想されなきゃならないという点は確かですけれども、この最後から2行目、その中で生きる個人の権利、これも尊重しなきゃならない。ですがその文化の中で、個人が抑圧されるようなことがあってはならないとある意味で大きな条件をつけるわけです。

 自由と権利、それをもしですね、ある集団は個人の権利を抑圧するようなことがあったら、その人はその集団から離脱する権利を有すると。いうような立場です。確かです。ですから22つの要求をしているわけですね。その文化的な権利、集団的な権利を認めると同時に、そこで生きる全ての個人の権利も有すると。あるいは尊重するとここが大きなポイントです。

この2段構え、これをちょっとポイントとして押さえてください。その後いろんな本出てます。出てますんで、今日取り上げたいのは、2007年の著作です。1995年のはですね。どこまでも国民国家の中の多文化主義。マルチカーシェアをスティーブの神父でしたけれども、今度はそれを国際的な視野に向けたこの本です。多文化主義の行方というものが出て、2018年かそこら辺に訳されております。詳しくは参考文献をかなり今厚くて読むのに大変なんですけど、リベラルな多文化主義の国際的な展望が、この本の中で調べています。

先ほど述べたように1948年に発布された世界人権宣言を意志の人権革命と彼は見做すんですね、その延長上に多文化主義を捉えるというような思想です。先ほど述べたようにフランス革命以降の国民国家がほぼジニアスな国民部文化の創出を理想とすることによって、国内のマイノリティをマジョリティー文化に同化させたり、北米諸国やオーストラリアなどが原住民の文化を抑圧してきた近代国民国家の歴史を批判しながら、国内の原住民や文化的マイノリティの集団的権利と、それに属する個人の権利を共に重視する政策によって、文化の多様性と文化横断的価値の人権の両立を目指す。これは変わってませんね先ほど見た。

その国際的なまめに向けていて現象がどうなっているかということをですね、非常に細かく実証的に分析します。いわゆる国際機関とかNGOとか、あるいはその国内の政策だとか、それをいろいろな形で分析していってですね、彼自身はリベラルの多文化主義というのは不自然なことではないんだということを述べてはいますけれども、なかなかそうはですね、いかないのは現状というのは次のポイントにあります。

ウィル・キムリッカは、カナダの政治学者である。カナダ・クイーンズ大学哲学部教授で、政治哲学を専門とする。民主主義や多様性の問題に関心を寄せ、多文化社会におけるマイノリティの権利といったシティズンシップの問題を考察している。 ウィキペディア

ですからもう1回キムリッカの展望ですけども、キムリッカの診断によれば、そうしたリベラルな文化主義は、実際にカナダやオーストラリアのみならず、あとニュージーランドも変えていいかなと思いますけど。それカナダ・オーストラリアのみならず、EU加盟国の多くで、引用されている公共政策であって、フランスだけが唯一の例外にすぎない。ですがフランスは人権宣言あって、先進国からいきなり後進国になったと皮肉的な見方してますけど、というのは、これも伊達先生と海田先生が岩波から出してるからお読みください。極端な政策原理主義ですよね。

スカラー、いわゆる学校公立学校の中に、そういった宗教的な新聞を持ち込まない、それどころか公共空間全般で、そういった服装とか、うんが制限されるし、公立の医院でもですね、いわゆる宗教的な、明日、別れの儀式を原則として禁止という極端ですよね。ですから非常に彼は批判してます。あとチャールズテイラーもそういった同じフランス語をテイラーはフランス語で金ぴか英語ですけども、批判しているわけなんですね。西洋以外の国々では国連などの地方国家組織が西、PCやTVをとって、前向きな方向に進みつつあるんですけれども。世界中もそうなんですけどイスラム諸国は認めてないんですね。

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国が多いといってもあんまりよくわかんないから。ですから国連でLGBTの権利が上がることは今のところないです。ないと思ってます。ですから、さっき述べたオランダの首相ゲイだったんですね。同性愛者ですね。なのにそれを認めない国なのにそういった認めない人たちがいっぱい来て、暴力を起こしてけしからんということでですね、ですから、この最後をですね。同じが敬愛してやまないリベラリズムへの大挑戦だというふうな感じで、ですから、非常にリベラリズムが進歩的な方向じゃなくて、多文化主義と決めるから述べたような、リベラリズムと多文化主義が結びつくんじゃなくて逆にリベラリズムがそういった非寛容には、非寛容でという形で、さらに右派的な運動に行ってしまっている。右派という言葉が適切かどうかわからないけれども、そういった多文化主義反対運動に結びついているというような状況です。

ですから、ここに今、遠藤先生が書いてるように、新興国はイスラム系移民という改定日から国民の仕事や安全福祉を守らなければならないとアピールし、あたかも自由主義の守護神であるかのようにふるまい、移民という共通の仮想敵を作り、一昔前は左派の専売特許だった経済問題を拝借し、社会的弱者の代弁を者を装う巧妙な手口を取ってですね、ですからユダヤ人ゲイ、労働者の一部を引き付け、そしてリベラル人権を脅かしているという、このねじれをちょっとどう捉えるか。大きな課題だと思うんですね。

アメリカとか英国とかフランスとかドイツ・イタリアでもそういった戦略をとっていると。そういう人たちが、割と褒めるのは日本です。日本は移民国だけれども、そういった暴動を起こしてない強い政策をとっていると。用心するとどう受け止めるか、これは後半の2の部分のテーマでもありますけれども、最近でもフランスの今大統領選で、そういった移民排斥運動しアルペン氏ともう1人男性が立ってますけども、その男性のインタビューでも、日本のことは褒めてるんですよね。日本の今の政策うん。こういった現状捉えるかという理想と現実ですね。これは変わりない。

 しかしながら、他方ですねアメリカの場合、アメリカ多文化主義とは言えませんけども、非常にスペイン語は、教えて必修として知ってる方もいないですから、少ないですから。英語が多いです。オーストラリアも英語ですけど、アーム氏とかの例を除いてですね。

多文化主義と言えないと思うんだけれども、少なくとも黒人、ブラックアフリカ、再生を強調するアフリカ、あり向け、アメリカ人もいますけれども、その問題また、アービングが読者も多いんですけど、けどこれはもうアメリカ、もう黒人を差別したというようないわゆる白人の警官は、アフリカでアメリカ資本としまったときに過剰に言いですね。取締ってそういうところ暴力を振るってなくしてしまった。という例があって、それでもまたお世話になって、ブラックマターということが起こった。

テニス選手の大坂選手もですね、そういうバッチをつけて競技に臨んだし、東京オリンピックでも今年選ばれましたけども、この反差別のをパフォーマンス。サッカーですけども、イギリス、日本旅行は、声のなパフォーマンスをしたというようなことですからオリンピック憲章は人権というのはいっぱい書かれてます。はい。

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 障害者の碍というのはどうかっていう問題で、私は石辺を当ててますけれども「うかんむり」でもいいという人もいますし、あるいはひらがなを当てる人もいますけれども、私はちょっと挙げさせていただきましたけれども、共生社会という概念は外国人との共生それから障害者との共生、障害者の権利条約が同じ国連で2008年に可決されて、日本も2013年にして、現在では、合理的配慮、リーダーまでしっかりリバーサルデザインとか、それが学校の先生だったら当然覚えておかなきゃならない言葉としていろいろ調べ始めてますけれども、いずれにしろ共生社会という場合、今日障害のある方々とも共生・対等な関係そして外国人との共生というふうに意味で理解されることが多いですね。

 先ほど述べたように地方の公共団体における多文化共生の推進に関わる指針を策定に知るために、地域における多文化共生推進プランの推進しようとしているのことですね。

 具体的に言いますと、今日は神奈川県ですから、この県はあちこちで共生の実験が行われています。これは横浜市の神奈川区ですね。神奈川県としても横浜市が中心になってくると思います。横浜市ってのはすごく区が多いですね。私の方をですね全部カバーできないんですけども北は川崎寄りから南は藤沢よりまでそしてあるいは大和市まですね、非常に多く来るの数が多いんですけれども、全国1位の自治体ですね。

 ではそこでですねかな横浜市のこれは神奈川区ですね、土地は東の方ですけども、そこで多文化共生のは、というものがあって、国籍がペルーの方、あるいはソロモンの方それから中国の方、フィリピンの方、そういった方々ですね、あとアメリカの方が、こういうふうな場を作っていくというようなそういった運動が終わっています。

 今日特にいろんな例がありますけれども、ちょっとやっぱり私が今日皆様に紹介したいかというよりはですね。もう既にこの一応団地のことは詳しいし、場合によったらそちらにお住まいの不安はこの視聴者の中にいらっしゃるんじゃないかと思ってちょっとドキドキしながら紹介にさせていただくと横浜市の泉区ですね。これは西の方にありますね。そこの銀杏台団地っていうのはマンモス団地の住民の3割が外国人ですね。注意書きには六カ国語で、注意書きが記されているわけです。バイク進入禁止用語ですね。次はカンボジアをベトナムを中国を次は、これはフランスを出したらおかしいね。

 このフィリピン語でしょうね。ずっと中国があるんですけどもこういうふうに、インターネットですね、今読み上げるのは市によってクリアジャポンの字が非常に良いの点ですね。無断転載は絶対いいしちゃいけないので、ここからの転載であると。こういうようなことをこれインターネットにありますので、しかもこういうふうに引用先をはっきりさせた場合は転載。これは要綱にありますのでこういうふうにそのままちょっと転載させていただきます。

 インドネシアの難民というのは当時ベトナムからの難民ですね。それは別途南ベトナムが北ベトナムよって、陥落したと捉えるか、解放されたとされるか人によって意見が違うと思いますけども、そういう出来事があってですね、それにボートピープルというのはいっぱい出てですね。国内からあと日本にもおられたと。いうことで、ですがベトナム人はかなり多いですけどそれ以外にも、しかしカンボジアはもっ悲惨ですね。キリンフィールドなって、政権に多く殺されたと大変な出来事があった。そういったカンボジアから来られた方ですね。そういった方々が移り住んでいて、もちろんフィリピン人の方は多いですよね。中国人の方が多いですね。現在住民の4分の1を外国人が占め様々な問題席を置かれながら

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 それからまさに社会学的なアプローチを重ねながら、非常に興味深いおかいてますからですね。事例で研究として、ぜひですね、ご覧いただければと思います。

 しかし、成功例だけではなくて、もっと恥ずかしいようなことが起こっていますね。これ皆さんはご存知の通りですね。スリランカ人が入管で死亡したという事件ですね、悲惨な出来事があると。裁判今こそとしてますね。

 この事件の概要というのは、NHKのWeb、特集から取ったわけですけども、留学生として来人した三島さんが、次第に前を追う学校欠席して除籍処分になって、同居する時なん人かの男性から暴力を振るわれたと。8月に交番に出向いて、在留資格を失っていたために、名古屋市の出入国罪に管理局に行ったと。さらに新型コロナウイルスの影響で据え置きの定期便が難航してない。

 帰国させたいと工面をしたけど所持金が乏しく、飛行機代を工面できないと。何とか支援団体がそこでですね、何か工面してあげればよかったような気もしないでもないんですけども、いずれにしても重要なのは今年に入って深刻な体調不良を本人から知り、本人のみならず支援団体から訴えていないにもかかわらず、適切な医療を受けさせなかった。これはですね、社会権というのは人権の中にあるわけですね。自由権と社会権のうち、特に社会権というのは、外国人にも私は適用されなきゃならないと思います。「健康で文化的な最低限のいわゆる生存権」ですよね。ですから病気になったら無償でもですね、これはその日からの健康回復にお金を出して政府が補償すべきだと私は思ってますけれども、いずれにしろこういった痛ましい結果が生まれたと。

 この背景にあるのはやっぱり、外国人に対する人権意識が乏しいんじゃないかと。残念ながら、しかしながら先ほどのですね、横浜市の学校とか団地の方々もそういう必要ないんだけどね、一旦入管いわゆる日本在留管理局に一つに他に閉じ込められた方々に対する人権、これも当然あるべきなんです。

 それでも社会権ですよ。うんですからそういった人権意識が非常に乏しいと。逆にお役人に乏しいと。研修は何やってんだっていう気がしますね入管の職員の研修の内容を知りたいんですけど、どれだけ人権教育やってんのかどうか。はい。ちなみに日本でも、牢獄に入った方々の社会権は保障されるはずですね。市民の権利の一部が剥奪されても人の権利が残る市民の権利と言えますし、あと日本的に言えば社会権。ですね。その二つが保証したんだけど、自由権とか参政権に関しては徐々に与えるべきだと思っておりますけれども、この場所には社会権に関しては、これ権利があってしかるべきですね。

 3番目、いよいよ私の考えに入ったというますけども、はっきり言って「文化の多様性と基本的人権の両立」というのはこれユネスコのプログラムでもあるし、キムリッカさんもちろ世論を取ってる、私もこれといたします。先ほどですね、もう世界人権宣言と日本憲法ができたのは同じ時期だということで、そこで97条に、こういうことが書かれてます。最高法規として、この憲法は日本国民に保障する基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に耐え、現在および将来の国民に対し犯すことのない権利として信託されたので、やっぱ、なんでこれが97条にあるのかね、お電話ちょっと審査はダーンとですね、少なく前文には書いてますけれども、少なくても97条とかあるいは10条に、あるかないかで

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意味でしょう。そういう人は違うよってですね、日本人でもある。でもしかし意識のレベルでは地球市民でもある。多分意識のレベルを強調します。制度論的に言うとこれは難しいです。例えば多国籍化のパスポート持ってる人は少ないです。パスポートはオプションは日本の国籍のパスポートして持ってないので、制度的なレベルじゃなくて、意識的なレベルですね。はい。意識的なレベルで、これは両立可能であると。あと国内に関しては一定のセキュリティの方になりますので、これはまた大きな問題、外国人の永住権を持っている方が人権だとか、そういう問題は立ち入りません。

はい。もう一つ、対話による場合は、自分というのをスタティックに考えじゃなくて、成長していく、新たな自分になっていく。自信を持たなきゃないですね。ドイツ語で言うとベルデンでなりますけども、そういった静的な自己ですね。コミュニケーションによって、自分の自分に対する理解から自分は世界の中の日本人だなあという意識からアジアの中の日本人という意識。そして相手のことを、理解を深めるという意味で、進化してから、その時特に他者に自己感情移入して、共感理解のエンパシーの能力というのはすごく重要になってきますし、他者とは違うイメージの関係には公共的な想像力も必要である。もちろんこうした教育者には非言語的なコミュニケーションも含まれますね。現実、作品。いうようなですね、表現ですね。

最後にもう時間ないので私がユネスコの述べているWの哲学と、多分の哲学WAのですがこれは本は既に人とね、これは棒と対比された平和というイメージを非漢字圏の人々に管理し、するために非常に便利に覚えてもらえた美貌との対比ね。相手これが割とコンサバティブな思想を持ち出そう。持ち出したいと思いますね。和というと非常にコンサバティブな文化的不信者の専売特許じゃないんだということを言いたいんですね。なんで中国に詳しい方も今日参加されてるようですから、皆さん知ってるご存知「和して同ぜず」という孔子の言葉ですね。これはまさに意見が付される場合も、仲たがいしないという意味での人と人の共生です。論語では、ジェントルマンだというようにジェンダーバイアスがかかったような言葉にも取られますけど、ジェンダーフリーというふうに取れますんですね。

まさにいい意見を求める場合でも同せずに、いろいろ共済の内を探ると、いう意味ですね。あと知られてないんですけど春秋尺伝という古典では、これです。岩波文庫から出てます。和とはいろんな食材をうまく調和させてスープを作るように、異なるものを交えて処方することを維持すると。美味しいもつ、さらにこの国を追うという古典ですね。これでは、我が物を生じ繋ぐ性質案に対し、島にはそのような発展性がないというわけですね。だから日本語では和と動が一緒になりがちですね。みんな仲良くしなさいとかですね、いっぱいみんな違いを認めてみんな違ってみんないいという考えを取りながらそういう仲良くしなさいと言うべきなんですけれども。この問題の古典としてということで、さらにしかしながら、ここで日本語の訓読みというのは素晴らしいですね。和らぐとか和むとか、和やかですね。

非常にソフトのイメージですね。ですから公共的な災禍に苦しんでいる人たちには、この中で苦しんでる人たちへのメッセージ、あるいはギスギスした人間関係を改善するようなメッセージも許して、ですから従って対義語としての和は和らぎ和らぐや和やかな音を感知し、連帯の輪を指しているので、W平和の哲学は、平和実現のための庭で確固たる連帯と共生の場の哲学と、日本初の哲学の理念、として発信していいんじゃないかという今年私が実際に優しく会議では発信してきております。はい。こういう形で長く平和と共生の仕方は何とかしてできないかと。いうことで理想心かもしれませんけど