原子力時代における倫理概念の再構築

■原子力時代における倫理概念の再構築

山脇直司

▶︎ドイツのメルケル倫理委貞会における包括的な倫理概念

 まず、序の冒頭で触れた2011年4月はじめにドイツのメルケル首相によって設置され、2022年までにすべての国内の原発停止を決めた「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」(以下、メルケル倫理委員会と略記)の話から始めたい。

 周知のごとく、メルケル倫理委員会17名のメンバーは、決して原子力の専門家からではなく、エネルギー問題に詳しい政治家のほかに、ドイツで影響力の大きい社会学者、経済学者、哲学者、宗教関係者、種々の研究所の代表者などから成っていた。そもそもドイツでは、2011年以来、生命科学の倫理的問題などを論議するための倫理審議会や、持続可能な成長と環境問題、社会的平等、生活の質などに関する連邦議会アンケート委員会などが設置されてきたが、今回のメルケル倫理委員会の設置理由は、2011年3月の福島第一原発事故を受けて、原子力利用の責任ある倫理的判断の理由とその結果を全体的に考察するためである。

 この場合の倫理という名称は、「社会における価値判断と価値決定」に関して用いられる包括的概念を指すが、こうした概念規定は、国策の行方に大きな影響を与える意味での「倫理」という発想が乏しい日本とはまことに対照的な姿だと言えよう。

 実際に日本語の辞書には、「倫理委員会」が「医療機関や企業などが自らの活動の倫理面での向上のために設置する委員会」(『広辞苑』第六版)と狭く実用的な意味で定義されているように、社会的文脈で倫理という概念が使われる場合の両国の落差は非常に大きい。

 とはいえ、同じ日本語辞書で「倫理学」を引くと、「社会的存在としての人間の間での共存の規範・原理を考究する学問」と定義されている。もしこのように、倫理がそもそも社会的存在としての人間の共存にかかわる規範や原理を意味するのだとしたら、それは企業や機関を超えた大きな社会的射程を持つと考えられなければならないはずであろう。

 実際に本書第1部での池内了の「原発の反倫理性」という明快な発言も、そのような倫理観に立脚している。それにもかかわらず、「それは倫理の問題ではなく、社会システムの問題だ」という類の発言が日本で多く見られるのは、今道友信が指摘するような日本の高等教育機関における「倫理学教育」の欠如ないし貧困と相まって、倫理と社会システムを切断して捉える矮小な倫理観がはびこっているからであろう。しかし今や、そうした燻小な倫理観は、公共哲学と統合学的観点から、より包括的な倫理観に取って代わられなければならない時期が来たように思われる。

 そもそも、学問史を振り返るならば、社会諸科学(政治学、経済学、社会学など)はモラル・フィロソフイ(道徳哲学)と呼ばれる学問に出自を持つ。然るに現代の社会科学は、倫理やモラルの次元に関する考察を著しく希薄にして営まれていることは否定できない。

 たとえば、東京大学本郷キャンパスでは、倫理学や哲学が文学部の一学科として学説史を中心に研究されているのに対し、法学部の政治学関連科目や経済学部では倫理というテーマが研究されることはである。しかし、経済学や公共政策にとって極めて重要な「効率」ですら、倫理的観点から見れば、他の諸価値(人権、公正、福祉、安全など)と並ぶ一つの価値にすぎない。メルケル倫理委貞会は、まさにそういう忘れられた次元を喚起させる重要な意味を持つと言える。

 では、メルケル倫理委員会は一体どのような議論を展開し、どのような政策提言に至ったかを、報告書の「倫理的立場」と題した第四章を中心に見てみよう。そこではまず、未来のエネルギー供給と原子力エネルギーに関する倫理的価値判断のキー概念として「持続可能性と責任」が強調され、未来を見据えた社会を共同でつくりあげるために、社会的均衡と経済的効率だけではなく、「自然に関するエコロジカルな責任」が提起される。その際に決定的に重視されるのは、「リスク認知とリスクの統合的判断」である。その際のリスク概念は、文化的、社会的、心理的な結果を含んだ幅広い領域に及び、エネルギーの安定供給や経済的安定性、気候保護から、ぎすぎすした社会的雰囲気の悪化が引き起こす諸結果まで考察の対象とみなされる。その上で、民主主義的な公共の場における倫理的議論の前提として「複数の選択肢の存在」が強調されつつも、当該倫理委員会では、原発リスクの計り知れない大きさから原発絶対拒否の立場と、原発リスクと石炭、バイオマス、水力、風力、太陽光・熱など他のエネルギーとのリスクを比較衡量した上で結論を出すという立場見解が二分されたことが示される。そして、前者はもとより、後者の比較衡量の立場も原発リスクの方が高いが故に他のエネルギーに変えるべき、と結論づけたのである。

 しかしこの結論づけは、倫理委員会報告のおおよそ中頃の箇所で行われていることに注意しなければならない。この結論に続く後半部は、次のような内容を展開している。「ドイツのエネルギーの未来」に関する基本方針、エネルギー大転換のための制度、エネルギー大転換への提言、その他の枠組条件、科学的知識に基づいた決定のための諸研究(再生可能エネルギーやその分散化や地方自治体の戦略など)、核拡散と放射性廃棄物の最終処分という深刻な課題、そして最後に、脱原発が高度な経済をもたらすチャンスであることなどを示すメイド・イン・ジャーマニーの国際的側面などであろう。これらの後半部分は、倫理的な価値判断・決定を下した後の公共政策的ヴィジョンを提示したものであり、第2部で筆者が述べた公共哲学の「できる」論に該当すると言ってよい。その意味で、メルケル倫理委員会報告は公共哲学的な内容に満ちている。

 ともあれ、ここで重要なのは、様々なリスクを比較衡量した上で、今後どのようなエネルギー政策を採るかを決めるのは、「社会システムにかかわる価値選択という意味での倫理」と規定されたこと、その際に、多方面における責任、ぎすぎすした社会的雰囲気の回避、代替エネルギーへの政策的見通しまでが包括的意味での倫理に含まれるとされたことである。

 このような倫理的観点から原発が論じられることが乏しかった日本でも、「人格権の重みは電力料金と比較にならない」という根拠で大飯原発再稼働差し止めを申し渡した福井地裁の最近の判決に見られるように、ようやく倫理の重みが自覚され始めた証のようにも思える。とはいえ、公共的な意味での包括的倫理について学問的に掘り下げる営みは依然として行われていないように思われる。そうした状況に鑑み、以下では倫理概念を統合的に論じてみたいが、その試みに先立って、筆者がもう一つの専門とする社会思想史的なアプローチから「原子力と倫理」というテーマに光を与えてみたいと思う。

▶︎「近代の未完の大きな物語」としての原子力

 ここで筆者は、1938年から現代に至る「近代の未完の大きな物語」としての原子力について語ってみたい。なぜなら、そのような作業は、特に「日本発の社会思想と公共哲学」が取り組むべき重要な課題への布石となると思うからである。原子力時代における倫理概念の再構築(山脇)

▶︎欧米の「ポスト・モダン/モダン」論における原子力問題の不在

 まずその前提として、1980年代以降の欧米のポスト・モダン論およびモダン(近代)論の多くが、いかに「近代の大きな産物としての原子力」を看過してきたかを指摘する作業から始めたい。というのも、この欠落は社会思想史と公共哲学にとって看過できない問題だからである。

 欧米の思想界では、1970年代後半から80年代までポスト・モダンという言葉をめぐる論争が交わされた。その先陣を切ったのは、1979年に出版されたフランスの哲学者F・リオタールの『ポスト・モダンの条件』である。カナダのケベック政府の要請で記されたこの本で、リォタールは、「大きな物語」が終焉した時代として、ポスト・モダンを定義した。彼の診断によれば、近代は、主体の解放、精神の弁証法、資本蓄積の論理、労働者の解放などの「大きな物語」が支配した時代であり、近代の代表的な社会思想は、その大きな物語を正当化する企てであったと理解される。しかし現代は、そのような大きな物語に対する不信感がみなぎつている時代であり、それがポスト・モダンの時代だと彼は述べた。

 しかしそこには、原爆製造から核兵器競争、そして原発へと至る「原子力という大きな物語」に対する関心が全く欠如している。このよぅな見方は、今日の原発大国フランスが隣国ドイツと全く対照的にいまだに原発推進国であり、脱原発を語る知識人が非常に少ないこととも相通じているように思われてならない。

 他方、1980年代初めには、こうしたリオタールのポスト・モダン論と対極を成すヴィジョンも、(旧西)ドイツのユルゲン・ハーバーマスによって打ち出された。戦後西ドイツを代表する社会哲学者であるハーバーマスは、大著『コミュニケーション的行為の理論』(1981年)の刊行に先立って、「近代、未完のプロジェクト」と題する講演を行い、近代啓蒙思想の正の遺産を軌道修正しっつ引き継ぐことこそ、現代の袋小路から脱出する道だと主張したのである。

 彼は、行政システムや貨幣経済システムによって人々の生活世界が侵食されている現状を、「システムによる生活世界の植民地化」と呼んで批判し、そうした現状を、一般市民の「コミュニケーション的行為」に基づく合意形成によって打破するという社会理論を提示した。

 道具的理性と討議的理性を明確に区別しっつ遂行されるこの試みは、公共圏での討議倫理が民主主義国で果たす役割の重要性を喚起した点で、一定の評価に値する。しかし、フランクフルト学派の批判理論が出自のハーバーマスは、原子力、核技術、自然環境というテーマへの突っ込んだ考察を避けているほか、同じくH・ヨナスR・シュペーマンらのエコロジカルな倫理学者を、老年保守派ないしネオ・アリストテリズムと一方的に裁断している。これではあまりにも、図式的な近代擁護論者と言わざるをえないだろう。

 他方、イスラエルの比較文明学者S・N・アイゼンシュタツトカナダの哲学者チャールズ・テイラーは、「多次元的近代(multiple-modernities)」という概念で、一元的な欧米中心的な近代論に対して、それぞれ多様な近代ないし近代化の在り方を研究することを提唱している。しかし、いずれもその際に念頭に置かれているのは、主に「文化や宗教の複数性」という観点から捉えた近代論である。したがってそこには、科学技術の進歩と原子力という近代社会の重要な側面への考察は見られず、その点に物足りなさを感じるのは筆者だけではないだろう。

 さらに、近代論を虚構とみなすフランスの科学哲学者B・ラトウールの場合、社会や自然という概念を否定し、アクター・ネットワーク論を提唱したものの、彼のおひざ元フランスでの原発問題に対する切実な関心や考察は見られない。また、チェルノブイリの惨状を冷徹に分析し、最近では日本の東日本大震災にも言及している科学哲学者J=P・デュビュイは、破局の恐ろしさを詩的に書き、科学技術官僚への個人的な怒りを示し、覚醒せる破局論ないし賢明な破局論を説いているものの、核廃棄物処分場問題を含めた今後の原発をめぐる公共政策については明確なヴィジョンを示しておらず、隔靴掻痒(かっか-そうよう・痒かゆいところに手が届かないように、はがゆくもどかしいこと)の感を禁じ得ない。彼への筆者の不満は、彼が長らく教えたエコール・ポリテクニック(エコール・ポリテクニークまたは理工科学校は、フランス共和国のパリ市近郊パレゾーに位置する公立高等教育研究機関である)フランスの原子力村の拠点であることを思えば、強まるばかりである。いずれにせよ、核所有国・原発大国フランスの思想家や哲学者が原爆・原発問題に対していささか及び腰なのは残念である。

 これに対して、ヨナスヤシユペーマン以外に、「原子力を念頭に置いた近代論」を展開した数少ない論客は、メルケル倫理委員会で大きな役割を演じたドイツの社会学者U・ペックであろう。すなわちペックは、チェルノブイリ事故と同年(1968年)に刊行された『リスク社会』において、古典的な産業化の概念が自然支配という理念に基づいていたのに対し、今や工業化の進展の副作用としての環境破壊、放射能などの有害な化学物質によって増大したリスクについて真剣に反省するような「再帰的・反省的近代(re臼e軋くemOderロity)、第二の近代」に入ったという見解を提示していた。

 その彼が、メルケル倫理委貞会での任務の最中、日本の某新聞社とのインタビューで「原爆がどんな結果をもたらすかを知り、世界の良心となって核兵器廃絶を呼びかけながら、どうして日本が原子力に投資し原発を建設してきたのか、疑問に感じました」(朝日新聞二〇二年五月一三日付)と率直な疑問を投げかけていることは、日本人は真摯に受け止めなければならない。思想史をも専門とする筆者としては、そうしたペックの疑問に対し「未完の大きな物語としての原子力」という定式化で応えてみたい。

▶︎原子力という未完の大きな物語

 アーネスト・ラザフォードに始まる原子核物理学の発展史から原子爆弾の製造に至るまでの包括的で詳細な、かつ大きな物語は、アメリカのジャーナリスト、リチャード・ローズの大著『原子爆弾の誕生』(一九八六年)によって、ほぼ語りつくされている。しかしそのローズは、現在でもナイーブな原発推進論着である。したがってここでは、彼の「原爆」物語と彼が語っていない「原発」物語を、「原子力」物語として統合してみよう。 原子力物語は、一九三人年ドイツの化学者オットー・ハーンとその助手フリッツ・シュトラスマンが、当初ハーンと共同研究者であり、途中でスウェーデンに亡命したユダヤ系オーストリア

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