「日本赤軍」重信

■「無辜の人にも被害与えた」と謝罪 「日本赤軍」重信房子元幹部が出所 ハーグ事件で懲役20年、刑期満了

2022年5月28日 11時33分

出所した「日本赤軍」の重信房子元最高幹部(右)。左は娘の重信メイさん=28日、東京都昭島市で(内山田正夫撮影)

出所した「日本赤軍」の重信房子元最高幹部(右)。左は娘の重信メイさん=28日、東京都昭島市で(内山田正夫撮影)

 世界各地でさまざまなテロ事件を起こした「日本赤軍」を結成し、オランダのフランス大使館が武装占拠された1974年のハーグ事件などで懲役20年の判決が確定した重信房子元最高幹部(76)が28日、刑期を満了し、服役していた医療刑務所「東日本成人矯正医療センター」(東京都昭島市)から出所した。(佐藤大)

 重信元幹部は同日午前7時半ごろ、施設内で長女のメイさん(49)らに出迎えられ、同8時前、黒のワンボックスカーに乗って敷地から出てきた。メイさんにもらったという帽子にマスク姿。車を降りると、待ち構えた約30人の支援者らと握手や抱擁を交わし、笑顔をのぞかせた。

 続いて近くの公園で報道陣の取材に応じた。「やっぱり、生きて出てきたな、という感じが強くあります」と出所の感想を述べた後、過去の日本赤軍の活動について「私の逮捕によって、多くの人たちにご迷惑をおかけしたことをまずおわびします。人質を取るとか、闘いの中で、自分たちの戦闘を第一にしたことによって、見ず知らずの無辜(むこ・何の罪もなの人たち)に対しても、被害を与えたことがありました。そのことは、古い時代とはいえ、この機会におわびします」と謝罪した。声はやや小さいものの、しっかりとした口調だった。

 「再出発にあたって」と題した計4枚の直筆の手記も配布。かつての「武装闘争路線」の誤りを認めて謝罪し、病気の治療をしつつ、反省や総括を伝えたいとする内容になっている。

 施設の周辺には外国メディアを含む約100人の報道陣が集まるなど国内外の関心の高さを示した。右翼団体の街宣活動で一時騒然とする場面もあった。

 重信元幹部は明治大に入学後、学生運動に参加。新左翼組織「赤軍派」の幹部として71年、レバノンに出国し、現地で反イスラエル闘争を展開するパレスチナ解放人民戦線(PFLP)と共闘。同時期にレバノン入りした別の元赤軍派幹部らが72年、イスラエルのテルアビブ空港乱射事件を起こし、「日本赤軍」を名乗った。

 日本赤軍はその後、仏当局に拘束されていたメンバーの釈放を狙ったハーグ事件や、ダッカ日航機ハイジャック事件(77年)などのテロ事件を起こした。

 日本に帰国していた重信元幹部は2000年、潜伏先の大阪府内で逮捕され、01年に日本赤軍の解散を宣言。ハーグ事件など3事件に関与したとして殺人未遂や逮捕監禁などの罪に問われ、06年に東京地裁で懲役20年の判決が言い渡され、10年に最高裁で刑が確定した。(佐藤大)

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