サンナ・マリンとは何者か

■サンナ・マリンとは何者か

サンナ・ミレッラ・マリン  

 サンナ・ミレッラ・マリン(Sanna Mirella Marin 1985年 – )は、フィンランド・ヘルシンキ出身の政治家。第46代フィンランド首相。フィンランド社会民主党代表。フィンランド社会民主党(SDP)のメンバーの1人として、2015年からエドゥスクンタ(フィンランド議会)に参加しており、2019年6月から2019年10月までは運輸通信大臣(英語版)を務めた

 2019年12月8日、フィンランド社会民主党は、アンティ・リンネが首相を辞任した後の次期首相の候補としてマリンを選出した。議会で選出され、マリンは34歳世界で最も若い在職中の国家指導者となり、フィンランドで史上最年少の首相となった[7]。また、フィンランドでアンネリ・ヤーテンマキとマリ・キビニエミに続く3人目の女性の首相となった。

 子供時代マリンはヘルシンキで生まれ、タンペレに引っ越すまではエスポーとピルッカラ(英語版)で育った[10]。両親はマリンがまだ幼いころに離婚。父は経済的な問題に直面したことが原因で酒を帯びるようになり、その結果アルコール依存症を患っていたという。両親の離婚後、マリンは母親とその同性パートナーに育てられた[11][12]。経済的に困窮していたため、学生時代はアルバイトでスーパーマーケットのレジ係などを行って生計を立てていた[13]。キャリア2004年にピルッカラ高校(Pirkkalan yhteislukio)を19歳で卒業した[14]。2007年にタンペレ大学(英語版)へ入学し、2017年行政科学(Administrative Sciences)の修士号を取得して卒業。27歳のときに政治家になった。2012年フィンランド地方選挙(英語版)で、マリンは27歳でタンペレ市議会の議員に選ばれた[3]。2013年から2017年までは市議会の議長を務めた。2017年フィンランド地方選挙(英語版)では、市議会議員に再び選ばれた[15]。マリンはタンペレ県の評議会の議員のメンバーも務めている。2014年、社会民主党の副議長に就任。2015年フィンランド議会選挙(英語版)では、30歳のときに、ピルカンマーの選挙区(英語版)から議員としてフィンランド議会に選ばれた[16]。4年後、2019年フィンランド議会選挙(英語版)でマリンは再び議員に選ばれた[17]。2019年6月6日、運輸通信大臣に就任。同年12月3日、アンティ・リンネ首相がサウリ・ニーニスト大統領に辞表を提出[18]。12月8日、社会民主党の党内の投票が実施され、ライバルのアンティ・リンドマン(英語版)を僅差で破り、リンネの後任に選ばれた[19]。10日、首相に就任。マリンは、5つの党の連合からなる政府を率いている。この党連合では、内閣の18人の大臣のうち12人が女性である[20][21]。 リンネは郵便ストライキへの対処方法について広い批判を受けていたが、2020年8月の大会までは党の正式なリーダーを続けた。その後、マリンが社会民主党代表に就任した[22][23]。2022年2月24日にロシアがウクライナへの全面侵攻を開始すると[24]、フィンランドとスウェーデンで、NATO加盟を支持する世論が急速に高まった。同年3月5日、マリンとスウェーデンのマグダレナ・アンデション首相はヘルシンキで共同記者会見を開き、それぞれ見解を述べた[25]。5月10日、日本を訪問。翌11日に岸田文雄首相と会談し、NATOへの加盟に関し「おそらく申請するだろう」と伝えた[26]。5月18日、フィンランドとスウェーデンはNATOへの加盟を正式に申請した[27]。同年5月26日、ウクライナのキエフを訪問。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談し、同国のデニス・シュミハリ首相との記者会見で「ロシアの信用失墜は何世代にも及ぶ」と語った。また、キエフ近郊のブチャとイルピンを視察した[28][29]。