■ユリウス・カエサルのローマ
『歴史発見!西洋古代史~メソピタミアからギリシャ・ローマまで~』の講座は、西洋古代文明の夜明けと発展を、メソポタミア・ギリシャ・ローマの各文明の発展と衰退を見ながら、わかりやすく楽しく学びます。
更には、現代社会がいかに影響を受け、私達の生活や習慣と関わりがあるかについても学んでいきます。
■1-録音22分 古代ローマ-1
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共和制ローマってのはですね、先週をやったんですけども、王様が追い出された後にルキウス・ユニウス・ブルータスという人物が、初代の執政官、いわゆる指導者なりました。このいかなる人物だろうと王座に就くことは許さないで、どんな人であろうとローマ市民の自由を犯すことはできないという。以後に王に代わる国の最高位者として、1年ごとに市民集会で執政官が選ばれた2人なんですね、独裁しないように。これ以降というものは、ローマというのは1年ごとに選ばれて者が、個人よりも法が支配する国家になる。
法治国家のいわゆる原型みたいなものがローマの中に見られるができます。人間の行動原則を哲学に求めてギリシャ人が来て、宗教に求めるユダヤ人がいて、法律に求めたローマ人がいたというふうにこの塩野七生さんという方は言ってますね我々の行動原則というものは何かっていうことをですね、考えてみると、いいかなというふうに思います。
実は先週やった内容で先週の復習になりますけども、ローマはですね本当に都市国家として小さなローマから始まってですね、だんだんの領土拡大して、ついにローマ共和国がイタリア半島ですね。いわゆる今のイタリアの部分を占領するなりました。その後ローマ共和国は地中海世界の覇権をかけて、その当時のですね、フェニキア人の植民地であるカルタゴっていう植民地国家と戦うようになりました。これがポエニ戦争と言いますね。
3回にわたるぽエニ戦争があり、そしてローマ共和国はハンニバルなどですね、非常に強い敵もいたんですけれども、最終的にはハンニバルなどを打ち破ってカルタゴを下すとなります。そしてポエニに戦争でカルタゴを滅ぼした後は、ローマは地中海世界を自分たちのものとして地中海を我らの海というふうに言われるようになったんですね。
このようにしてローマがどんどんどんどん大きく成長していきました。しかしですね、先ほど言ったカルタゴに出てきたカルタゴの将軍の始まりを超えてるんです。
どんな超大国と言えども、長期にわたって安泰であり続けられないと、国外には敵がいなくてもな、国内に敵を持つようになると。外からの敵を寄せ付けないとしても、体の内部の病気に苦しまされる似てるんだと。後ににローマでは親に戦争の勝利に伴う社会構造の変化に適応できずに内乱の1世紀と呼ばれる混乱の時代が訪れることになりました。それが今日の内容になるんですね。
ポニエ戦争後の内容を今日はちょっとやっています。その後いろんな問題が起きたんですね。どんな問題かというと、領土がどんどん広がっていって拡大する中で、海外の属州と言われる植民地を守るための条文が必要だったんですね。徴兵制度はもう足りなくなったと。いうのがありました。元老院議員にならないで、経済活動に専念する資本家の登場つまり、ビジネスマンが力を持つようになってきたってことなんですね。政治家だけではなくて、また長期の戦争が疲れて、苦しんで疲弊している中小農民が無産市民となっていたホームレスになりローマの大都市に流入してきたと。
4番目イタリア半島の様々な都市が台頭し、ローマの支配に不満を持ち始めるという形で、様々な内側の問題が出てきたとかですね。こんな状況でですねこれらの問題を解決する、いくつかの人々が出てきました。最初はこのグラックス兄弟と言われる人が出てきて、この兄弟がですね、没落した農民の再建のために、大土地所有者が不法に占拠した土地を回収して無産市民に与えようとしたといわれます。
彼らはBC123年護民間と言われることに民衆の立場を守る人々のその役割に当選して、必死に有利な改革、植民都市建設やローマ市内の穀物配給など、無産市民が喜ぶ政策を掲げたんですけれども、その当時の特権の取り巻きの特権階級って言うんでしょうかね。元老院議員たちの動向の反対にあって、回復が挫折してしまいます。
さらに、BC121年に元老院の最終勧告というですね。つまり、このルールに従わないとあなたは国家反逆者であるという。非常に厳しい、そのような勧告を元老院が出して、それによって彼らは民衆のリーダーとなってグラックス兄弟は、国家反逆者のレッテルが貼られて殺ろされてしまう。志半ばでグラックス兄弟が殺されて死んでしまうんですね、残念ながら。
このような中で後に出てきた人物が、ガイウス・マリウスという人ですね。ならば、軍政改革を行い、職業軍人が官僚として生まれました。書いてあるのは、失業者問題が福祉の充実では解消しきれない問題であることは、その理由が失業とは生活手段を失うだけじゃなく、人間の存在理由を失うことにまで繋がったと。グラックス兄弟では農地を与えて植民都市を建設して、公共事業でそれを解決しようとしたんですけども、死んでしまったんですね。
マリウスはこれの失業者たちを軍隊に吸収したつまり、職業軍人として彼らを用いることによって、彼らのアイデンティティと彼らの生活を回復させようとしたというのがあるんですね。はい。そういうのがありました。次に出てきた人物はですね民主派といわれるものに対する閥族派のルキウス・コルネリウス・スッラという人物ですね、先ほどの軍制改革を行ったマリウスというのは、民主派って言われました。
それに反発する保守的な元老派の貴族たちですね、民主派に対する貴族たちは閥族派と言われたんです。そのリーダーとして、マリウスの副将として活躍したスッラという人物が台頭して、国家がですね民主派と閥族派の内乱に発展するようになったんですね。BC81年にスッラが勝利して、独裁官(ディクタトール)に就任し改革を実行する。独裁官に就任して改革を実行しますね。彼は権力を握るとですね。民主派の周りを粛清したんですね。
つまり、彼らはこの武力で弾圧する恐怖政治の元祖のようなものになったですね。自分に忠実な軍で動かして政権を場をつまり軍事力による権力を手にする悪い先例なしまったとありました。
でこの処罰者名簿にはですね、マリウスの義理の甥だってユリウス・カエサルはいたんです。彼は危うく殺されそうになるんですね。しかし、まだこのときから18歳でスッラの支持者、果てはローマで尊敬されているウエスタの巫女からまでも、除名嘆願が相次いで、スッラもこれに同意すると、スッラは「君達にはわからないのかね、あの若者の中には多くのマリウスがいるということを」語ったと伝えられる。つまり非常にこのスッラという人物は独裁者になったんですけども、カエサルという人物が弱冠13歳ながらも、只者ではないということを薄々気づいていたという。人が見る目がおそらく、あったと思われますね。
はい。でこの後はですねこのカエサルではなく、またあの偉大なる将軍としてポンペイウスという人がいます。ポンペイウスはローマのアレクサンドロスという別名を持ってる人で、彼もスッラの率いる閥族派の武将として活躍したんですけども、無位無官ながらスッラのために戦い民衆派を次々と破るんですね。BC71年にはスパルタカスの反乱を鎮圧し、スッラが廃止していた護民官職と、騎士階級から奪っていた裁判権を付加させるんですね。BC70年ポンペイウスとクラッススという金持ちなんですけども彼らが執政官に就任しました。だから非常に暴力に対して、戦争に対しては才能があったんですね。このその通りですね、あの地中海世界に海賊が挟まってました海賊がいると、もう普通に貿易とか船の運航ができなくなっちゃうんですね。いかにして海賊を討伐するかということで、BC67年に海賊討伐のために以下の法案が起結されました。