古代・中世の武器・武具類

■古代・中世における武器・武具の祭祀利用の展開

塚本敏夫(元興寺文化財研究所) 

■「儀仗としての武器・武具―鎮め・祈り・畏敬―」

▶︎はじめに


■No.1 録音10分 

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 せっかくなんですけどこれですね。こういうふうな形でちょっと見落とされていることが実際にいろいろ見ていきますとですね。まず最初に見たのがですね、やっぱり群馬県ですね、群馬県(渋川市赤城歴史資料館)に非常にあります。この後に金井東浦遺跡のいろいろ出てくるんですけど、私はその前からですね宮田須原遺跡という赤い史跡があります。

 これも世紀末から60前半なんですけど、ここでこの道路を作るときにものすごい対応のですね最終成績が出てくるんですね。そこにはですね鉄製のそういう好き先これちょっと覚えてます。木崎とかかなとかですね、血族とか、そういうもの中にですね、もあるんですけど、当然のことながら玉類はたくさん出ていますが、その中に鎧の破片が入ってあるわけですね。こういうふうなこういう榛名山のやっぱり火山噴火の王に対するそういう祭祀遺跡だろうと言われているものです。

 この中でこれがですね。遠くも出てきたものなんですが、これ実は保存処理がされちゃってて、調査に行ったときよくわかんなかったんですね。そして調査担当者の人に処理前の写真を見て、見せて欲しいっていうふうに言ったらば、実はこういういうふうな写真が出てきたんですね。そうするとですねこれ要するに、皮紐でちょっとまかれているっていうね、通常では考えられ、これあの小さいをやっていた人だったらわかるんですけど、これどこの大食いだかっていうのはある程度同定できるんですね。

 これは左前の立飛第1弾一番上のですね、その仕事を立ててあげない一段の左端です。これをお金を断ち切って何か何かしらいて訪問したんだろうっていうことが見て取れるわけです。こういうふうな形ですねこれ写真のアップなんですけどこういうふうに言ってるわけですね。先ほどみたいに上手くっていう買い物痕跡とかも残っておりますし、また波のコンセプトがあるいうようなことですね。そういうふうなことが異物をしっかり見ると、よくわかると。

 あともう一点は、下手に保存処理をしちゃうと、こういう錆化した有機出場校がわかんなくなっちゃうとそれとそうすると、情報がわからなくなっちゃいますので、これ皆さんあの歓喜してですね。まずあんまり土をとらないで、最初に見て写真を撮ってエックス線を起こすっていうことを心がけていただければと思います。

 次にですねこれは皆さん知ってる金井東浦1ですね。これ鎧を着たままのですね人骨が出てきた。これなんですけど比べた後の研究所で取り上げをやって処理をしたんですけども、これが出てきて非常に大きな話題になりました。これもですね皆さん知ってるようにですねこれ2行の良いかありまして、

 一つは丸目られてるんですね。そして一つは人口覗きながら倒れたような形の部分を持ちながら、あの武器を持ちながら、溢れたような形になってると。これまさにですねこれ、初めは逃げ遅れたっていうふうに言われてたんですけど、最初はこれ違います。パンで置いとくなんてことは絶対ないですから。ということですね。これは実はそういうふうな雨でよく見ても見ますとこういうふうな骨上げですね。

 これ後で分析が行われて、六角せいだっていうようなこともわかりましたけど、こういうふうな誰も前の前垂れとして出動してたりしますね。これよくよく見ますとですねやはりこの丸められた小竹は川戸10パーぐらいですねしかしですね。この大部仁が着想した状況のやつは、要するに組もなんですねその当時、先ほど言いました、組紐の鎧がやっぱり最上級の鎧なんですね。そんなのでやっぱり品物としてはやはりお金鎧の中ではやっぱり最上級のものが、こういう人が来てですね。なっているととすると最初は団体子種単体であるんですけど、なかなか聞かないからこの鎧を

■No.2 録音10分 

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 車屋さんなんかは恒常的の話はしてるんですけどと言って誰もが触れてあってそこにちょっとふみくんが運行しましたがそういうところでですね、これちょっと論文をちょっと読んでもらえればと思いますけど、これ仏教導入のときにですね。やっぱり板を立てるっていうことが非常に大事で、やっぱりそういうふうな田中さんじゃないですけど、軍事的なですねそういう組織論とかそういうふうなものもいっぱい入ってきていたんではないかと。

 この砥石なんですけど、やはりこれに本当なんかの基本的に使う美味しいですね。これ仕上げ歳じゃないんですけど、そういうふうなのに非常によく似ているんですね。そういう意味で6世紀後半から7世紀ぐらいにならないとですね、刀剣類というのは焼き入れをしない。要するに実用等では根治がないんですね。要するに実用のこれ最新式の、やっぱりこういうふうなものが入ってくるのが、このぐらいであまりくださのから朝鮮半島からですね、そういう最新式の技術が一緒に入ってきて、それを表彰しているんではないかというふうに思っております。あとですね。気概でどんなとこから出てるかっていうと、今日のポスターセッションでありますが、ちょっとこれ、見えない、すごいな、ネットか、非常にちょっと遠くちょっと感じられ、そうですねはい。そうですね古河市のをこの大の谷山北地区の遺跡群からの船場瑠希ですね。3億に移設した米農家が出てるわけです。

 朝鮮半島系の今まで平和から初めてというようなですね。シャンプーハットが出てますけど、ああいう朝鮮系のですね株とか、が出てたり古屋富谷が鎧も多い式が出てくる。これは今後注目されます。その他ですね、

 隠岐の島ですね。号機の島からも出ていますが、この沖ノ島がどんなものなのかっていうこれ再整理をもうしたくてしたくて仕方がないという形、なんとかしたいんですけど、今君島の資料の保存修理をしているんですけどやっぱこれの再整理あと統計にもたくさんあるんですね。それをやっぱりやることが、やはり今後非常に重要になってくると、まさにですね。御所駅から6世紀にかけてやっぱりこの境界領域という意味ではやっぱりこの沖ノ島というのは非常に日本の祭祀で脳領域を規定する非常に重要なところなので、やっぱりそれは来ていただくちゃなっていうふうに思ってます。

  あとですね、人型際し先ほど言いましたようにですね日常的なファイルなんですけど、ちょっとまた最初っていうのは元々ですね中国でない脳人型なんですが7世紀後半率城西塩とともに取り込まれたと言われておりますけど、やはり6世紀後半コクーンなんかからも実は出てきてるわけですね。小山にボールからは非常に面白いものが出てます。道教的なそういうふうな技術の導入ていうのはもうもう一度1回再検討しなくちゃならない。これは木製人型もですね。地方でも非常に多くて、古いものを出ております。そういうことですね。このS字状って今日ちょっとリップサービスでちょっと言っちゃいますと、先ほど田中さんがですね。非首都の話をしてました。自主等について、実は私もすごく気になってまして、失踪から学校上鉄器そして、これ数字上のこれが出てきみたいなのをこれ最終に使うのかなあっていうふうに思う持ってて、これが紙製になった。自然になっていくっていうふうに、いろいろ開発ますこれはもうちょっとしたらですね吉川くんから本を書いてる中でちょっと書いてますので、そのときにそれを参照してくれれば、そういうふうなものがあります。その他ですね地方に予想以上に波及しているっていうのがわかりますので、今後やはりこういうものがあるかなじゃあ、

■No.3 録音10分 

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 でそういう意味でここっていうのは非常に面白いところですそれ以外にですね、もうちょっと時間がないので、ちょっとここら辺はちょっと走らせてもらいますけどその他、奈良時代になって当然有名なのは東大寺の陳団地などではない可能性が高いんですけど、こういう東大寺での3ヶ所での舞の中で、特に見この今のここにポスターでも出しましたけど、近年その立ちこれ日本で一番僕は精巧なたちだと思うんですけどこれが、二つ入ってるわけですね。北側にはですね。

 僕投資規制が入ってる志知政権が入ってるとかですね、こういうぶぶぎ伸樹が入ってるし、また飛ぶも実は入ってるわけですね。ここの大ブームはですねこれもうこれ誰鎧でしかも、組紐なんですね。これは今年も土地もですね。みんな組ももう当時の最上級で一番細い。こちらです。こういうふうなものがなってまして、これも橋本さんのレジメ見たらきっと話をするかと思いますけど、これは赤で言うとですね神保町国家七宝町の記載では、傾向に付属がないので傾向というものに当たるんではないかっていうふうに思ってまして、そういう意味で上松の中ですね、の一つではないかというふうに私は思っております。

 そういうことがあります。ここはちょっと走らせてもらいます。ありますあとですね。やっぱりこの研究をお始めたきっかけになったのは、実は長岡京ですね。長岡京のちょっとします。消せばいいですね。長岡京のですね。第二次いい内の大星田地区、ここの大輪記念後切り紙のですね抜き取り痕跡からですねこういう27点の具材が出てきてるわけですね。これも報告書が1回出てまさにですね、6世紀後半から8世紀後半44匹にわたって電制された。あとやろうというふうな鎧が冷められている他のここに武器庫があってですね移動のときに落としたんだろうっていうふうなことが言われてたんですけど、それでですね。ちょっと調査担当者からもう1回よく見て欲しいというので見てもらって、それで4名様なですね。先ほどと同じようにですね、出動状況の写真が載ってないので、

それを探しましたらば、こういうふうに答えの出場状況はやはり埋め戻して抜き取ってですね埋め戻した後に、面的にこうやって出てるっていうことがわかったわけですねしかもですね子種をよく見ますとその場で断ち切ったか先ほどのように意図的に外したという思われるようなところがあります

 これはまさにですね、これは10年間でいろいろなことでですね都を移すわけですけどもそういうときに移動するためのやっぱり片付け、それを動かすっていうことに対する沈めの意味ですね。そういう意味で抜き取った後にというふうに部分を収めてそれは沈めるというような、合意ではないかというふうに思っております。

 ちょっと先ほど楠見廃寺でありましたが、実は楠見廃寺機内でおだね転用した形があるのは実は長岡京でも、おそらくこれはそういうふうなものだろう。初めはですね、鉄のレースで再利用のために切ったんじゃないかって思ってたんですけどよくよくいろいろ考えていくとこれはやっぱり人が他に転用しているんだなということがわかっていますそうするとですね、これまさにですね平方と長岡京でこの時期っていうことで、何かっていうとですねやはりですね、桓武天皇に非常に関係すると、桓武天皇のば関係している心という意味ですね平方っていうね百済字があって、札の小錦が入ってくるっていうのが、そういうようなことだろうということなんですが今日はそういう話じゃないので、次に進ませていただきます。

■No.4 録音10分 

004.mp3メモを入力今年まさにですね、ポスターにありますようにですね、紙図面を出してるの口座名が出てきまして、この前も見せていただきましたけど、こういうことがですね、やはり主要なところで行われているとこれはこれですねこういう3形式のものがあるんですね。この前のやつは1枚だけなんですけど、おそらくもっとあったかもしれないっていうのもありますし、発掘のときにどういう意識でしているかによってですね、小島さんに代わってはっきりされたっていうのもあれなんですけどやはりそういう発掘調査の意識が非常に2左右されるのかなと。あと調査を午後の報告でどういうふうにしたらいいかなということですねその他心館でもやはり実績がこういうところにこんなものが出ていますまさにですね主要な…的にですねそういうところに来て、やはり人の移動があるからこそそういうサービス自体がものだろうとあと残り15分で中世以降をお話をするっていうのは非常に難しいんですけどことを相手が言ってお話をしたいと思います中世以後ですね矢吹井草石の新たな展開です。これはまさにですね12年後が3日後でも私探査をし、ってもらったんですけど、これまさに11年8を書いた。クワガタですね。クワガタがカブトが8を書いたものが出てくると、それプラス5両分の発注が裏返して出てるっていうことなんですね。実は8っていうのはね、80年クワガタですね。クワガタっていうのは非常に大事で先ほどの古墳時代でもU字型の月先そういうふうにやっぱ耕すこれはそれだけじゃなくてちょっともしかしたら時間がなくなっちゃうから言えないんですけど、やっぱ大ですね。FSのウミガメのものじゃないですけど、そういうものを表彰している可能性が非常に高い感じの方ですよね。そういうものはやはりそういうふうにあの前立てとして使われていてこれがほっとこ神社に奉納されたりっていうふうなことがありますこの補充辞典もですね元々これ死者の墓だろうって言ってんだけどそれ出そうという、あの痕跡はないしも全然違うところから出てますし歯の多いやつは、実はこの時期の増減ちょっとその話はしてるとまたあれなのでしませんが、これはまた別の意味があるんだっていうことなんですね。何こういうふうなことです。実際にですねこれが一番大きな、4年前の発見は室町同からですね出てきた実は平安京になってから出てこないんですね。工事店以外にどうしても出てこない。やなそうしたらば、その後の室町殿ですねから出てきてこれはまさに花の御所でしたら、これこんなことがあれなんですけど出荷は高内愛央の音こそがいろいろね経過でいろいろ持ち出されたりという、いろいろあるんですけど、そういうものなんではないかなっていうふうに思ったりしてまして、やはりこれが非常に大事なところでありまして、やっぱり最上級の、やはりその当時の町権力者の大館でしか良い子だね妻子っていうのは使われていないっていうのが、学校で注目すべき点ですねその通り鎌倉、ちょっとまた時代は戻りますと、鎌倉ではですね、現場周辺移籍って言ってここでれば降りて、鶴岡八幡宮に行くそこの現場周辺遺跡の28号立原以降からですね、イノセント共にこういうものが2両部がまた裏返ってる出てきてば、ねこれも保存修理を大手掛けさせてもらいましたから、非常に面白かったですけど、ここではですねこういうふうな実は織り上げたお金とか、あと、こういう棒状のですね、あの鉄製品が出てましてこれ実際のところ僕は鎌倉地震に対する説明なんではないかっていうふうに思ってるんですけどこういうふうなことがありますその他ですね井戸からですねこてが出てきています。そういうふうなことがありまして、

■No.5 録音10分 

005.mp3メモを入力やはりおたね役だよりが、沈めの方の説明とかね消失住居の説明に利用されたものが導入の経費なんだろうとその作法は関東地方で発生していますしその理由はよくわからないんですけど、やはり先取りの徴兵など東北の無人集団の間でやっぱり発生した場合の武器武具をやっぱりXファンだろうその系譜は百済地域に求められるっていうのは先ほど言ったわけですね代表活気が律令的な妻子と共にですね登場に動揺された複数形式の子種前の最終ですね、これは平城京の造営とともに導入された。一部で人が3人融合してですね、古代寺院とか上策地方官が、そういう中拡散とともに、地方の拠点的な地域に天敵に展開していくと、やっぱまさにそのおベクトルは軍事的な緊張の高い東北ですね、そこに比重が高く認められたっていうのは、資料が物語っている通りです。でここで重要なのは、私の生まれた霞ケ浦周辺なんですけど、子育て三振が成功した関東の霞ケ浦ですねその時香取の日ですねゾーン、江戸時代までは去年はなかったですからねそういう周辺地域で独自に展開をしていったようだろうで映像等の境界地域ではですね新たな部隊史が展開して日本海ルートを経て与那国までどうもこの時期に発表していったようです第3の活気が武家社会の鎌倉を中心に南木を展開した部分際しですねこれではここでは不在に加えて武具の部品も傲慢要するさんは佐保が広がっていくわけですそれは今日鎌倉から東北地方の太平洋沿岸道経由、今度は軽油が違います太平洋映画ですね公益の意味では欧州藤原ですね、を中心としてまさにですね、大和の雨とかですね、その後はおそらく金とか先にそういうふうな部分とかを大の公益のためにいいですねこういうふうに言い使われていくと、物心両面でですねこれがアイヌ文化の成立に寄与していったんだろうまさにですねクワガタっていうのは僕の破片利用が消化されてアイヌ文化の中での主張の最高の放棄となりますこれの写真皆さんへと見たことがあるかと思いますけどそういうものになると、やっぱり大ですよね久原がまさにそういうふうなことをあの表しているそういうものがあるだろう。一方南出もまずまさに沖縄ではこの作法がマークス時代に波及していくわけです。物心両面でですね、グスク文化を大成熟させ、琉球王国の成立に寄与していくんだろうというふうに思っております。この南北の辺境の地で、武具祭祀が成功する背景にはやはり鎌倉時代ですね海上貿易の発達、そして物心両面での交易、流通の確立が挙げられるんだろうと思ってます。こういうふうに南と北で法規化されたクワガタ、これまさにですね、室町時代に受け継がれていくわけなんですけどこの武器武具祭祀が現代の日本の境界領域、この文化圏をですね、規定していく、まさに今の日本の領域もこの時期にこういうふうに作られていったんだろうというふうに思っていますまさにですねちょっと余談ですが、その一つにはですね、北野社長、キャッシュですね南野グスク成立背景には、憲法という外的行為があって北の現行南の現行時間差的には北、北の玄関先で網を見る現行の後ですが、そういう中でですね、出てきたものなんではないかとそれが後でですねまず使われなくなると変容してですね、最新のバーッとして使われたり、あのブスのような機能を持っていったりっていうふうな形になっていくんではないかっていう思いもあります最後なんですけども時間が経ってしまいましたけどちょっと喋らせてください。と室町殿移籍し出土品というのは非常に大事だというのは先ほど御小袖の可能性がありました中世以降の今日を生きる

■No.6 録音10分 

006.mp3メモを入力あったんではないか。そしてまたそれを爆っていう行為っていうのは非常に重要なっていうふうに、ちょっとこれはあの水野先生の方に並んだの傾いてますけど、こういうような研究を今後進めていっていこうというふうに思っています。ちょっとザッパーな話でありましたけど、これは5年前に説明者としての部分というのができるという献上したんですけどそれのだいたいの概要を御今日お話させていただきましたこういうふうに復帰部分っていうのは多様な使い方をして、しかもやっぱり権力の象徴としてですね、非常に重要で、この日本の国の王を作ったのはちょっと大風呂敷を広げます。これは実はあの図で先生がですね、橋の子が研究会の中で佐々木米先生の剰余金文化を結構馬鹿にしたような発言があったときにですね、やはり枠組みに対して枠組みで対応しなさいっていうふうなことを訓練してくれました。まさに僕もそうだと思いますので、先生の形のようなことはできませんけど、実はこの飛ぶ際し、浮き草石っていうものをずっと見てそれで日本の文化っていうのはどういうものなのかっていうのに少しでも攻められればいいかなと思ってこういうな返事をしております今日はちょっと10分間、ちょっと過ぎてしまいまして皆様の質問をいつもそうですけど受けないように真面目な喋ろうというあの作戦でありましてあの細かい部分は聞かないでくださいということで、以上で私の報告がほらしていただきたいと思います。ありがとうございました。