聖徳太子の実像と片岡の飢人伝承

■「聖徳太子の実像と片岡の飢人伝承」


〔 パ ネ リ ス ト 〕
吉村武彦(明治大学名誉教授)
澤田瞳子(小説家)
平田政彦(斑鳩町教育委員会参事)
岡島永昌(王寺町文化財学芸員)

第三部パネルディスカッション聖徳太子種の実像と伝承に参りますそれではパネリストのみなさまをご紹介いたします2位右側中央より明治大学名誉教授吉村武彦さそしてそのお隣小説家の澤田瞳子さん[音楽]舞台左側中央より斑鳩町教育委員会生涯学習課参事gogo 顎義歯平田雅彦さんそのお隣王子町文化財学芸会ん岡島栄昇さん[拍手]そしてコーディネーターは読売新聞大阪本社笠原支局長関口数やさあに努めていただけますそれではこの後は関口さんよろしくお願い致しますあっ改めましてこんにちは読売新聞の大阪本社からやってまいりました関口ております奈良県内を中心に歴史文化財光工学の取材を20年をと続けておりましてそういったご縁で今回この場にこの場で司会を仰せつかっております王寺町というと首都圏の皆さん方にはあまり公おなじみがない3穴冒頭に蝶々さんがおっしゃったようにですねすっかもしれませんが非常に高歴史と文化であふれたまさに住みやすい街ナンバーワンの名にふさわしい鉢であるそういうふうに考えていきます基調講演ではですね湯島先生から聖徳太子の歴史的な実際性といいますか聖徳太子の実態とそして方を書き人の伝承についてお話をいただきましてここではですね作家の澤田先生そして a 方町の平田さんそしてていてここ次長の地元相知町の小嶋さんからですねこの聖徳太子の実像と転生についてより議論を深めて参りたいそう思っています最初にですねある今はじめにあの澤田さんにお話を伺いたいと思います和田さんお願いします歴史小説を書いております和田と申しますよろしくお願いしますあの本日先ほどほ公演はをいただきました吉村先生を始めまの岡島先生平田先生と皆さんの学術の分野から聖徳太子様まああの掘り下げていらっしゃる方の中に混じって私ひとりまあ小説家という間フィクションの立場から歴史を書く人間なのでこう何を話せばいいのだろうと石武さんにお話ししましたらもう小説家としてのその聖徳太子への思いだったり文学作品として聖徳太子を取り上尾うっていうということかということについて語ってくださいという風に言っていただきましたのでまああの率直なところ申しますと私くし普段はの奈良時代や平安時代は主に古代と言われる時代を小説議会ておりましてやはりあのそういった時代を書いてる身からしますと聖徳太子っていうのはこういつか書いてみたい人物のヒットなんですよねまああの戦国時代を書いている小説家が多分必ず一度織田信長を書きたいと思うようにやっぱりハイあの聖徳太子1回は書いてみたいなぁと思うのですがこれが困ったことにおそらくこう歴史上の人物で聖徳太子ほど生まれる瞬間から死んだ後のエピソードまで一般的な e 人々が方一般の方々が本当にあのほとんどから子供までイメージを持ってらっしゃるこう歴史上の人物って少ないんじゃないのかなというふうに考えますほんとあのを踏まえた時のその馬やをお母さんが通りがかった時に音なんていう話からまあ亡くなった後に木崎が悲しいんでまぁの天寿国繍帳をつくったというエピソードまで本当にこう皆さん日常生活の中で結構耳にすること多いと思うんですよこの愛でもの深夜番組を北えっと見ておりましたらあのヒップホップユニットでクリピーナッツって結構若い二人組がいるんですけどその二人がまあのラップと言われるまあの若い人がよく言う即興でこう歌に乗せて言葉をリズムに刻むって言われてその方々が得意としているので聖徳太子フリースタイルっていうラップの方法があるんですって私も初めて知ったんですけどその聖徳太子フリースタイルっていうあの豊聡耳王子のあのエピソードにちなんでその場で観客の方々から複数のお題をもらってそれをラップにのせて紡ぐいうのをその方々は聖徳太子フリースタイルっていうふうに読んでらっしゃるんですねすごいなぁと本当にこう二十歳そこそこの若い方々が自分たちのそのラップのやり方聖徳太子っていう言葉を使うんですよちょっとないなぁと思いましてしかも参加を尊び実の祖父のエピソードから来ているっていうかすごく面白いと思ったんですがまああの小説にそれを書く立場からするとこんなにエピソードが人口に膾炙している立場はほんと書に黒で仕方がないなーんもやはり例えば要望を一つとっても私はの昭和59年の生まれてギリギリ聖徳太子の1万円札を自分で持ったことはないけど目にしてるぐらいの世代なんですよそういう世代からいきますとやっぱり聖徳太子の外見っていうのもみんなイメージあるじゃないですかをみなさん刷り込みのあるわけですよでこうなさった実績っていうのもすべてこう刷り込みがあるだからこう物語としてつも具合でもみんな強く高イメージを持ってる人間を小説として各の非常に高難しいただその一方でやはり答えを小説に書いてきた立場からしますと聖徳太子が生きた時代っていうのはやはりこうシッターの手術だったり考古学的な発掘からを手に取ることができる一番遠い古代ではないかっていう風に考えます例えば渡来人の活躍だったり仏教の伝来だったり天皇制バー大君の時代ではありますが官僚制の制定だったりと言われるそのものなら平安時代も現在まで続いていくとこの1市税の起点のところにやはり聖徳太子は生きたと考えますので埋めてはこう一度絶対書かなければいけない時代ただしすっごく難しい時代だなというふうに考えます私現在あしまったこれあの読売新聞さんが協賛で言うのもなんだし今の毎日新聞さんの夕刊でぬ形の機微を小説に書いているんですがやはりあのぬ形の姫が生きた時代展示長や天武朝においてこと彼らがさかのぼれる時代はいつだったかって言うとば先ほど吉村先生のお話でもありましたけどかれればさかのぼる少し前の過去っていうのやっぱ推古朝だったっていう学説もあるようなんですそれかその後に結局まテンキーの時代あたりからほ日本食の偏差事業の一番端町が始まったりというすることを考えますと歴史というものが確実に手に取れる形でハーブされてたのはやはり推古朝あたりかなっていうふうに考えますそういうふうに思いますとやはり公庫大回転を3かすると一度書きたい聖徳太子でもちょっとこう書くのが大変だなっていうふうにずっと思っておりますのでまこういった品ぽじうむにお呼びいただいて私自身も毎回毎回勉強させていただきながら5が書きたい聖徳太子のために高勉強させていただいている次第ですこんな感じでよろしいでしょうかありがとうございました ok作家さんの目線からの興味深いお話をいただきました何あの王子町舞台にした聖徳太子の小説が必ず入っていただけるものだと思っております急ぎましたの平部さんお願いいたしますえ私はあのご紹介が分かりましたようにあの王子町の東隣の法律のある斑鳩町からあの本りつこさせていただいておりますまああの先ほど故障がありましたに私はまああの選考としてはあのここはこの方であの研究をしておりますので今日のテーマとなりますでー症の方なりますとちょっと文献の方が下になるところでございますけれども王寺町のあの魔女決まる前節に粟島して枚からは長のいろいろなまぁあの長男ギアの対し伝説ございますけどまぁその一つとしてですねあの本日あの駒塚後先ほどあの河本さんのねあのコーダーの中にもございましたけれども黒駒というあの聖徳太子の愛馬についてあの伝説がありましてまぁここが今もそのあたりhere あのちょっとご紹介がてないしたいと思っ here いただけないのでちょっとあの家計あの橋ですねちょっと説明ということになりますけどちょっと本日スライドをご用意しましたのでそちらのほうよろしく願いしますあの観ていただいている正面はですねあの駒塚古墳と名付けておりますこれ斑鳩町のですねあの指定文化財と上に書いてますけどこれ第1号にさせていただきました先ほどからませんね所得大師のまあゆかりの街斑鳩町ですのでそれにふさわしいというなあの形でですねあの15にさせていただいております横であるのはあの矢島先生もご紹介しましたねまぁとあの御物のですねあのに応じがまあ横乳あのそう言ってるまぁちょっと答えというのはどうですけどまぁその所属大生があの向かってですね右側のほうにありますあの先ほどの後段でも出てきましたけれどもあの馬の口を取られてますとメリーと言われてるのは調子マーロウというあの名前はついてますけどそれが効いてるくあの馬が黒色した黒困っいうような形でありますその頃コマを葬ったというまあ伝承がある屈んだということです時よろしくお願いします場所はですねあのちょっとこう注目してもらいたいのが最近は斑鳩町の方で整備をしましたけれども聖徳太子のたてたあの雨でな中宮に地ともいわれますけれどもあの史跡中宮寺跡がございましてそれの南側2コマとかそういうしてさらに100m ほど南側2銚子丸ブーブー暗号説明しましたね超して同時にかけておりますの大いきなりますけどもまぁこういったことがあってっにょ待って神やてぃということでこれあこりゃ背当ての宮ということで伝承されてますけども私が発掘している中でもですね消毒だーいしとまた息子のやま市大江脳の時期のあの時とか方いるんでますのでおそらく伝承ドーリーショート答え氏が亡くなら流れた薨去された旧ではここだと思ってますけどまぁそれが近くにあるというのはちょっと覚えといていただきこれあの右の方に上にあるとまぁあのちょっと航空写真で俯瞰したような形でですねまあこの居易あまり離れてなくて真ん中にこうちょっと田んぼが広がってでちょっとを一部ね宅地化が進んでいるということでございますあの下の方に聖徳太子田略ということでまぁ聖徳太子のねまあ雪はなんかおこうよくあの収録されているあの文献がございますけれどもそこにこの駒図鑑のあの雪はが乗っております今日時間ないのでさあといきますけれども聖徳太子がね何分たくなってまああの食事をとらないのでまぁ聖徳太子がお墓に葬られてそれでまあその後すぐになくなって葬られるんだというようなことですけれども大事な所はあの真ん中くらいにあります中封じ南バカと書いてるんですねであのそれでまあカッコ付けでありますけどちょうだいば母をあのまあその中国人の南で大きなお墓があるんだという記述があっていきますと地図を見ていただいたらまさしくですねあの中宮寺の南側にある大きな5本といえばもうこの駒塚しかないということで駒塚古墳という形になっています次お願いしますそしてですねあの大和名所図会というのはまあ皆さんご存知かもしれませんけれどもエイド時代にですねまあいわゆる現在でいう観光ガイドブックみたいなもんですけどもそういったところにご紹介されているんですね駒塚古墳があってまあ真ん中に東福寺そして南銚子丸古墳というのでまぁちょっとをキャプションをつけておりますねこういう位置関係になりちょっとあの解説文はねあの作者がちょっと飽き里さんがまああのちょっとこう勘違いしてるようですけども北のほうにある日あの富里ろ参考値というの記述と著渡航こんがらがってますけれども子マーカーがあってその南側に東福寺があって調子もあるがあとちょっと無事のあたりちょっと高洲のようになってますけど先ほど地図にありましたあの住宅地を開発するときに発掘するとその中島のようなね状態が出てきてますのでまず間違いなくその山と名所図会はですねその辺りの風景をまあしてるわけですねであの子の調子もあるの南側に噛み合い席というのはあってですねこれはあの名所図会の中にもあの紹介されてますけどここはもうしょう友達のご臨終のあのところだということでフォール時23区3敗というかねあのこられた方はこの紙はにも行かれるんですねこれ神はに行かれてどうするかいたマギたが重いてあれがまあ聖徳太子の間の黒駒方持った母そしてその南側にその不満愚痴とライターあの舎人ねあの調子までの墓だよいうのが本当にこう聖徳太子の伝説としてねまあ定着してこちらの本ずーっということです実際はその左側にありますね発掘しますとですねまあ有名な話ですけど4世紀後半のかなり古い古墳だとというのが分かりましたえいろんなところを発掘しておりますけれどもあのおよそですね馬を追走したようなまあ感じはございませんただ分今日は現在ちょっと回大勢あのブーバ here ような様子ですねその身衣フェアリー明日のはああいう有名なとあの聖徳大成殿の音中の一コマをまあ切り取ってきます最近東京小堀ターフでねこの辺り r とかそういうのを使ってコース国幸わかりやすくしていただいてるんですけども27歳のときに黒駒に乗ってまぁ富士山の方いったであのまあその空飛んで行っ本当にネスいいスーパー here are the sea つとしての午干支の巳子話すとまぁあのそういった高伝説を加えたねショート古代史のお話はまぁちょっと切り離して考えなければかつてあったようなちょっと区太子のまあ不在雪みたいな音不在のみたいな話が出てきちゃうんですけれどもそういったあの聖徳太子のあの伝説の一つがまああの駒塚というここになぞらえて斑鳩町にあるということで本日このちょうど2位する伝説ということでしたので穴実事伝心伝承ということでしたので本日ちょっとご紹介させていただきましたありがとうございますん平工さんありがとうございますクロクマはですねこう聖徳太子がいかれ方ですかマーム都度みちですね筋交いうちのは太子道とか言うんですけどもその道を通ってこう明日かかりから外通うのに持った馬とも言われているんですねでそのちなみにその聖徳太子の生誕地といわれている明日カメラの橘でが今黒駒の層があ気付かれた置いてあります続きましてですねあの岡島さんお願いしますはい私あの王子町の方で文化財を担当しております岡島と申します先ほど平田さんがきつかっキープ気遣っていただきまして王寺町の隣のって言ってご紹介いただきあのしていただきましたけどもいつも我々はですね王寺町多分皆さん知らないと思いますので法隆寺のある斑鳩町の隣の町ですということで紹介をしておりますただあの王子ってあの王様の寺とかきますあのよく王子というとあのプリンスの王子さまの祖父が多いんですけれども王様の寺でお子と書くのはもうこの奈良県の王子町だけでして寺というだけあってあの歴史のある町ですのでそこのあたりも少し紹介できたらなというふうに思っております私もスライドをした用意しておりますので写していただけますでしょうかあの特にへ聖徳太子と自嘲という事に拘っては今日吉村先生の方からお話をいただきましたですね片岡の鬼神伝説というものが関わっておりますその舞台になっているのが左端に写真をあげておりますだるま g ですねこれが達磨寺の本堂ですもう平成16年に新しく建て替えておりますのでものすごく現代的な建物にはなっておるんですけれどもこの本堂の下にだるま時35分というのが今もありましてそのだるま時35分が実は聖徳太子が売れた人これが実は達磨大師の化身だということなんですがその人にを助けてですねであって助けて埋葬したというお墓になっておりましてその上にできているのが達磨寺ですですのでがある町のご本尊はその右側に写真があります聖徳太子像と達磨大師像がご本尊つくですね聖徳太子像はいわゆるせっ少女像方になっておりましてあの子の折衝像もなかなか男前なを像ですのでぜひあの見に来ていただきたいと思います次お願いいたしますで a この片岡の擬人伝説まああの日本書紀にも出てきますしかなりちょっと変わった形で日本領域にもありますけれどもどのようなものかなかなかわからないと思いますそれをですね実際会にされているのがこの今前にも出ております屏風絵ですね左に達磨大師がおります飢えた人にの姿を変えているという形になっているんですが右手にですねちょっと白っぽいお着物を着て立っておられるのが聖徳太子ですね傘をかけていただいてますけれどもで一番右端の方には黒駒これ黒くないんです金城コマなってるんですけど黒子ままですまさに聖徳太子がですね植えた人と出会うというこの鬼神伝説の場面を描いているのがこの屏風絵ですでこの屏風絵はですね橋本関雪という明治大正昭和にかけて活躍された日本画家の方の作品でしてあの本物はこんな形でここへ持ってくることができませんのでご覧の複製品ですあの本物は広島県のウッドワン美術館という所にありましてあの実は本物が欲しいc ということでね町長の方もあのいろいろ申しておったんですけれどもさすがに本物はちょっと学芸担当としては扱いが難しいのであの複製品を作りましょうということで複製日をこれ王子町で作りまして今日もて来させていただいてましてこれからあのその達磨寺の方で実際展示をしてですね鬼神伝説の場面をみなさんのたんですかね空想だけではなくてこういう形で実際目にしていただこうという形で使う予定ですですので今日ちょっとこうねど真ん中に置い起こしていただいたので皆さんからしたらもっとあのスライドを見やすくしてくれると思いかもしれませんがぜひこれを見ていただきたいということで持ってきております相次ぎお願いいたしますであの王子町でもう一つ聖徳太子に関わるまあこれも伝承あの信仰の部分になりますけれどもそれがあの雪丸像ですね達磨寺に石造物でう決まるぞという可愛らしい本当に犬の石造物がありますこれも江戸時代の早ければ中期ぐらいに作られたと考えてもいいんじゃないかと思っておりますけれどもこれがきちんと達磨寺の方で伝承記録がありまして犬の柄墓がですね達磨寺本堂の牛とは北東にあると聖徳太子が変わっていたいのでなお雪丸という人の言葉を理解してですね今日読むんだとで自分がなくなる際に遺言を残しておりまして7遺言を残したかというと自分がば達磨大師の王覇彼の北東に葬ってくれと誰も大事なお墓っていうのはあの本堂の下にあるだるま時35分なんですけれどもそういう遺言を残して死んだというも素晴らしい犬ですで実際で戦争の北東にはあのだるま時15分というのがありましてその15分自体がこの雪丸の犬の柄だと考えられたようですなのでしょう特大時ぐらいになると先ほどの斑鳩町のあの馬の黒駒の墓も貼れば犬の墓もあるというすごいやっぱり人別だということになりますこのあの王子町の雪丸の話はですねまぁだるま theoriginal だろうと思っていたんですがよくよく調べてみるとですね白雪バロというこれ鎌倉時代の終わりぐらいから聖徳太子の伝承に聖徳太子でに加わってくる伝説なんですけれどもそれにどうやら本付いているらしいということも分かってまいりましてそれもどんどん調べていくとその行き白雪丸の隠塚というのが今の大和郡山市のところにあるというのも買ってまいりましていや空奈良県はなんかすごいところだなあっていうのをまじまじとあの割ありと感じたというのがあのありますねっはいで次お願いいたしますで次はですねこれはまあ聖徳太子そのものとは関係ないんですけれどもあの王子町には明神山と言っている山が標高20073.6m とあの非常に低い山なんですけれども重宝に優れた山がありますここにあの写真に指名させていただきましたようにもう奈良盆地はずっと北から南まで見渡すことができますし7件海がないんですけども海が見えまして天気が良ければ明石海峡大橋が見えますし百舌鳥古市古墳群なんかも見ることができますそれから法隆寺もですね見ることができまして明神山から見るとですねええ一体斑鳩になぜ聖徳太子が移られたのかああいうところに斑鳩宮それから小あの法隆寺を作られたのかというのが奈良盆地の字形とともによく理解できるところですのでぜひ来ていただきたいと思いますあのここまで話をするとそういえばと思ってい第た方があるかもしれませんが今年の4月でしたかねあのブラタモリで法隆寺の会で取り上げていただきましてお隣の平田さんがタモリさんを案内されておりましたけれどもそこにもあの苗字山取り上げていただいてタモリさん来られて写っておりますので何となく覚えていたられている方もあるかもわかりませんただあのその時も応じ長男ですけども平田さんが案内されてたのであの1個こいつらが超かなって思われた方はあるかもしれませんがあそこは王子町ですので今日はこれだけを声を大にして言っておきたいと思っていますじゃあ次お願いいたしますあの王子町はですねあの冒頭思いご紹介いただきましたが本当にあの便利な街でしてあの鉄道のまちとしてあの栄えてきた町でもありますあの皆さん東京の方ならに来られるときはあの新幹線京都で降りて近鉄特急に乗ってならへ来られる方が多いんですがog かるが後はですねえ奈良県奈良盆地の日誌 no 件看護師にあたりますのであのシーン大阪まで行っていただいてそこからあのくる方があの早いんですね今おおさか東線っていう新しい jr の路線もできましたのでそれでくると本当に非常に便利ですのでぜひ行っていただきたいと思いますしお隣にいかが長の方をがいらっしゃってあまり大きな声では言えないんですが実はあの法隆寺で行くにもですね保留地の駅を利用するよりかは王子駅から奈良交通のバスに乗っていただいた方があのべリーダーです単勝あのお金は余分にかかるんですけれどもあの祝時から歩いたりですねあのバスに乗りよりから祖父からバスに乗っていただいた方が便利よく行けますのでぜひそういった形でもお越しいただきたいなということでとりあえず私からは折らせていただきます動かしますありがとうございます肩書き人の話とそして決まりおりますそしてを自嘲のpr をありがとうございましたとここまでですねを参観たの話を伺ってですね吉村先生少しお話し頂けませんかえーっと実は私あの漫画家の里中さんとかがシンポジウム時々一緒に話をしてるんですけどもサッカーの方と対談したのは僕の同級生に2時から登ると逃げましてそれと2回ぐらい痛いないしてそれはあの雑誌を計算してるんですけれども今日は久々ぶりにというかあの長い道傘を訳してくれなんですけれども古代中世を預かってもらえるという澤田さんが来られまして今後4色物を僕も長生きして全てを示したいというは漫画的事実は何かあったらよくわからないんですけども漫画の影響力がそういうことはから曲本屋さんに行けばところが仏閣っていうのやっぱりサッカー赤坂3-6音楽的事実とか文学的真実て粘るんですねただね歴史をやってるとやっぱりねこうも地震動に対する事実性っていうのをやすぐ戦も大学院からずっとそれをですねあの訓練されていますからなかなかできないただしあの聖徳太子の倍面白い聖徳太子人口というのはこれはまたこれ中世近世大変ないろいろなあのがあるんですけれどもこれはやっぱり一つの歴史的な人間からやるものとそれからまあ作家の人から表彰特待進行ってのもっとリアルにどういう形でね現実の羽根できるかっていうのこといや僕はもう今はあの200名しか出来ませんけれどもと言いますのはあのなかなかそのサッカーと主張して書くのが結構難しい面があるかもしれませんしまがたと私が山やヘットなんとかえええ山岸力さんのやつ最初みましたけれどもただねそうあの有名ですが難所かなんて言うとや面白いけどちょっとこれ一枚兵じゃないかという以外にも思いますけれどもただあの僕はあの中学高校がたまたま天王寺区にあってあの辺りはもう非常に応じちょっとに近いものですからまあ今日動作がそうだてなんですけれどもあの非常に場所からいっても実は面白いと思うのはですねあのまぁ日本の場合ちょっと飛鳥奈良時代からまあ平安の公家社会になってまぁ特に増え社会っていうのは基本的にはあんまりアスカ何も取らないんですよこれあの平安時代の研究者の人が入ってるんですけどやっぱり公家文化っていうのはせいぜい弊害所儀式のないとだから遊ばないっていうのは最近いろんな方が万葉集が明治になって発見されたりという話をしましたが出てきておりますけれども結局明治天皇っていうのはあのお城やの嬉しいお歯黒だったんですねでもあの即位したからやっぱり対外関係なんかを持つときにやっぱり軍服を着てやらなくちゃないとところが彼はどうもいい瓶追加をしてるから写真なほとんどライズに山前かなみんなへ向いてもやったら御真影出ないんですよね本当はえーなんですけれどもまあそういうこともあるんですけども実はあの幕府が江戸にあった幕府はですねあのも儒教はですね樹冠が重んじるわけですねでもちろん話す時間がありませんですね話林羅山なんてのはショート答えしをボロクソ言ってますよところがあったから江戸時代のソイ儒教の影響を得てどのぐらいまであったかを考える時に息を入れる話は聞いてみたら少なくともならなんかにほとんどもなさそうでそれがなぜこういう賞特大し全勝として方を登ってくるかみたいな事もやっぱり考えていけば面白いんじゃないかっていうことが一つとそれからちょっとご注文しても申し上げないんですけども蘇我馬子馬の仔が本当だと思うんですけど馬という名称をそれから厩戸なぜくるもあるのかデブ民に馬回べっていうのはありますけどまではもっ前からあるから僕は馬をつけるのは別の意味じゃないかと思ってるんですけどねだからそういう意味で僕はなぁ正義ぐらいになると大和さん取って道ができますよねああいう新しい交通路とかねまあそういうモノをちょっと注目してやればいいかと思うんですけれども束感っていうのは日本書紀一箇所しか出てきませんのでまあ実はよく分からないんですけどどうもでも7世紀はちょっとそういう時代でその後日本文化はだいたい9秒文化になってしまいますからアスカならが本当忘れ去られた時期があって明治になってまた再発見というのが最近のまあを万葉集発見されるとかねこの品田さんという投薬を many 方がやってもらいますけれどもだいたいまた明治の財布を買った飛鳥奈良時代っていうのは関係があるかというふうに思うんですけどもまあそれから言うとやっぱり歴史なんというのはある意味では現代史な粉一生懸命子なんですけれどもどう僕みたいに古代史の事実分かりa こだわっているとやっぱりサッカーさんの影響力のほうが大きいを秘宝安のでもうちょっと勉強しだして開けようです構想力にもね動くは音なさすぎます融雪ありがとうございますじゃあさあさあいかがですかそうですねあの私子あの大学院まで古代史やってましてやっぱり史料批判っていうのを叩き込まれてきているので聖徳太子を書きづらいと思うひとつがやっぱり日本ショッピをどういうふうにその史料批判すべきかっていうところで私なんか止まってしまうのですよね生事故聖徳太子研究というのは非常に進んで今でも号次々新雪が出るがゆえになかなかこうちょっとどこで思い切りをつければいいのか狡猾で学んだ古代史研究者のあの卵だたちが小説家のちょっと押さえつけてお前もうちょっと真面目に勉強していると毎回毎回こう自分の中で言われるような気がしておりますやはりあの近代以降先ほど召しませんでもお話ありましたけど美術の分野なんかでをまったり橋本関雪中はそうですが近代日本画分野がものすごくこう答え市の風俗研究とかを始めておりましてそれ何か今私全く別の作品で明治大正を与える日本がの話やってるんですけどそちらから見てても狡猾てのあの近大から見た古代っていうのはまた待った前年別のて当時の小説敵がまたこう答えの話を書いてみたりとかそっちのからも非常に面白くって10水にこう聖徳太子の時代を書くだけではなくそれ以外の人たちが聖徳太子の時代をどういう風に見てきたのかっていうのもまた一つこう小説になるんじゃないのかなと思うとなかなか方聖徳太子を取り巻くところではこれもも小差でも面白そうと思ってなかなか浮気してあの当の本人のところにいけないっていう後あのーやっぱ聖徳太子西言うほどあのお話もありましたけど雪丸だったり甲斐の黒駒だったり行動物現象が絡んでくるのは非常に興味深いなぁと思うのです行為現代の日本人が古代人のシアの精神性を理解するってなかなか難しいと思うんですがペットとしての雪丸とか通してしまうとものすごくを身近に感じられると思うんですよねそれに乗っても大聖徳太子っていろんな切り口がある人物だなっていうふうに思っておりますありがとうございます廣田さんお二人に何か質問とかありますか雫そんなお子が待ち時間ですまあ今ねあの吉村先生とかあのちょっとお話しを伺ったのは手間確かにわたしたちはどうしても社会科学の中の歴史学でしかもまあ高校がこう言ったら実証に基づいたみたいながありますのでどうしてもその学問上で言いますとまぁいわゆる効果たいというかねしょうもないというかまぁ話とってもあまりちょっと眠い2号入ってこないというようなことがあるんですけどやはり施工私はちょうど聖徳太子のそういった公ゆかりの街を携えて頂かせていただいてますと例えばイカルガミアの範囲もほらしていただくことがあればやっぱりちょっと答えしの時代のものが出ればそれでいい受けを感じることができますしまたあの先ほど紹介しました髪相席いうのは実は私があの発見しました遺跡でまぁ聖徳太子の五輪時のみ愛というものは今のとこ見つけてませんけどおそらくその時に使っていたであろう食器はすごい白骨なんかするわけですねそうしたときに仕事こ対し待ちます強さも持つこのヤマシロエのがまあコラボされたというかね蘇我いるかによってまぁ刺激されてあの所合計がまぁ一応滅亡に追いやられるわけですけれどもそういったものの歴史の舞台というのを携わらせていただいたまあそれを勝ち取ってなるべくそれを皆さんにリアルな状況で勘弁したいなと思っているところですそういった時に今日テーマになっているますとようなまぁあの実像と伝承というところでいきますと実像はここはこの遅いたデータからこのようなことが正考えられるのではないかということで最近でもあの643年にあの斑鳩宮が消失したときにあの生じたであろう焼けた壁土を封じさんの協力のもとねあの見つけるようなことができてあのひとつごー皆さんに歴史的にあの伝えられている中を方が自己紹介できるようなところがまあその一方で今あのさぁ先生吉村先生がおっしゃっていただいていたりの正伝承に基づくですね人と答えしいうのもですねこれはあの本当にあの電車から中て綱を切り捨てるような話ではなくてずっと面々と現代まであの伝えられてきた所得等にゆかりのまあそういったお話ですのでまあそういったものも際気にしながらあの斑鳩町としてはですねあの聖徳太子の街としてですねあのそういったものも高台雪にしてまああの pr に努めているところであります以上ですありがとうございます岡島さんこ実像と交流省の狭間でどういうことを考えなっていますそうですねあの王子町で言いますとまぁ先ほどは雨の伝承の方中心にお話しいたしましたけれども実像の方で言うと今日吉村先生の方からも触れていただきましたが西暗示とかたほかを王子というお寺がありましてこの2つのお寺はですね一応まあ聖徳太子が作ったという46のお寺の中に数えられておりますただそれはの伝承の中で言われているところではあるのでそのまあ信用するわけにはいかないんですが今現在再暗示を発掘調査続けておりまして発掘調査はしておりますと若草柄保留地若草伽藍で使われていた瓦と同じ版を使って作ったの瓦がサイアン力も出てまいりましてやはり聖徳太子とかなり直し関係の中でお寺が作られているんじゃないかというようなことが考えられるようになりましたまた方を候補地についてもですね小説ありましてその小説の中には聖徳太子の娘さんに方他情報という方がいらっしゃってその方を過剰桜が立てたんじゃないかというような説もありますこれもこれからですねこの片岡王子については発掘調査していける機会があるかなと思いますのでまああの実像があるからこそやっぱり伝承が生まれてくるんじゃないかと思いますので王寺町の雪丸にしてもやはり火のないところに煙は立たずじゃないでですが何かやっぱり縁があるからこそ伝承が出てくるんだろうなということで正宝地町の方でもこれから実像の方にも迫っていきたいというふうに考えておりますありがとうございましたまことに申し訳ありませんがあっという間に時間がやってまいりましたyeahこの時間35分あまり本当に申し訳ありませんけれども最後に一言ずつお話をいただきたいと思います質は平田さんからお願いしますまあ本日はですねあの歌い通りでていますよねまあもう次長のあの王子町3-ねあんこ pr 授業ということで本日よさせて頂いてますのであの先ほどお義婆さんの方からもそんなまた逆にご配慮いただきましたけれどもまああの王子町にも来て頂きたいですけど a n 42021年はあの聖徳太子1400年御遠忌ということで100年に1回のねすごく大きなあの二修行儀式がま執り行われる予定ですまああの本日も話題になってましたけどもこの新型コロナウイルスの音感染拡大の感じで行きますとどうしていくのかというのも心配されるところでございますけれどもポールさんに最近もうちょっとお聞きしましたら宗教儀式としてはまあ粛々とさせていただくということであのご返答を頂いてますのであの本日ねこちらの a あの会場に来られた皆さまにおかれましてもですねあの次長にも傷つ斑鳩町にも足を運びたい行きたいと思っています以上でありますありがとうございましたほか者さんお願いしますはい私のほうからもですね来年は1400円のご恩義になりますのでぜひともあのをお越しいただきたいと思っておりますあの王子町だけに限らず王子町はまああの拠点になる役のある地域ですのでまあ j 機を利用しながらですね県内各地めぐっていただけるとありがたいなと思っております以上ですケシクズ8さあ澤田さんお願いしますはいすいません私王子町でもいい狩留賀町でもなく京都府京都市から参りましたのでどちらぞ何と言いますかあのぜひあの領地両足がロー調理といえなちょっと言いづらいのは何なんですがあの私自身こう歴史を陥れば知るほどこうかぶのことが身近に感じられてすごく今から先をがあったのシミになるんですよねなので凍っを言ったこそ取手づらい時代今人と関わりづらいちっで時代だからこそそのまま品だったり肥料だったりそういうことにアクセスしやすくなっておりますのでぜひぜひあの新型コロナ放置ついた2月にはを歴史を楽しめるようにあのこういった機会やいろんなところ歴史に触れて頂けると嬉しいなというふうに思いますありがとうございます usi マーレは2400年ってことですけど祝の方はちょっと私館長さんと話した時に癖が塔ですねをが臭がらの礎石を今年か来年ぐらい公開するように話をされていましたのでなんかできたら有力したいという話もありましたけれどもそれからの東京の方ではまいうぇい報道がされなかったんですけどもアスカのな中尾山古墳というのがなんか見事なものが発掘されたようでありますし園地以降もですねソフト整備されてきてますねですからぜひあの子の中が落ち着きますとですねあのー広隆寺アスカに入っていただけたと思いますしお料理扱い行く時には意外と天王寺にホテルがいっぱいありますし近いんですよそれがあの完済するんだとか今あの顎へとしてんですかだからそういう名称で私が使っておりましたのでぜひなら京都に戻るのも大変かと思いますのでだいたい20分くらいですかねあの祖父からですから天王寺阿倍野界隈はまあハルクそのアベルはるかつまりますけれどもいいと思うんですので本当是非行かれてないっていう僕も実は明神山のときに一度あの自重で話をした時に誘われたんですけどもうちょっと別件がありましていけなかったんですけどもこれはできましてまぁいう形でありましたけれども確かで見事なものですねたまたまのあべのハルカスはよく見えるんですけれども明石海峡大橋はちょっと見えなかったんですけども淡路島まで見えるんですやっぱりこれはすごいかと思いますし十穀通りでですか十谷見えるという中膝も見えるらしいんですけどねこれはぜひ安部から箇所まだ残ってるんですけどもあのおそらくあべのハルカスはヤマトが見えないですので膝が見えないと思いますのでぜひアナツアーも良いんです米おそらくやっぱり上のほうがいいんですよねだからまあ皆さん一緒にコロナを退治してですねぜひお子町に行きましょうたいありがとうございますeager ですでしょうか聖徳太子の実像とその伝承についてその一端が少しでも伝われば幸いです混乱で大変な時代とありますけれども先ほど吉村先生皆さんおっしゃっていただいたように機会を見て是非王寺町訪れ停滞に行かれた庁を訪れていただきたいと思いますご静聴ありがとうございました先生方ありがとうございましたありがとうございましたそれではパネリストのみなさまコーディネーターの咲月さんありがとうございましたどうぞを講談ください皆様盛大な拍手でお送りくださいませんありがとうございました