福島県の美

 白河の関、勿来の関でも知られるように、福島県は東北地方のなかでも南端にあって関東地方と接しており、歴史的にも文化的にも東北固有の風土に育まれながら、中央の動向を密接に反映してきた側面がある。とりわけ近代以降、美術においても本県では〈東北〉と〈中央〉、双方の特質をしたたかに受容することで成立してきたといってよいだろう。

 まず大正から昭和初期にかけて、中央で活躍した美術家を挙げておこう。天折の画家として知られる関根正二は幻想的なヴィジョンを絵画化して大正洋画に異彩を放つ存在である。《姉弟》に見られる幼児期への憧憬は、郷里白河への追憶と重なってノスタルジックな世界を形成している。酒井三良もまた、郷里会津の風物を描いた日本画家であり、《雪に埋もれつっ正月はゆく》には雪国の厳しくも穏やかな日常が描かれている。

 相馬市に生まれた佐藤朝山は日本橋・三越本店にある巨大な《天女》像で知られる宮彫師の家に生まれ、渡欧してブールデルに師事した朝山は、東西の美意識の融合を目指してわが国近代彫刻の草創期を支えた。このほか、浪江町出身の宮川教助、会津若松市出身の渡部菊二も個性的な作品を残したが、ともに早世したことが惜しまれる。

 福島県は、太平洋沿岸部を「浜通り」、内陸部を「中通り」と呼び、「会津」を含めて大きく三つの地域に区分される。いずれも気候も気質も大きく異なり、それぞれに特色ある文化圏を形成している。会津坂下町生まれの斎藤清は独学で木版技法を習得し、戦後に海外で受賞を重ねて注目を集めた。ライフワークとなった《会津の冬≫は足かけ半世紀近く制作されたシリーズである。作家のフィルターを通して再構成された画面は類型化された雪国のイメージを離れて、清新な風景観を提示してくれる。 石川町出身の角田磐谷は昭和初期に帝展で活躍し、疎開を機に戦後は名勝・須賀川牡丹園近くにアトリエを構えて牡丹の写生に没頭した。《福島八景十勝》は1947(昭和22)年に地元新聞社が公募した県内観光名所の投票企画で選ばれた景勝地を描いたものである。なかには東日本大震災の津波被害によって景観の一変した浜通り地域の風景も含まれ、震災後これらの作品には記録画としての性格も付与されることとなった。

 福島市出身の吉井忠は、〈東北〉と真正面から向き合いながら社会派リアリズムの画家として息長く活動した。戦中から戦後にかけて東北各地の山村、漁村を足繁く取材した体験は1960年代以降になり、風土のコラージュとも言うべき独自の画面構成へと結実した。《百姓祭文≫に描かれるのは自然と人間が混然一体となった東北の自画像である。 そして吉井に続く世代の洋画家たちは、県内各地を拠点に旺盛な活動を展開していく。いわき市の若松光一郎は「ユマニテ会」「いわき美術協会」を率いて郷土の画家たちを牽引した。1956(昭和31)年には佐藤忠良、朝倉摂ら在京美術家たちのスケッチ旅行のために常磐炭田を案内しても)る。《ズリ山雪景》のほか佐藤忠良《常磐の大工》はこの折りのスケッチをもとに生まれた作品である。岩手県陸前高田町に生まれた松田松雄も同じくいわき市で活動した。モノクロームで描出されたその象徴的な絵画世界は、2015年岩手県立美術館で開催された回顧展によりその全貌が明らかにされた。 郡山市で長く教鞭を執った鎌田正蔵は、杉全直らと前衛絵画グループ「貌」を結成するなど戦前期にはシュルレアリスムの画家として活動した。《鳥が落ちる≫は副題にチェルノブイリ原発事故発生の日付が添えられた、予言めいた作品である。伊達市を拠点にした三重県四日市市出身の橋本章は、「福島青年美術会」「新作家グループ」を率いた前衛画家である。橋本の創作活動の根幹には応召体験に基づく反骨とユーモアがあり、《武装する都市》に代表されるバイタリティあふれる世界を表出した。 またいわき市出身の田口安男は、ローマでテンペラ技法を学び、わが国に黄金背景テンペラの技法を伝えた先駆者である。〈手〉の主題を自在に繰り広げる田口は、《手のうら焔》で手と焔が複雑に絡み合う呪術的ともいえる表現を切り拓いた。同じくいわき生まれの彫刻家・北郷悟は、テラコツタ技法による具象彫刻で知られる《空から一風》では古典的な表情をたたえる人体と大きくデフォルメされた衣装が軽やかな対比を見せる。

 本県ゆかりの美術家として、ともに東京出身ながら長らく福島に拠点を置くのが画家の斎藤隆、彫刻家の安藤栄作である。斎藤はコンテ、墨を使って和紙に人物像を措く。7点から成る《貌》連作では、老人の風貌を捉える鋭い筆敦が人間の本質をあぶり出すような冷徹さと親逸さを兼ね備えている。一方、安藤は流木や廃材を紀で削り、具象とも抽象とも言いがたい原初的な形態を生みだも奇しくも二人は被災によって移住を余儀なくされ、欝藤は引き続き県内に残ったものの、安藤はアトリエを津波で流されて作品の多くを失い拠点を関西に移している。 震災と、それに続く原発事故により甚大な被害を受けることとなった福島県。伊達市ゆかりの写真家・瀬戸正人が2013(平成25)年9月の個展で発表した《cesium−137Cs》連作は、見えない放射性物質を追って県内各地に取材した作品である。白黒で捉えられた水底の風景は異形ともいえる自然の表情を映して、震災後の風景をあぶり出丸震災から5年を経ても福島をめぐる状況は今なお混迷のさなかにある。美術家たちの営みもまた、迷いと戸惑いの途上にあるのだろうか。

宮武弘(福島県立美術館)