ぎざぎざ

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 表面をのっペリさせないために、ぱたぱたさせたりぎざぎざさせたりします。面が大きくなると、どうしてものっペリした感じになって、隙間をあけるだけでは十分にばらばら感が出てこないので、ぱたばたさせたり、ぎざぎざさせたりします。

 ぎざぎざは角がとんがっている感じで、つんつんに通じるものがあります。皮膚が薄くやわらかいときは、ぱたぱたでいいのですが、皮膚が厚くて硬くなってくると、少しぎざぎざさせたくなります。ぎざぎざさせて、とんがった先端をつんつんさせないと、粒子感が出てこないからで丸屋根の場合、防水層や断熱層が必要になるのでどうしても厚みが必要になり、硬くて重たいスキンになりがちです。だから、ぎざぎざした処理が必要になります。

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 石という重たく厚みのある素材でつくった「ちょっ蔵プラザ」では、壁をぎざぎざさせたくなりました。もちろん、ぎざぎざさせることは、ぎざぎざを構成する斜材によって、壁面をリジッド(① 厳密,厳格であるさま。 ② 固定していて動かせないさま。)にするという効果があり、ぎざぎざは構造性的剛性を獲得するためにも有効なのです。

▶ちょっ蔵広場  /  ch0kkura Plaza

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大谷石を積んでつくったか米蔵を保存し、それを中心に、コミュニティの核となる、新しい駅前広場をっくった。敷地は大谷石の石切り場に近く、既存の米蔵も大谷石を積み上げたたものだった。大谷石はきわめてやわらかいぼろぼろな石で、土と石の中間のようなものだと感じた。そのやわらかい物質にぎざぎざとして鋭角的な物質感を与えようと考え網目状鉄板と石を組み合わせた混構造の壁をつくって建物を支えた。

▶十和田市民交流プラザ

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 十和田市の中心商店街を、地元のスギ材でつくったぎざぎざして暖かい建築によって活気づけ、元気づけようと考えた。ストリートを建築の中にまで引き込み、その内部化されたストリートでも、屋根のぎざぎざが感じられる平面計画とした。 

 子どもたちのためのプレイルームの床は、スギを積み重ねてもこもことした丘のような形状として、天井のぎざぎざと床のもこもことが、建物の中で響き合っている。スギ材の羽目枚をランダムに張り付けることで外壁全体にぎざぎざとしたリズムを生み出した。

■ざらざら

 物質の表面がざらざらしているか、のっペりしているかということに、僕はとても関心があります。粒子と粒子との間に隙間が十分にある状態、すなわち、生物にとって、自分の居場所がある状態がばらばらです。

 その粒子にさらに近づいていくと、その粒子の表面の性状が見えてきます。ざらざらしているのか、のっペりしているのかが見えてきます。ざらざらしているというのは、粒子に近づいた結果、ズームアップされ、認識のフレームの転換がおきて、表面に隠れていたさらに細かい粒子が見えてきたということです。

 これは表面に近づいたともいえるし、自分という主体がより小さくなって、表面に存在していた、より小さな粒子の隙間に気がついたともいえます。粒子との距離と、粒子と主体との大小関係とが、分ちがたくからみあっているわけです。さらに主体が、粒子に近づいているのか、遠ざかっているのかによっても、ざらざら感は微妙に変化します。すなわち大きさと距離と速度は、独立したパラメーターではなく、互換性があるわけです。

 アインシュタインが物質とエネルギーは独立したパラメーターではないと発見したように、ざらざらという概念を媒介にして、寸法と距離と速度とが融け合っているわけです。主体の速度によって物質が主体に対して、違う速度をもって出現するということを僕に気づかせてくれたのは、ドゥルーズです。

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 水は液体であったはずですが、高いところから水に飛び込むと、水は主体に対して固体として出現します。すなわち、液体対固体という対立すら、速度によって融解してしまうというわけです。さらに、ざらざら感において僕が注目するのは、物質と、その隙間(気体、あるいは液体)との間に生じる圧力との問題でも物質の内圧が高く、膨張しようとしている状態にあるのです。それとも隙間の内圧が高く、物質がつぶされようとしているのかということが、ざらざらの形状、ディテールによって判断できるのです。


 古代ギリシャ、ローマにはじまった古典主義建築というスタイルは、物質の内圧に対して、きわめて敏感な建築様式でした。古典主義建築は、ドーリス式、イオニア式などと呼ばれる5種類のデザインの柱を使い分けて、建築に独特のキャラクターを与えるシステムです。その5種類の柱は、それぞれ固有の断面形状、すなわちざらざら感を有しています。パルテノン神殿の柱は、ドーリス式と呼ばれる断面形状を有し、エッジの立った、ざらざら感を持っています。

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 逆に、イオニア式と呼ばれる柱は、ざらざらしてはいますが、表面から刻まれたような、反転したざらざら感を持っています。ドーリス式は、物質の内圧が高いことによって生まれたぎらざらで、逆にイオニア式は、隙間の方の内圧が高いことによってつくられたぎらざらです。古典主義建築では、柱だけではなく、基壇と呼ばれる、建築と大地とが接する部分で、様々な種類のざらざらのヴォキャブラリーを有していました。ラスティケーション(粗石)と呼ばれるヴォキャブラリーは、物質例の内圧が高いことを示しています。石が爆発したような感じです。逆にバーミキュレーション(虫喰い)と呼ばれるデザインは、隙間例の内圧が高いことを示しています。隙間に生息している虫(生物)の元気の方がよくて、物質を食い荒らしている圧力関係が、バーミキュレーションによって、建築の中に刻印されるのです。単にさらさらなのか、のっペりしているのかということが問題なのではなく、さらさらの種類が問題なのです。生物と、そのまわりを取り囲んでいる物質との関係が、ざらざらという形で出現するわけです。簡単にいえば、隙間に棲む生物の元気さが、ざらざらした表面に刻印されるわけです。

▶メッシュ/アース Mesh /Earth

 都市の中の緑溢れる公園の中の梅林の中に融けるようなヴィラをつくった。四角い箱状のプランをもつ建築を梅林になじませるために、メッシュ状の、あいまいで半透明なファサードで箱をくるんだ。

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 10×10cmのグリッド状のメッシュを3層、グリッドの方向をずらしながらファサードをつくり出すこで、うぶ毛が生えた生物の皮膚のような、奥行きのある、ふわふわとした外壁をつくり出そうと考えたこのステンレスメッシュに、さらに土や砂を吹き付けることで、硬くてつるつるしていたステンレスメッシュが、ざらざらとした毛深い印象を持つ、布のようなものへと変身した。布もまた、そもそもは線であるが、それを編むことによって、身体をやわらかくくるむ、もやもやとした、3次元の厚みへと転換される。ステンレスに土を吹き付けて、ざらざらとさせることで、同じように線から厚みへの転換がおきた。

▶PCガーデン /   mg_0831106pc-garden-house-in-japan-by-kengo-kuma-yellowtrace-09 mg_0743 mg_0739 mg_0703 mg_0687 mg_0594 mg_0576 mg_0567 mg_0560 mg_0555 leibal_pcgarden_kkaa_5 kengo-kuma-pc-garden-house-designboom-05 

 太平洋を見下ろす崖の上に、棒状のプレキャストコンクリートを束ねて、小さなヴィラをつくった。崖の上の敷地に、大きなユニットを運び込むことが不可能であることがわがノ、小さい部材を現場でたばねて、環境に融け込お、ヒューマンスケールのヴィラをつくりあげた。

 4種類(幅が85mmと135mm,厚さが180mmと220mm)のプレキャストコンクリートの部材をPC鋼線を用いて束ねること棒状のサイズの異なる部材が集合した、ざらざらとした構造壁をつくることができた。木造住宅のもつぱらばら感とざらざら感と陰影とをプレキャストコングノートというエ業素材を用いて、達成することに挑戦した。

中国美術学院民芸博物館 

 杭州近郊の茶畑の丘に、丘のやわらか、断面形状をなぞり、地形と寒築とが融け合うようなミュージアムをつくった。四角い部屋をっくらず三角形と菱形を平面計画の基本けることて地形をピクセル化したプランニングが可能となり、さらに全面時に床を傾斜させることて丘を散歩するようなアートの体験が実現した。

 地元の民家に使われていた瓦をステンレスワイトで吊って、ぱらばらとしたスクリ−ンをつくった。屋根もまた、三角形の複雑な形状に古い瓦がうまく追従してくれた。青い瓦の寸法のバラつき、色のバラつきをさらに増幅するようげィトルを追求することてモダンなつるつるとした建築とは対極呵仁ざらざらした印象を獲得することができた。

古瓦という徹底的にリアルな物質を用い、変化に富んだ地形、多様な自然を、均質化することなく、ピクセル化した。

建築のスキンがざらざらとしているだけでなはなく、平面計画も断面計画も、小さな単位ががたがたとずれながらつながって、ざらざらとした全体が生成される。

丘の上から古瓦で葺かれた屋根の連なりを見下ろす