平屋設計プランは、高齢化社会に対応した
設計を目指し、高齢者(夫婦二人)に優しい
バリアフリー、ワンフロアーなど
老後のライフスタイルを考えた終の住処に相応しい住宅です。
67坪の敷地で平屋を建てる。北側玄関近くを寝室とし、畳のある和室で障子と襖は落ち着きのある空間となっている。 最近、平屋の人気が静かに高まり、その間取りも従来の和室のものから現代和風の平屋にする人が増えている。
ワンフロアーの間取りの中で、動き回るのにも段差を必要としない平屋は、高齢者に優しい作りの家を考える。 バリアフリーの住宅は、平屋の大きなメリットである。高齢者の夫婦の住む平屋プランは、負担のない暮らしを考え、年齢を経るごとに身体の不自由さを考慮した。
また、些細な段差を回避するためにも、高齢者用の住宅は、防災や健康面で「安全第一」とし、高齢者が毎日暮らしやすさが重要である。 動線は、家族によっても変わってくるので、リビング、ダイニング、キッチン、浴室、トイレなど日頃どんな風に過ごしてきたかをプランに生かすことが大切である。 施主が、建築家と将来のライフスタイルを十分話し合い設計に生かすことが必要である。平屋は、収納が少ないため不要なものを整理して住むというメリットにもなる。
小さなスペースをいかに活用し、住み心地の良い家を作ることに最大限生かした。良い工務店を見つけ、良い設計者を見つけること、そこから既に平屋作りを始めた。 いろいろ悩むことで、自分たちの理想の住宅を実現した。
平面図では、南北L型の反転した外観である。屋根は緩い傾斜をしてほぼ水平にちかい。壁面は黒色ガルバリウム鋼板で覆われ、全体的にブラックでまとめられている。
南側は、西側にリビング6帖の和室、東側に畳6帖の寝室である。トイレ・浴室は、西側に位置し寝室から数歩で利用できる範囲にあり、東側・南側とちらかも自由に移動できるバリアフリーの空間構成になっている。
老後のライフスタイルを見据え、浴室・トイレに手摺を設置し、車いすの生活に対応できる工夫をしている。道路東側に駐車場を配置し北に向かって15㎝の高低差の階段が三段あり東側玄関から西側にドアがある。
玄関を入ると北側にはストレートに廊下と収納が目に入る。左に向かってワークスペースとリビングスペースが設置されている。天井には、表わしが南北に配置されている。
昼は、主にリビング和室でテレビ・インターネットなどでくつろぐことができ、客の寝室もかねている。ワークスペースでは、絵画制作、読書、裁縫などできる自由なスペースである。
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工事場所:土浦市荒川沖242 荒川沖ウッドノート地区 住宅地内の道幅は6mとなり自家用車の往来にゆとりのある道幅である。平日は、ほとんど夫婦共働きが多く、 いつも静かな住宅地である。ペットを飼育している家庭が少なく車2台は所持しているようである。ポーチに郵便受けと表札・インターホンが設置されている。 窓は少なく、曇りガラス・フィックスタイプで防犯対策をしている。庭には、5坪程度の芝生をもちベランダとテラスの物干がみられる。
建物は、工務店・ハウスメーカーに依頼した総二階住宅が多く30~40代の家族のようである。近隣には昔から田畑と森林があったせいか田舎の面影を残す穏やかな風景が今も見られる。
地盤は、地面の深さ2m前後は粘土質(腐葉土混在)である。敷地には1mの高さのフェンスで囲まれ隣の敷地との境を明確にし、建築物は敷地周囲1mを開け る町づくり協定で定められている。これは、土地造成不動産会社クラフトにより売買契約時取り決めとなっている。カーポートは設置しないこととなっているが 数件みられる。
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2011.7.23土浦の家2 地鎮祭&岡田工務店工事中。台風6号の南下とともに無事地鎮祭を終えることができました。これもひとえに飯田設計事務所・岡田工務店の皆様方のご協力の賜物です。
67坪の敷地の草刈りを無事終える。前日は台風のため猛雨が振るい敷地も雨で濡れているかと思いきや当日やや風のある晴天に恵まれる。神主様より準備をしていただき祝詞をあげていただきました。
写真の通り立派な笹のある竹4本四方に囲まれた神殿で地鎮祭が滞りなく無事終えることができました。参拝にはしっかりと建築工事の安全祈願を祈り二礼二拍手一礼の作法をしました。とても厳かな儀式でした。
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鋼管工法による基礎地盤沈下防止を行う。杭径114.3∅ 杭長4.0m 本数29本 羽根材(杭先端)29本 地盤保証費 ハウスワランティ ※認定工法ではない。
文字通り地盤に鋼管杭を打ち込んでいく工法です。基本的に土と鋼管との間の摩擦力によって沈下修正を行い、その後の沈下を食い止めます。
この工法は、沈下修正の精度も高いのですが、地盤を改良しているわけではないので地震などによって地盤に変化があった場合に影響を受けやすくなります。
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岡田社長をもとに現場監督が式を進めました。上棟式は、屋上西向きに拝殿を配置し四方の隅に塩をまき、棟から清酒を流しげんのうで横柱をたたき安全祈願を込めた後、最後に施主・監督・棟梁一人ずつ酒を酌み交わし儀式を無事終えました。
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外壁の構造用合板がすべて張り終わってサッシが付いたので外壁工事の段階になりました。外壁の材料はシルバーのガルバリウム鋼板。
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工事現場の仮設足場材組み立てと補強もしっかり管理されている。防火災害設備の材木廃棄材庫管理もなされている。 妨蟻塗装も終わり工事も順調に進んでいる。内装材料も搬入され保管されている。中村現場監督にて管理されている。10/13から床板張りの作業が開始される。 工事の工程表とおり順調に進行している。
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書庫及び生活用品収納庫は、ワークスペース北側壁面奥行き600 2730*1800東西方向に位置する。西側高1000の棚に電話・インターネット通信のADSL/ルーター端末設置する。 ここから寝室・リビング・キッチンに端末を屋内配線する。
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電気の配線工事が主体。電柱からの引込み工事やコンセントなどを取りつけます。照明器具も扱います。 町の電気屋さんのような家電製品は普通扱っていません。クーラーなども電気工事のように思いますが空調工事屋さんが別にいるのが一般的です。
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いわゆる水道屋さんの工事です。給水・排水・給湯工事を担当します。「衛生」というのは、洗面器や便器、水栓金具などの器具工事のことをさします。 最近、水回り設備が充実してきたので、給排水衛生工事費が住宅に占める割合は大きくなっています。
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外構とは、歩道や道との境界に作る塀や生け垣(これはガーデニングと区別が付きにくいけど)玄関へのアプローチ、駐車場や門扉、花壇や庭の大枠を外構工事 と言います。その他にも、飛び石や砂利敷き、土地の水勾配やU字溝、人孔(マンホール)やメーター類の移設も外構工事に入れても良いでしょう。 それでは、ガーデニングとは何でしょう? 生け垣もガーデニングに含まれるでしょうが、花壇の中の花木、芝やプランター、寄せ植え、小物を庭に配置したりと言った、庭を彩るのがガーデニングだと私 は思っています。 極端に言えば、家を守り生活に必要な屋外の施設を作り、庭を作るのが外構。その庭を彩る心の余裕がガーデニングと言えるでしょう。 またガーデニングはいつでも始められますが、外構は、家を建てる計画の前に考えた方が良いと言うところです。さらに、ガーデニングはしなくても快適な生 活はおくれますが、考えて外構をしておかないと、生活に影響を及ぼすばかりか、家自体にも悪影響をもたらしてしまいます。 私は、外構は家の基礎工事と同じ位重要だと思っています。初めの題にある「自分で出来る外構」と、反した事を言う様ですが、つぼを押さえて施工すれば、 決して難しい物ではありません。 このホームページで少しでも皆さんの家と外構が、オリジナリティー溢れるすばらしい物になればと願っております。(おおげさですか?ですよね~) 建ててからではもう遅い外構工事 皆さんの家族構成は何人ですか? 車は将来何台になりますか? 敷地に面した道路は幅何メートルですか? 土地の高さは? その勾配は? 隣との境界は? 家を建てる時、上記の事を考えずに建ててしまうと、後々後悔してしまいます。家族が増えれば、駐輪・駐車スペースが必要ですし、家を建てる前に土地の勾 配や敷地の高さを考えなければ、排水の悪い、じめじめした家になってしまいます。また、雨で敷地内の土砂が流失して、家が傾くなんて事もあるのです。そん な全てを解消するのが、外構の計画であり外構工事なのです。 家の計画をする前に、その土地には、どの位の建坪(総床面積ではなく家が建つ面積)の家が立つのかは、法律でも定められていますがその他にも、 駐車の しやすい駐車場の位置や向き。台数の応じた広さと車の大きさを考えたスペース。玄関の位置と門の位置関係、塀を作るのなら塀の厚さと、それに伴う壁面後退 分。等、家を建てる前に考えなければならないことはたくさんあります。ハウスメーカーに家の間取りの計画を頼んでも、外構や全体の景観を考慮してくれる業 者は少ないと思います。ですから、家を計画する前か同時期に外構の計画をしておいた方が良いと私は思います。
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水戸街道が慶長九年に開通したとき、 荒川本郷から移住した有力農民七戸が街道沿いに宿場を形成したのが村の起こりで、 いわゆる荒川沖宿で水戸街道二十宿の一つである。
この駅は茨城県土浦市にありますが名前の元は隣町の「稲敷郡阿見町荒川本郷」と関係があります。 江戸時代以前、この一帯は「荒川野」と呼ばれていました。
これは川(実際は乙戸川や霞ヶ浦と牛久沼)が頻繁に氾濫していた為一帯は年中水に浸かっていました。 この様子から「荒れる川の野」「川に荒らされた野」と言われたのが始まりらしいです。 その「荒川野」を沖に見る地区が現在の「荒川沖」です。
江戸時代には水戸街道の宿場町となっていました。 年中川が氾濫する地区を避けて街道が通っていたためです。 駅名はここから付けられたとされる。あるブログより検索する。
荒川沖は、阿見町荒川本郷から分かれた集落で、荒川本郷から遠くに見えるところから"荒川の沖" (沖:遠いところの意味)と言われ、水戸街道の歴史と共に歩んで来たところである。
■水戸街道と共に栄えた庶民の宿場
もともと水戸街道は、鎌倉街道の脇街道として、水戸道中とか江戸往還などと言われる細い道が通っていたが、 徳川家康が江戸幕府開設早々の慶長九年(1604)7月から同14年12月にかけて、直轄工事でまっすぐに改修したものである。
荒川沖と牛久間の改修については、牛久藩主山口重政がその任に当たり、完成後慶長15年11月荒川道取締りのために、 領内の信田郡荒川村(阿見町荒川本郷)の有力農民7戸を選んで、ここに移転させ、藩の役人の下で街道取締りに当らせた。
そして街道用務の増大に伴って、領民を張りつけた。
寛永8年(1631年)の記録では、宿戸数は40戸になって、街道の宿駅村落としての形態が形成されたという。 荒川宿はかくして、その名を正式名称としたが、当時の書付をみると、沖村、荒川村沖荒川村などと書かれており、 一般的には荒川宿で通用していたのである。
その荒川宿は、いわゆる殿様が宿泊する陣屋宿場でなく、牛久陣屋宿場と中村陣屋宿場の中間にあたる 「継立宿場」としてもっぱら庶民の宿場であった。
荒川本郷から移転した農民は初め、開拓農耕のかたわら、公的交通の用務に従事していたが、往還の増加に対応して、商いにも精をだすようになり、 旅籠や灯油、灯心を油屋、そば屋などの店を開く者も多くなり、宿場らしい雰囲気をつくっていった。
ところで荒川宿の継立問屋は、代々名主の川村八宗治家が継いでいたが、その継立区域は、 上りは牛久本陣までの一里三十三町、下りは中村宿二十四町までの間であった。 往還は公的な場合は馬とか籠であったから、
宿駅の問屋では、乗馬10頭とか籠3挺、 それに荷担ぎ人足25人というように、常時備えておかなければならなかった。 文政5年(1822年)の記録でみると、
荒川宿を通った諸大名は、津軽、松前、南部、仙台、秋田、 水戸、土浦藩など22藩におよんでいるが、特に関東の大名は、2月と8月の半年交代が例であったから、
問屋の仕事は他の街道に比べて忙しく、且つ気遣いが多かったと言われている。 また、街道宿には、旅籠や女郎屋がつきものだった。藩でもこれを半ば公然と認めていた。
だから荒川宿の夜は軒行灯の灯色を映らせて、遊女屋から流れる三味線の音や酒盛りのざれ唄が、 そこかしこに聞こえて「女なくして何の道中かなし」といった、
宿場独特の情緒で夜が明けたという。 一方、近辺で農業を専業とする者も、農業の合間には問屋の荷担ぎ人足や宿場雑務に雇われ賃金を得たので、
他村に比べて経済的に恵まれていた。半面宿場特有の女と酒、賭博に身を持ち崩し、先祖伝来の田畑を失う者もいたという。
宿通り(荒川沖派出所から西一丁目)の佐野屋、二六屋、荒井屋、おおぎ屋 松屋、岡本屋、鶴屋などの屋号は、そうした往時の繁昌した宿場商店の名残りである。
荒川沖宿とは 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
■荒川沖宿
荒川沖宿の現代地図に旧水戸街道の道筋を重ねた地図。 荒川沖宿(あらかわおきしゅく)は、水戸街道の、
千住宿から9つ目の宿場町。 概要 [編集] 現在の茨城県土浦市荒川沖西にあたる。宿場町は南北に数百メートルの範囲で広がっていた。
小さな宿場町で、本陣は置かれていなかった。宿場町としての役務は隣の牛久宿と分担して行っており、荒川沖宿のみで完結したものではなかったという。
正規の宿場町ではあったものの、継ぎの宿という位置づけであったとされる。 周辺 [編集] * 八幡神社 - 八幡神社系列の神社。宿場町の南端はずれにある。
* 荒川沖天満宮 - 天満宮系列の神社。 * 鶴町醤油 - 醸造業者。 * 茅葺の商店建築 - 2007年12月現在、旧道筋に2棟の大きな茅葺の民家が現役建築物として残されている。
ひとつは元旅籠の「佐野屋」であり、もうひとつは商店として使われている。
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