福島復興の現実
除染に廃炉、故郷は作業員の町に
ショベルカーがせわしなく動き、奥に見える工事中の常磐道では大型ダンプが頻繁に行き来していた=6月20日、福島県大熊町大川原
東京電力福島第一原発が立つ福島県の沿岸部で、国が除染と復興工事を急ピッチで進める。多くの作業員があふれ、かつての街並みは大きく変わった。30年以上はかかる廃炉と、住民や地域社会はどう向き合うのか。うなりを上げて通り過ぎるダンプカーの車体に「除染」「常磐道工事」と書かれたステッカーが見えた。
第一原発事故後、町民1万1千人が避難した大熊町。その南端にあり、原発から約10キロ離れた大川原地区では6月下旬、町道を通るダンプカーは2~3分で約30台に達した。近くにある2階建ての白いプレハブの入り口には、熊谷組、清水建設など大手ゼネコンの看板が並ぶ。100台以上は止められる駐車場は、作業員らが通勤で使う白いバンや乗用車などでほぼ満車だった。
大熊町はいまも、放射線量が年50ミリシーベルトを超える場所が随所にある。住民はいわき市や会津若松市などに避難し、復興庁のアンケートでは、帰還する考えの世帯は1割前後だ。夜は無人だが、大川原は線量が比較的低く、2012年12月、日中は出入りができるようになった。政府と町は、大川原の39ヘクタールを復興の最前線にしようと、昨年4月から集中的に除染を始めた。持参した線量計を見ると、年換算で2~3ミリシーベルト。国の避難指示を解除してもいい水準だ。
「次から次に仕事が入る」。双葉郡の建設会社で、60代の男性役員は話す。大川原の除染や常磐道の建設工事で下請けに入る。同社の従業員を含め多いときで1日1300人が除染に投入された。「特にパワーショベルなどの重機を操縦できる人が引っ張りだこでね。今年に入り除染が落ち着くと、今度は常磐道の工事に駆り出される。うれしい悲鳴ですよ」
常磐道の東側にある、廃炉作業のために東電が建てる給食センターの予定地は5月に造成が始まった。3年後には、作業員や技術者ら3千人が住める施設の建設が本格化し、将来は診療所や買い物施設もできる。建設ラッシュはこれからが本番だ。(伊藤嘉孝)
■街並み変容、戸惑う町民
復旧が進む町は、大きく変わった。第一原発から20~30キロ圏にある福島県広野町。事故から1年後、町による全町避難の指示が解かれた。
町内のあちこちでプレハブの建物が目につく。廃炉や除染にあたるゼネコンや、東電の協力企業などの作業員が住む宿舎だ。第一原発の作業員の拠点「Jヴィレッジ」に接する広野は、幹線道路の国道6号も通るため、復旧作業の拠点となっている。朝夕はとくに、グレーやアイボリーの作業着姿の人たちが歩く姿が目につく。
町によると、戻ってきた住民は事故前の3割にあたる約1600人。一方、町内に事務所を置く廃炉や除染関連の企業は約80社あり、プレハブ宿舎やホテル、民宿に寝泊まりする作業員が約2600人にのぼるとしている。
だが、避難中の住民の家や店舗を借り、宿舎代わりに使う業者もいて、町は作業員が何人になるのかはつかみきれていない。田畑と住宅街が広がるのどかな風景から、「作業員の町」に変わった故郷に、町民は戸惑いを隠せない。
「全国各地からの作業員の方たちに感謝していますが……」。6月15日、町への帰還のあり方を考えるシンポジウムで、パネリストの中学3年の女子生徒が発言した。変わる街並みに「少し抵抗があります」と複雑な心境をのぞかせた。夫と子ども3人と、いわき市の借り上げ住宅で避難を続ける女性(43)は、建てて3年半しか住んでいない広野の我が家に戻り、「美容室の仕事を再開したい」と話す。だが、男性の作業員が多く目につく町で、お店をやっていけるか見極められないでいる。来春、広野に「復興の象徴」と期待される中高一貫校が開校する。町は、新たな住民とどう共存できるかも模索している。(根岸拓朗)
■「住民不在」の街に進む恐れ!!
福島第一原発近くの二つの町の姿は、除染や復旧が進んでも故郷に戻ることが難しくなる現実を映し出す。事故から約3年。第一原発の廃炉作業と、周辺自治体の復興を別々に進めてきた政府は6月、廃炉と復興を同時に進める方針を打ち出した。6月に発表された政府の「福島・国際研究産業都市構想」は、福島沿岸部を廃炉技術の研究開発拠点にするため、廃炉作業員や技術者が1日に約5千人は必要としたうえで、「帰還する住民と、(作業員ら)新たな住民による広域での街づくり」をうたった。
大熊町の渡辺利綱町長は「ここが廃炉技術の発信地になれば、世界が注目する。移住してくる人もいると思うし、町民も帰ってくる」と期待する。構想では、年50ミリシーベルトを超す帰還困難区域でも、除染が進めば、2021年には避難指示が解除できる放射線量に下がる、との推計も示された。ベラルーシの住民は20年帰れないのが現実を理解していのか。
だが、政府は避難指示を解除しても、住民の帰還が進むとは考えていない。新構想が浮上したのは昨年12月。安倍政権が、原発避難者約8万人の全員帰還をあきらめ、帰還困難区域の住民を中心に「移住」を支援する政策に切り替えた時期にあたる。政府関係者は明かす。「帰還する住民をあてにしていたら、原発周辺の地域はいつになっても復興できない。20年の東京五輪までに復興した福島の姿を世界に見せるためには、作業員ら『新住民』を積極的に受け入れる必要がある」廃炉には30~40年はかかるとされる。住民たちは避難先での暮らしに慣れ、様変わりする故郷への不安は募る。避難した人たちは戻らず、「住民不在」の復興が進む恐れがある。 2014年7月6日05時00分(編集委員・大月規義)
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