震災避難と実態

「今伝えたいこと~被災地の現状とこれから~」

宮城県名取市立閖上小学校 平山和紀氏

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 シンポジスト 平山和紀氏が蓄積疲労とストレスによる眼病のため、シンポジウムに参加できなくなりました。平山さんの1日も早いご快癒を祈念しますとともに、当日ご来場いただく予定の皆様に、深くお詫びいたします。 平山さんは、宮城県名取市立閖上小学校長として東日本大震災を体験されました。自宅は、宮城県石巻市にあり、名取市に単身赴任中に未曾有の大災害に遭われました。

 今春の定期人事異動で、地元の石巻市内の小学校に異動されましたが、3年間、閖上小学校長として震災にあい、その復興に取り組んでこられました。平山さんは教職員や児童とその保護者、地域住民が一丸となって学校の再建、復旧にあたるその陣頭指揮を執ってきましたが、そのストレスは想像を絶するものがあったと推察いたします。ご家族と一緒に生活できることになりましたので、温かい家庭の中でゆっくりとご静養なさいますことを願っております。名取市及び閖上小学校の被災状況について名取市の人口 73〃140人 名取市は仙台平野の真ん中、犠牲者数 966人 仙台空港があります。閖上地区の犠牲者数 845人閖上五叉路近辺の犠牲者数 600人以上 閖上小学校は、閖上五叉路から南西200mの地点にあります。

 2011年3月11日の当日、閖上小学校には児童270人と地域住民約600人の計870人がおりましたが、全員無事に津波から逃れることができました。  地震が起きた時刻が午後2時46分、津波が学校に押し寄せてきたのが午後3時55分頃、他の地域では避難するために津波到達に時間が掛かることは良いことでしたが、閖上小学校にとっては逆に大変なことでした。地震が収まってから、保護者が子どもを迎えるため、学校に続々と集まってきました。名取市の津波防災マニュアルでは、津波警報が出され、保護者が子どもを迎えに来たときには、子どもを引き渡すことになっていました。午後2時50分には、ラジオで50分後には仙台港に10mの津波がくると放送しており、そのことを用務員さんの携帯ラジオで聞いていた平山校長や教職員は、保護者に子どもを引き渡さずに親子共々校舎の3階に避難させることと意思決定し、そのように行動しました。

 しかし津波が来ないため、保護者たちは子どもを連れて帰ると騒ぎだし、学校の中は騒然となり、顔面蒼白、震え出す教員もいたそうです。事態収拾(時間稼ぎ)を図るため、平山校長はいったん子供たちを体育館に移動させ、点呼を取ることにしました。点呼を取ってる最中に津波が押し寄せてきたので、3カ所の非常階段と校舎内の階段を駆け上り、閖上小では犠牲者を出さずにすみました。平山先生からは、そのことと2年間の学校復興の話をしていただく予定でした。