事故の教訓、生かせているか 

■事故の教訓、生かせているか 

■福島第一原発事故5年

 《未曽有の原発事故は、日本の原発が抱え続けている弱点もさらけ出した。行き場がなく、原子炉のそばに留め置かれている使用済み核燃料もその一つだ。》

■使用済み燃料露出か、世界に緊張

001

 地震発生から3日目の3月13日正午前、吉田昌郎所長から東電本店に新たな危機が報ログイン前の続き告された。「頭痛の種が出てきて。4号機の燃料プール、78度まで上がってきた」

 建屋の最上階にある使用済み燃料プールには、原子炉から取り出した核燃料が収められている。特に4号機は原子炉の工事のために取り出したばかりで熱量が高く、最も多い1331体の使用済み燃料があった。全電源喪失でプールの冷却が停止して2日近く。通常30度ほどの水温は、燃料から出続ける熱で急上昇。14日未明に84度まで上がった。

 有効な手を打てないまま迎えた15日午前6時過ぎ、4号機の建屋が爆発した。当時は、プールの水が減って燃料が露出し、水素ガスが発生したとの見方が広がった。燃料プールには原子炉の格納容器のような堅固な覆いはなく、燃料が露出すれば大量の放射性物質が放出される。日本のみならず世界が震撼(しんかん)した。

 米国の原子力規制委員会(NRC)には、事故発生後に日本に派遣していた職員から、燃料が露出しているとの報告が寄せられた。燃料に砂や泥を投下しようと、在日米軍を関与させる案まで議論された。委員長は米議会の公聴会で「プールに水はない」と発言。駐日大使は17日未明、日本にいた半径80キロ圏の自国民に避難を勧告した。

スクリーンショット(2016-03-03 20.34.40)002

 日本中が見守る中、16日夕、自衛隊のヘリコプターが仙台から福島上空に飛んだ。東電社員も同乗し、撮影した4号機の映像がその日の深夜、東電本店の会議で映された。社員は「キラッと光って、肉眼だと水面に見える」。念押しされると、「自衛隊の方も、水面見えましたねとおっしゃっていました」と、興奮した声が響いた。

 燃料プールへの懸念は電源を失った1~3号機でも同じで、翌17日には自衛隊のヘリが3号機の燃料プールに海水を4回、30トン分放水した。

 プールの冷却に道筋がついたのは、高い位置から大量の水を放水できるコンクリートポンプ車による作業が始まった22日以降。その後冷却装置も整い、8月ごろ、ようやく30~50度の水温を維持できるようになった。

 4号機の燃料プールの水位が保たれていたのには、こんな事情もあった。4号機は点検中で、プールの隣の「原子炉ウェル」と呼ばれる空間に水がためてあり、それが流れ込んでいた。プールとの間に仕切り板はあったが、プールの水が蒸発して水位が下がると水圧で押され、隙間が開いていた。原子炉ウェルの水は本来、3月7日までに抜く計画だったが、工事の遅れで張られたままになっていた。

 吉田所長の下で1~4号機を統括するユニット所長だった福良昌敏さんは「偶然だったかもしれない。本当に安心した」と振り返る。

■広まらぬ「安全性高い」乾式貯蔵

 国内の原発にはすでに計約1万5千トンの使用済み燃料がたまり、貯蔵容量の7割に達している。再稼働すればあと数年で満杯になる原発もあり、使用済み燃料の受け入れ先となる日本原燃再処理工場(青森県六ケ所村)の3千トンのプールもほぼ満杯だ。

 事故を受け、新規制基準では燃料プールについて、冷却や放射線の遮蔽(しゃへい)など過酷事故対策を義務づけた。原子力規制委員会に再稼働に向けた審査を申請した16原発26基の対応は、ポンプ車の配備など水位を保つ対策が主だ。

 ただ、福島第一と同じ沸騰水型の原発では、燃料を交換しやすいように、プールは建屋最上階にある。もう一つのタイプの加圧水型は建屋上部にはないが、建屋の壁しか守るものがないのは同じだ。

 震災後、安全性が高いとされる「乾式貯蔵」を推進する動きがある。プールで数年間保管した後に金属やコンクリートの容器に密封し、自然循環する空気で冷やす。水や電気は不要だ。福島第一原発でも一部導入していたが、大きな被害はなかった。規制委の田中俊一委員長も繰り返し導入を訴えるが、ほかにあるのは日本原子力発電東海第二原発(茨城県)だけで、容量は計250トンに過ぎない。

 現在、東電などは青森県むつ市に3千トン分、中部電力は浜岡原発(静岡県)に400トン分の乾式施設の建設を進めている。だが、建設地が具体化しているのは、震災前からあったこの二つの計画だけだ。

 経済産業省も新年度、乾式貯蔵施設を受け入れた自治体への交付金を燃料プールの2倍にする方針だが、自治体側には、仮置きの施設が「半永久化」することへの警戒が根強くある。

■終わりなき「想定外」への対策

 《過去の教訓から真摯(しんし)に学ばなかったことで、多くの「想定外」が生じた。事故のリスクを減らす努力に終わりはない。》

     *

 福島第一原発事故では津波対策や、長時間の停電対策など、「想定外」の不備が次々とあらわになった。

 福島第一原発を襲った津波の高さは、東電が想定していた5・7メートルを大きく上回り、敷地で最大15・5メートルに達した。海岸沿いにあった冷却用のポンプが損傷、高さ10メートルの地盤に立つタービン建屋地下にあった配電盤や発電機が水没、漂着物で道路がふさがれた。

 東電は2008年、福島沖でも津波を伴う大地震が起こるとの国の見解をもとにした計算で、15・7メートルになる可能性があるとの結果を得ていた。しかし、あくまで試算と位置づけられ、浸水を防ぐ対策には生かされなかった。国の対応も鈍かった。04年のインド洋大津波などを踏まえ、原発の浸水対策を探る勉強会を開いていたが、対策を強く求めてはいなかった。

 津波対策の不備については、市民による検察審査会の議決を受け、東電の勝俣恒久元会長と武藤栄、武黒一郎両元副社長の計3人が先月末、業務上過失致死傷罪で強制起訴された。

 核燃料が損傷するような過酷事故の対策も乏しかった。米スリーマイル島と旧ソ連チェルノブイリの原発事故を受け、国は1992年に過酷事故対策の導入を決めた。その後、福島の事故で使われたベントや注水の設備が整備された。ただ、電力会社の自主的な取り組みとされ、30分以上の停電は考慮する必要がないとされたままだった。

 福島の事故対応の拠点になった免震重要棟は、事故の8カ月前に完成したばかりだった。07年の新潟県中越沖地震で東電柏崎刈羽原発が被災し、緊急時対策室のドアが変形してしばらく入れなかった教訓を踏まえた。原子炉への注水に使われた消防車も、中越沖地震で火災の消火に時間がかかったために配備された。ただ、防火が目的で、原子炉に注水する訓練はしていなかった。

 福島の事故後、各地の原発では消防車や電源車、バッテリーなどの機材が相次ぎ配備された。12年には独立性の高い原子力規制委員会が発足、津波のほか竜巻や噴火などの自然災害や過酷事故への対策を強化した新規制基準を策定した。

 それでも、災害は想像を超えた形でやってくる。テロのおそれもある。複合災害で外部からの支援が滞った教訓から、敷地内に多数の機材を備えるようになったものの、同時に被災するなどして使えなくなるリスクは残る。

 米国では福島の事故を踏まえ、給水ポンプや仮設電源を各原発のほかに、2カ所の緊急事態対応センターに集積。全米約100基の原発のどこにでも24時間以内に輸送できるようにした。各原発の電源やホースの接続口も共通にした。

 巨大災害時にスムーズに輸送できるかという課題はあるが、同じ安全機材をあちこちに追加配備し、防護を多層にする考え方だ。「福島から学んだことはとてもシンプル。できるだけ多くの異なる電源と異なる給水手段を持つことだ」。米原子力エネルギー協会のアンソニー・ピエトランジェロ上級副理事長は話す。

 国内では今月、日本原子力発電が全国の原発の緊急時対応を支援する組織を福井県に設置した。放射線量や状況の把握に使うロボットやドローン、がれき撤去のための重機、それらを運ぶ車両を配備、各電力会社が共通で使えるようにする。ただし、給水や電源の設備はないという。

■訓練や教育、努力足りなかった 姉川尚史、東電原子力・立地本部長

 東京電力は柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を目指している。7基の原子炉が集中する世界最大規模の原発。福島第一原発事故から何を学び取り、どう生かすのか。東電の原子力部門のトップ、姉川尚史(あねがわたかふみ)原子力・立地本部長(58)に聞いた。

 ――津波などの自然災害への備えが不十分だったのでは。

 自然災害が起きる確率は専門家でもなかなかわからないのに、確率が低いものだと過小評価しすぎていた。津波の試算が正しいかは5年かけても10年かけても確かなものにならない。不確かなものとして受け入れて、どうするか考える発想が必要だった。

 ――2008年に社内で示された15・7メートルの津波の試算を生かせなかった。

 対策を考える力が足りなかった。100点の回答をしようと思うと、70点、80点の対策は意味がないようにみえ、少しでもよくする対策を積み上げていくことができなかった。1千億円かかる巨大な防潮堤より、100万円で非常用バッテリーを備えた方が助かったかもしれない。もっと早く、時間をかけずにできる対策を着実に具体化していけばよかった。

 ――事故では、ベントなどの作業に手間取った。

 備え不足、訓練不足に尽きる。お金をかけた設備対策は十分やっていたと思っているがゆえに、人の訓練や教育が足りていなかったと感じる。想定を超えるものが来たときに応用技が効くのは設備でなく人間。日々どんな訓練をするかといった努力が足りなかった。

 ――福島の事故では線量が高くなって収束作業が難しくなった。万が一、同じような事故が起きたとき、だれが収束にあたるのか。

 特殊部隊のようなものを作ったらという声もあるが、設備に精通し、事故に備えて日々訓練、教育されていないといけない。そういう意味では、どこまでいっても我々が責任を持つと思っている。迅速に現場まで行くには、自衛隊より、よく現場を知っている我々の方が早い。

 ――柏崎刈羽6、7号機の審査を原子力規制委員会に申請して再稼働を目指しているが、国民の理解は得られると思うか

 難しいと思う。理屈ではなく、事故を起こした当事者なので、あの会社に任せられるのかという気持ちに多くの方がなるのは当然だ。自分たちとしては、人様に多大な迷惑をかけているが、自ら命の危険を感じる目にもあった。自分たちが納得しない対策で妥協するつもりはさらさらない。

 ――東電は事故前、原発は安全だと言っていた。「安全神話」に陥っていたのではないか。

 車をつくる人も飛行機を操縦する人も、事故が起きる確率がゼロとは絶対に言わない。同じ意味あいで確率がゼロとは思っていなかったが、継続的に安全性を向上する姿勢を積極的にとっていたかというと、積極性が足りなかったと思う。

 ――事故の後でどう変わったか。

 自分たちが頑張れば安全性は大きく前進すると思っている。心得として、安全対策で立ち止まることをしてはいけないというのが最大の教訓だ。