避難か定住か帰還か
早川 信夫 解説委員
東日本大震災から3年半あまりが過ぎました。原発事故の影響でふるさとを離れて避難している人たちは、避難が長期化する中、どんな状況にあり、どんな思いを抱いているのでしょうか。早川信夫解説委員に話を聞きます。
Q1.この時間では、節目の時期ごとに原発事故から避難している人たちのことを取り上げていますが、今回はどんな特徴があるんでしょうか?
A1.ひとりひとりの置かれた状況の違いがハッキリしてきました。震災から3年半が過ぎ、避難先から元住んでいた家の近くに住まいを求めて移動した人もいれば、避難先に残り続けている人もいる。避難先に残った人の中にも、すでに定住を決断した人もいれば、いつまで避難者として生活するのか、定住するのか、ふるさとに帰るべきかどうか迷っている人もいる。そうしたそれぞれの違いが際立ってきたと言えます。
Q2.どれぐらいの人たちが今も避難生活を送っているのですか?
A2.東日本大震災のために避難している人たちは、全国で24万5千人あまりにのぼります。
このうち、原発事故のあった福島県から県外に避難している人たちは4万7千人あまり。1年前に比べると4千人あまり減りました。しかし、そのペースは減速していて、県外に避難している人の多くが長期化を覚悟していることがうかがえます。
Q3.現状はどうなっているのでしょうか?
A3.その点が気になって、震災直後から取材を続けている新潟県を訪ねました。震災直後には、全国で最も多くの人たちが避難しましたが、今も4千人あまりと4番目に多い人たちが避難しています。
話をうかがって気になった点を3つあげたいと思います。一つは、家計による生活の現状に格差、
2つめは、避難者であり続けることの迷い、3つめは、先行きの見えない不安。この3つです。
Q4.家計による生活の現状に格差があるとはどういうことですか?
A4.避難生活を続けるのも、やめるのもお金次第という厳しい現実があらわになってきたということです。避難者の住まいの動向からそんなことが見えてきます。
Q5.どういうことですか?
A5.こちらのグラフは、避難している人たちの住まいが、この1年間、どう変わってきたのかを示したものです。国の支援で無料で住める公営住宅や借り上げ住宅に住んでいる人はいずれも減ってきています。その一方で「その他」の項目が増え続けていて、先月1000人を超えました。「その他」というのは、震災直後は、親戚や知人宅に身を寄せている人たちでしたが、今はそうした人たちはほとんどなく、県では「自力で家を建てたり、広めの家に住みかえたりした人ではないか」とみています。つまり自力で生活基盤を整えつつある人が増えていることを示しています。
Q6.それが家計とどう関係するのですか?
A6.公営住宅や借り上げ住宅は、さ来年の3月までは国の支援で無料で住むことができますが、今の住まいを移ると福島に戻らない限り支援が打ち切られます。経済力がないと家を建てたり、別の家を借りたりするのは難しいのです。元の住まいが原発周辺にあって東京電力からの賠償金を受けた人たちの中には住まいを移る決断ができた人もいますが、原発から離れていて放射能の影響を心配して自主的に避難した人たちの中にはそこまで踏み切れるだけの決断ができない人も多い。家計による格差がこんなところにもあらわれてきています。
Q7.日常の生活を送るにもやりくりが大変なのではないでしょうか?
A7.自力で生活基盤を整えられた人が増えたと言っても少数派です。自主避難の人たちの多くは夫を福島に残してこどもと避難しているために二重生活を送っています。その分、少しでも家計を楽にしようと、職を求める人が増えています。ただ、女性の働き口は少なく、就職できてバリバリ働いている人がいる一方で、職探しを続けているのになかなか見つからない人も多く、仕事に就けたかどうかで明暗が分かれています。避難している人たちの中からは「就職の面接に行って履歴書に福島と書いてあると、いずれ帰ってしまうからどうせ長くは勤めないと思われ採用してもらえない」と嘆く声が聞かれました。
Q8.2つめの避難者であり続けることの迷いというのはどういうことですか?
A8.いつまで避難者として生活すべきか迷いに迷っているということなんです。多くは、いずれ放射能の心配がなくなったら、ふるさと、もしくはふるさとの近くに住みたいと思っています。しかし、先は長く、現実はそうもいかない。そこで、たとえばこどもが高校を卒業するまでとか自分なりに見通しを立ててしばらくは定住したいと考える人も出ています。ただ、避難者として生活していると地域ではいつまでもいわば“お客さん扱い”されてしまう。就職をするにも不利だし、ご近所の人たちと溶け込むことも難しい。だから迷うんです。避難者として生活を続けるべきか、避難者の立場を離れていわば「ふつうの市民」として生活すべきか、同じ人の中でも行ったり来たり心の中で揺れ続けていることを強く感じました。
Q9.3つめは、先行きの見えない不安ということでしたね?
A9.住まい、仕事、家族の健康など先が見通せないことが不安や精神的なストレスにつながっています。分岐点に立たされているにも関わらず、先を見通せる情報が得られません。住宅支援はとりあえず1年半先までといつまで続くかわからない、しかも一たん避難者としての立場を離れると生活面の支援が打ち切られる不安があります。とりわけこどもを持つ人たちにとっては、「放射能によるこどもの健康面への影響は心配ない」と説明を受けても不安はぬぐえません。知りたいのは、「全体的な状況ではなく、わが子の健康状態が今後どうなるのか」だからです。個人に着目して継続的に健康状態を診てもらえる保障がないことに不安の声が聞かれました。決して見捨てないというメッセージを必要としているように感じます。
Q10.今後に向けて、どう考えたらよいのでしょうか?
A10.避難生活を続けるにせよ、定住を考えるにせよ、そして、福島に戻ることを考えるにしても、最良の決断ができる環境、そのための安心感こそ大事です。避難している人を支援する新潟県の人たちは「避難者がいる限り、お世話をする覚悟だ。しかし、国がどうするのか、予算がどうなるのか見通せず、先の計画を立てるのが難しい」と話していました。地元の復興がなかなか進まない中で、安心感を与えられるのは国や地元自治体の役割です。3年半が過ぎて、避難している人たちのことが話題に上ることが少なくなってきています。しかし、時間が過ぎればすぎるほど、その状況は一様ではなくなり、それぞれの生活再建が厳しさを増しています。ふるさと、もしくはふるさと近くで暮らす人はもとより、ふるさとを思いながら避難生活を送る人たちそれぞれが安心して暮らせる継続的な支援とふるさとの復興に向けた一層の努力を政府や自治体に求めたいと思います。