■保存修復の歴史
▶保存制度の導入に至る経過
白川郷と五箇山地方の合掌造り家屋を中心として構成される各集落は、江戸時代後期から太平洋戦争前(18世紀中期〜20世紀中期)までは、塩硝や養蚕等の増産によって、徐々にではあるが戸数を増やしながら安定的に発展してきた。しかし、1950年から75年の25年間に起こった日本の急激な経済発展によって、山間の農村の生活形態も著しく変化し、また、都市への人口流出による過疎が引き起こされた。その結果、伝統的な合掌造り家屋や茅葺きの附属屋が、取り壊され、あるいは現代の材料や構造・スタイルによる建物に建て替えられる事例が続出し、永年にわたって徐々に形成され、存続してきたこの地方独特の集落景観が失われる事態となった。
この変化の状況を現在と約1世紀前のデータと比較してみると、19世紀末には白川郷と五箇山地方の合わせて93の集落に1800棟以上の合掌造り家屋があったが、1994年の時点では、合掌造り家屋が全く失われてしまった集落は60(うち、集落そのものが消滅したもの17)にのぼり、集落内に残された合掌造り家屋はわずか144棟となってしまった。1世紀の間(そのうちの主に25年の間)にその92%が消失したという衝撃的な事実である。
なお、この間に白川郷・五箇山地方の合掌造り家屋は、日本の各地の野外博物館に移築・保存されたり、都会のレストランに再利用されるものが多かった。このことは、合掌造り家屋が日本の木造民家の中でも非常に珍しい形態を持ち、貴重な建築てあったことを示している。
このような状況のなかで、合掌造りの家屋が比較的よく残っていた白川村荻町集落では、その保存の必要が叫ばれ、1971年に地区住民による「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」が結成され、次いで住民憲章の制定をみて、合掌造りの家屋だけではなく、これらと一体となって歴史的風致を形成している、水田・畑・村道・山林などの環境も含めた集落全体を保存する運動が展開された。その結果、文化財保護法の1975年の改正によって新たに導入された伝統的建造物群保存地区の制度により、白川村は翌1976年に条例を制定し、地区を決定し、保存計画を策定して荻町集落の保存に着手し、同年中に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるに至った。その後、荻町集落を除く白川村の合掌造り家屋が壊滅状態にあり、また、戸数・人口とも顕著な減少傾向にあるのに対し、荻町集落は現在に至るまでほとんど増減のない安定状態にある。
一方、このような状況を深刻に受けとめた文化庁(当時は文化財保護委員会)では、1951年と56年に白川郷と五箇山地方の民家の学術調査を実施し、その結果、合掌造り家屋の代表的なもののうち、1956年と71年に白川村の2棟を、1958年に平村の2棟と上平村の1棟を、それぞれ重要文化財に指定して現地での保存を図ったほか、法改正による伝統的建造物群保存地区制度の新設以前の1970年に、地元の両村からの要請を受けて、五箇山地方で比較的保存状態のよかった平村の相倉集落および上平村の菅沼集落とその周辺の山林を国の史跡として指定し、合掌造り家屋の取り壊しや移築、改造の一切を禁止し、住民もこれを受け入れた。この結果、両集落の合掌造り家屋は、これ以降消失することなく現在に至っている。
なお、白川村荻町集落とこの両集落の3地区を合わせて1つの世界遺産とされるにあたって、相倉、菅沼集落にも伝統的建造物群保存地区制度を導入して保存の手法を統一することとし、保存条例と保存計画が策定されて、1994年8月より制度が発足し、同年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
白川村では、他の集落で取り壊される予定の合掌造り家屋を集めて、荻町集落に隣接した南西地区に野外博物館「合掌造り民家園」を設け、合掌造り家屋の内部まで一般に公開し、荻町の生きた集落の保存の補完的施設として活用している。また、上平村でも同様に、菅沼集落に隣接した南西地区に青少年のための研修施設「上平村合掌の里」を設け、青少年を合掌造り家屋に宿泊させて、伝統的な家屋での生活を体験させている。
■保存修理事業
3地区内の合掌造り家屋などの伝統的建造物は、従来からその維持的修理は所有者が主体的に、ときには「組」による相互扶助の共同作業により適切に行われていた。荻町集落の1976年の重要伝統的建造物群保存地区選定および相倉、菅沼集落の1970年の史跡指定以降は、国および県、村の補助を受けながら従来と同様に所有者または「組」の共同作業によって適切な維持修理が行われている。維持修理の多くは茅葺きの屋根の全面または部分的葺替えであるが、一部の家屋においては、軸組の傾斜等の破損や、柱・梁等の腐朽などの原因による解体や半解体、部分修理が行われている。これらの修理においては文化財修復に経験のある建築家が設計監理をしていて、文化財の価値の保存が保証されている。
■ 防災事業
茅葺き屋根は火災に対して弱いため、各集落とも消火設備が設置されている。荻町集落では59基の消火栓付き放水銃と62基の消火栓を集落の全体にくまなく配置し、これに見合う自然流下式の600トンの貯水槽を保存地区外の高台に設けている。これによって、火災の場合は保存地区の全体を水の膜で保護することが可能となっている。
また、相倉集落では11基の消火栓と総計405トンの貯水槽、菅沼集落では4基の消火栓と総計140トンの貯水槽が設置されていて、集落全体が火災から守られている。なお、各地区とも地区の住民による自衛消防団が組織されていて、上記の施設を使用した定期的な消火訓練も行われている。
■付属資料・白川郷・五箇山地方における合掌造り家屋の分布と変遷図
5a.19世紀後期の分布図
5b.1994年現在の分布図
■付属資料
保存管理施設図(保存事業実績図)
7a. 荻町集落
7b. 相倉集落
7c. 菅沼集落