岩崎山守徳寺

 宗派は禅宗の中の曹洞宗で、釈迦牟尼仏(お釈迦さま)をご本尊としておまつりしています。曹洞宗ではこのお釈迦さまの教えを正しく伝えられ、曹洞宗の開祖である道元禅師(どうげんぜんじ)と、またその教えを日本全国に広められた螢山禅師(けいざんぜんじ)を両祖さまと言っております。

 この守徳寺は、室町時代の中頃(天文三年・1534)、領主岩崎勘解由左衛門が亡き母の菩提のために創建したもので、火災後江戸時代中期(元禄七年・1694)に再建され、その後幾度か改築されましたが、本堂の本体は元禄期のままで残存されております。

 弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)が泊崎(はっさき)で千座修行した大同元年(806)に、この護摩の灰を固めて作った弁天像が当寺に秘蔵しています。像の裏面には空海の手形が押されています。これと同じ像が旧茎崎町には三体あるといわれています。昔村人が、この弁天像を祀って雨乞いをしたならば、不思議と降雨をみたと伝えられています。

 縁結びと長寿で信仰を集めている泊崎の大師堂は、弘法大師像をまつっています。現在あるのは元文五年(1740)、お堂は寛保四年(1744)に再建されたものといわれています。この辺一帯には「弘法大師七不思議」と言って伝説が多く残っています。大師堂の上り口に①逆さ松(空海が杖にした松の枝をこの地に突き刺しておいたところ根づいた大木で、根元より先が太い)②駒のつめ跡③硯水④法越(のっこし)⑤木瓜(ぼけ)(花シドミ)⑥独鈷藤(どっこふじ)⑦五葉の杉など、これらを歌い込んだ歌が堂内に残っています。

 下岩崎の観音堂は桐生城主由良信濃守など有名武将三人の母であった妙圓尼が子や戦死者の菩提を弔うため、七つの観音堂を文禄元年(1592)建立しましたが、そのうち一つの観音堂だけが現存しています。