■原爆、展示議論続く 「エノラ・ゲイ」問題から20年
オバマ米大統領の広島訪問は、原爆をめぐる米国内の歴史認識を問う機会にもなる。投下の判断や原爆による被害を、博物館などでどのように示すべきかについては、これまでも論争が起き、今もなお議論が続いている。
ホワイトハウスから約35キロ。ワシントンの空の玄関口、ダレス空港の近くにスミソニアン航空宇宙博ログイン前の続き物館の分館はある。71年前、原爆を広島に投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」は銀色の機体を鈍く光らせ、博物館の中央近くに展示されている。全長約30メートル、重さ約32トンの機体は周りの小型機に比べ、ひときわ大きい。
ホワイトハウスがオバマ大統領の広島訪問を発表した10日の午後、老夫婦が腕を組みながら、機体をじっとみつめていた。
「大統領が広島を訪問することを知っていますか」と尋ねると、2人は驚いた様子を見せた。
「本当にすばらしい。オバマ大統領が米国の原爆投下を認知し、それによって殺された多くの人への哀悼を示すことは、象徴的な行動だと思う」と妻のアリス・ビドウェルさん。「でも、原爆によって多くの米国人や日本人の命が救われたことは、そんなに知られていない。私の父の命も、原爆によって救われたの」
夫のノーマンさんが「彼女の父は、日本本土に最初に上陸する米部隊に配属されていたんだ。戦争が続いていたら彼は生きていなかっただろうし、彼女も生まれなかっただろうね」と付け加えた。2人はジョージア州アトランタから初めて博物館に来た。妻は機械の組み立て会社を経営し、夫はエンジニアだという。
エノラ・ゲイは20年ほど前、ワシントン中心部にある航空宇宙博物館の本館に展示される予定だった。だが、原爆投下による被害の示し方などをめぐって批判を浴び、展示計画が大幅に変更された。2003年からは分館で展示が始まったが、「戦争で使われた最初の核兵器を落とした」と書かれているだけで、被害に関する説明はない。
米国での原爆投下に関する世論調査では、投下直後は支持する声が8割を超えていたが、1995年の調査では「支持しない」との声が3割を超え、最近も同様の状況が続く。95年の同博物館の試みは、そうした意識の変化を受けた側面もあると見られる。
だが、今なお投下を正当化する声が半数を超えているのが現実だ。95年の混乱で辞任に追い込まれたマーティン・ハーウィット元館長(85)も、今回のオバマ氏の広島訪問を歓迎しながらも、日米の意見の相違を気にする。「広島では、原爆は10万人以上の市民を殺したのだから、米国が謝罪すべきだという意識がある。だが米国では、米軍の日本本土上陸によって戦争を終わらせた場合に比べ、(原爆が)百万人単位の米国人やアジア人の命を救ったという意識が強い」
一方、米空軍協会が発行する「エアフォース・マガジン」の編集長として、展示反対の中心にいたジョン・コレルさん(76)は「スミソニアンの件は戦争の説明でバランスを欠き、原爆投下の判断について誤った見解を示そうという、政治的な展示を博物館が企画したことが問題だった。原爆投下が批判的に描かれることではなく、一方的に米国を加害者とすることに反対した」と強調する。
その点で、「原爆投下の判断についての再評価はしない」というオバマ氏の広島訪問は「スミソニアンの展示と全く似ていない」とコレルさんは話す。訪問の是非そのものは「コメントしない」との立場だ。
■マンハッタン計画、扱い方は
原爆の開発や投下に至る経緯、被害の示し方は今なお課題だ。「B原子炉」があるワシントン州ハンフォードなど、戦中に原爆を製造した「マンハッタン計画」の跡地3カ所は昨年秋、国立公園に指定され、米国立公園局が来園者に向けた展示の準備を進めている。