■“はかなさ”と永遠性
大熊 孝(新潟大学名誉教授)
▶まえがき
錦帯橋は不思議な橋である。類まれなる技巧で木組みの至高の美を形成しながら,腐朽する運斜こあり,錦川の洪水にも流失が懸念される.“もののあわれ”を感じる日本人には,その“はかなさ”に究極の美を感じるのかもしれないが,一方で,架け替えながら技術が伝承され,鋼橋やコンクリート橋では果たしえない永遠性も確保されてきた。そして,錦川の流れや川原と,また周辺の山や町並み,さらには桜並木と調和して存在し,観光客を楽しませ,その観光に携わる人々の生計を支え,さらに小・中・高校生達が毎日の通学に使っているように生活道路橋そのものでもある.小学生が利用しているということは歩いて渡っても苦にならない橋長であることを示しており,錦川で分断された左右岸を一体の都市として成立させる基盤にもなっている.すなわち,錦帯橋は,究極の美が日常の生活空間に機能し,単に観光の橋ではなく,地域住民に使い込まれている橋といえるのである。
錦帯橋の“はかなさ”と永遠性は,創建された翌年の1674(延宝2)年に流失し,同年再建された橋が276年後の1950(昭和25)年キジア台風洪水で流失し,1953(昭和28)年に再建されていることに表象されている。1953(昭和28)年の再建では,上部構造は木造で復元されたが,基礎と橋脚は鉄筋コンクリート製に改められ,橋脚の高さも洪水をスムーズに流下させるために1m嵩上げされた.この錦帯橋が,再建後40数年を経過し,木材の腐朽が目立ってきたことと,技術の伝承の必要性から,2001(平成13)年11月から2004(平成16)年3月にかけて「平成の架替」が行なわれた.
この「架け替え」を検討するために,1997(平成9)年5月に岩国市錦帯橋修復検討委員会が立ち上げられ,私はその委員に任命され,その委員会の下に設けられた専門部会の部会長を仰せつかった。私の専門は土木史と河川工学であり,木造構造物の専門家でない。それがこの修復検討委員会の委員と専門部会長に任命されキ理由は,文化庁より『文化財としての価値を高めるために,橋体だけでなく橋脚・敷石を含めた下部構造も,可能な限り再建前の工法によって元の姿を復元する』ように求められ,その検討が必要だったからである.
その検討の結論は,要約すれば,鉄筋コンクリートの基礎と橋脚の強度はまだ数十年耐久性があり,阪神淡路大震災クラスの地震に対して動的応答解析から「変形はあり得るが,壊滅的な破壊は起こさない」という結果を得た,一方,錦川の上流にダム群が整備されてきたが,キジア台風程度の洪水の襲来の可能性が十分予見されることから,基礎・橋脚部分はそのままとして,上部構造のみ架け替えることにしたのであった.
現実,2005(平成17)年9月台風14号の洪水では,水位が橋脚の上端まで達し,第一橋と第五橋は流失を免れたが,その木製橋脚が流失・破壊したのであった.私は鉄筋コンクリートのままで橋脚の高さを変えなくて良かったと考えている.しかし,今後,錦帯橋が流されるような洪水の発生は,本文に書かれているように,十分あり得ることなのである。今の技術をもってすれば,材質を選び,流失しない橋を造ることは可能である。だが,それはおそらく永遠性を担保することはできず,景観も壊し,今の錦帯橋とは似て非なるものになるであろう。1951(昭和26)年の再建検討委員会でも,『将来手数がかからないように‥・鉄筋コンクリートにして外観が木材に見えるような工法を考えて見ては‥』という強い意見があった。しかし,基礎と橋脚は鉄筋コンクリートで1m嵩上げされたが,上部は木造のままで再建されたのであった.錦帯橋は,洪水の危険にさらされながら,流出した場合にはそれを再建することで,存在し続ける構造物なのである.そこに,「自然を克服する」のではなく,「自然と共生する」という錦帯橋の本質があると考える.
確かに,人間にとって自然の川を徒渉(川を歩いてわたること)しなければならないという不都合を,架橋という技術によって克服しているのであるが,錦帯橋はそれ単独で自然を克服・対峠して存在してきたわけではない.風雨を受け,流水に洗われながら,おおよそ20年ごとに,数百年かけて育てられてきた用材を使いながら架け替えられ,地域の人々との関係性の中に存在してきたのである。それは,「おじいさんが大工としてかかわった。」とか,「先祖が植えた木がつかわれた。」というように記憶され,伝承されてきたのである.
しかし,近年,錦帯橋の周辺を見ていくと,錦帯橋の美しさが損なわれる事態が徐々に進行している.それを自覚して,錦帯橋と周辺の美しさを担保していくことが必要不可欠である.
その一つが,上流の錦城橋である.この橋は,近代的技術によって造られているのだが,錦帯橋と比較すると,効率性を追求するあまり自然の克服度が強すぎて,橋そのものの美しさに欠け,かつ錦帯橋に近すぎるため,その周辺の景観を損ねていると言わねばならない.この橋も老朽化していずれ架け替える時期が来るであろう.その際には,少し上流に移すとともに,錦帯橋の存在に配慮したデザインにすることが望まれる.
もう一つが,錦帯橋下流の河川敷の駐車場である.これは,観光客のために自然の河川敷を強引に平らにしており,自然を克服して当然という人間の欲が透けて見える。それが,錦帯橋の上から眺める景色の美しさをさらに削減させている。私は,その駐車場をすべて無くす必要はないと思う.人間が自然を利用して生きていくことは仕方がない.しかし,節度というものがある.これ見よがし(得意になって人に見せびらかしたり当てつけがましくしたりするさま)にすべてを駐車場にするのではなく,それを三分の一程度に抑え,残りを自然な河川敷に戻しておけば,節度を持った自然との付き合いが感じられ,錦帯橋がより一層美しく見えるのではなかろうか?
他にも,道路拡幅や町並みの作り方、山への植林の仕方など配慮すべきことがさまざまにあるので、「自然との共生」とは,本来,どういうことなのか最後に考えておこう.
われわれ人間は自然を利用しなければ生きていけない。しかし,それを収奪するようなやり方では,いずれ結局人間も滅びることになる。自然と人間の共生とは,われわれが自然を利用するのであるが,人間側が謙虚になって,自然にお願いして利用させていただくという気持ちで,持続するように知恵を絞り,可能な限り自然を尊重・保全することであると考えている。
21世紀は,地球温暖化を反省して,自然と共生していく以外に人類の未来はないと考える.世界遺産のコンセプトも,人類が歴史的に自然とどう共生してきたかという点に真髄があるのではないかと考える。錦帯橋は橋単独の美しさだけでも世界遺産に相応しいと考えるが,錦川両岸の町並みを含めた周辺整備を今後どのように進めていくかに,本当の意味での世界遺産の価値が問われているのではないかと考えている.
こうした錦帯橋の存在が,構造的に独創的であり,創建時の概観がそのまま保たれ,それが未来にわたって継承されるシステムが地域の人々の関係の中に整っていることが明らかにされた。そして,世界の木橋との比較の中で,法隆寺などに象徴される日本における木造文化の一つの頂点にあることも明らかにされた.即ち,地域的に独特な存在であるが,時間的継続の中に普遍的価値が表出され,世界遺産としての価値が十分に認められることが明らかにされたと考えている。錦帯橋が世界遺産に認定され,それを契機に地域住民との関係性が一層深まり,世界遺産に相応しい自然と共生した保全がなされていくことを期待したい。
■錦帯橋の組立材
ここに示した伝統木造建築に用いられている組立材はすべて柱である。
柱材は,曲げ応力に比べて軸方向力が卓越するため構成部材間の力の伝達が比較的小さく済むためこうした組立材としやすい。一方,軸方向に直角な荷車を受ける梁材は構成部材間の力の伝達が大きく,変形に対しても一体化させる必要がある.東大寺大仏殿でも,柱は窮余の一策として集成材を用いているが,大梁は明治の修理で,遠く九州の日向で伐採した大径の木材を用いている.
構造工学の進歩した現在でも,組立材を梁として「重ね梁」が木造建築で少しずつ用いられるようになってはいるが,部材間のずれを詳細に評価しなければならず,あまり普及していない。
錦帯橋では,この組立材が桁として用いられている。アーチ構造であることが分かっていれば,桁に生じる応力は,曲げモーメントに比べて軸力が支配的になる。こう考えれば,柱材と同じように,比較的組立材を用いやすい状況にあることになる。
また,長尺の部材が使用できないため,長さ方向に桁を少しづつずらしながら接合していく必要があり,桁材間で軸力を伝達するためにダボを配置する必要がある。6寸角の短い材を組立材として一体化して35mのスパンを架け渡すためには,力の流れを正確に理解している必要があったはずであるが,アーチの応力線状に並べられた助木の配置は,アーチ構造の力の流れを理解しているとみることもできる。
■アーチ構造
依田 照彦(早稲田大学理工学術院社会環境工学科)
▶アーチ橋の定義
錦帯橋の中央の3つの反橋が,創建時以来アーチ橋であることを証明するために,まず,アーチ橋の定義から始めることにする。
①アーチ橋は一言でいえば,主構造としてアーチを使用した橋である。
②アーチの最も重要な特徴は,上に述べた形状的な特徴に加えて,両支点が水平方向にも拘束されていて,鉛直荷重によって水平方向の反力が生じることである。この反力によって曲げモーメントが軽減でき,アーチ内部では軸方向圧縮応力が卓越する。
③形状的にも一般に橋として使われるアーチの骨組線の形は緩やかな曲線をなし,骨組線のどこか一部で曲率が急変するということはない。
④アーチは「骨組線が全体として滑らかな曲線をなし,曲線の面内に作用する鉛直荷重によって支点を結ぶ方向(両支点が同じ高さにあれば水平方向)にも反力を生じる梁状の構造物」であると定義できる。
⑤このようなアーチを主構造に用いた橋がアーチ橋である。
▶錦帯橋がアーチ橋であることの証左
(1)アーチの形状について 錦帯橋の主構造(アーチリブ)は,半分の径問に11本の桁が,順次模をはさんで重なり,1番桁から4番桁までは沓鉄を支点として,5番桁から11番桁までは支点を徐々に中央に跳ねだし,中央で反対側から伸びてきた桁と大棟木・小棟木で連結されている。各桁材は約6寸の断面で,この細長い桁材をダボ・巻金・鉛で緊結することにより約35mの主構造(アーチリブ)を完成させている。つまり,主構造はアーチを形成している
■柱橋の組立手順(第5橋の工程)
1)敷梁(ケヤキ)
橋脚側は反橋と同様に膨れを付け,橋台側は直材とする。据付は反橋と同様とする。
2)橋杭組(青森ヒバ)
作業ヤードで橋杭・梁・通貫を鳥居状に組み立てる。柱と梁の仕口は平ホゾ差しとし,通貫は柱に艦付貫通しとする.添梁は,上部よりコーチスクリューボルト(¢12mm)5本で梁と締結し,ボルト頭は埋木処理する。橋杭受石への据付けは,通貫と梁をベルト荷締め機で固めてクレーンで吊り込み,かたど継手を予め3分の余長をとって加工しておき,ひかり板にて象(かたど)り加工して梁高を調整する。継手は縦目違いホゾ付相欠継とし,橋杭巻金2本で固定する。橋杭を固定した後,通貫を模で締めて橋杭面で切り揃え,木口は橋杭外面から下面で7寸出た位置で切断する。
3)桁(赤マツ)
両側から架け始め,各梁上で相欠つぎとし,橋脚側より3本目の桁を仕舞とする。橋台側敷梁と染もしくは添梁とは渡肥掛ダボ止めとする。橋脚側は桁下に肘木を設け,肘木と敷梁とは渡月思掛ダボ止めとし,桁とは相欠継でダボ止めする。桁は橋台・橋脚とアンカーボルトにて固定する。
4)中梁(赤マツ)
中梁は,橋台及び橋脚懐では各桁上に平ホゾ差しで束木を建て,束木上に平ホゾ差しで架渡す。桁と重桁に挟まれる位置に配する中梁は,上下とも渡腮掛(わたりあごかけ)とする.
5)重桁(赤マツ)
橋台懐内は中梁上部を欠取(かきと)ってダボ止めとする.継手は梁心にて縦目違いホゾ差しとし,桁と重なる部分では70cm間隔にダボを入れる.
6)橋杭筋違(青森ひば)
筋違によって桁通りを調整する.調整では河床及び作業ヤードにコンクリートウエイトを置き,チルホールを用いて戻りを考慮した位置まで引き寄せる.筋違は,橋杭間と通貫あるいは梁との間の各区画の対角線上に設ける.筋違交差部は相欠,木口は突付とし通貫及び梁に鉛で打止める.
7)大梁(ケヤキ)
重桁上に渡腹掛とし,橋脚側はスラブに接する位置に,橋台側は敷梁の上方に架渡す.
8)錠打締め
橋杭・梁・桁を鉛で打ち固める.
9)平均木(ヒノキ)
平均木は,橋脚側は大梁に大入れとし,橋台側は大梁に相欠として懐内まで延ばし,その他の仕口・継手は反橋と同様とする.墨付けのため仮付けし,橋脚上の橋板張始め墨を基準として高さを出し,型板にて墨を付け,一旦取り外して加工・調整を行う. 桁には釘止めとするが,平均木及び桁の割れを防ぎ,また,橋板の釘位置と合わないように桁心を避けて千鳥打ちとする.