茨城県の民家探訪

 茂木家住宅(水戸市・茨城県立歴史館内)

■民家の見方・調べ方 

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 家の形式は、住む人の生活様式の変化や大工道具・建築技術の発達によって、時代とともにかわってきた。現代の私たちの家は、家族が快適な時間を過ごすことを主要な目的として設計されるこが多いと思うが、かつての家は、住居としての機能を求められるだけではなく、農産物の加工・養蚕・手工業・取引・貯蔵などの用途も付加されるのが普通だったのである。もちろん、家が建てられた地域の気候風土や地方的社会慣習によっても、違った構造をもった家が建てられてきた。

 古い民家を見学・調査することによって、その家が建てられた時の様子をより具体的に知ることができる。次の点に注意しながら自分の住んでいる家と古い民家を見くらべてみょう。(『民家のみかた調べかた』文化庁監修 参照)

■注意点

① 自分の家にはないスペースがあるかどうか確認する。あったらその場所が何に使用されていたのかを考える。

② 柱・梁にどのような削り跡が残っているか観察する。できたら、使われた大工道具の特定をする。

③ 民家の建っている地域の気候・地理的条件‥主な産業などを事前に調べておく。

④ 実際に生活している家を見学する場合は、事前に了承を得ておく

■県内で文化財の指定を受けている民家(一部)

■解説

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 旧・茂木家住宅は、茨城県南部の行方郡牛堀町 (今の潮来市)にあったが、一九七三 (昭和四十八)年に水戸市にある茨城股立歴史館に移築復元された。移築前の一九七〇年には、茨城児の代表的民家として児から有形文化財の指定を受けた。

 建築された年ははっきりしないが、江戸時代の元禄年間 (一六八八〜一七〇四年)であろうと推定されている。今から、約三〇〇年前に建てられたことになる。もちろん、三〇〇年間全くかわらずにきたわけではなく、住む人の都合に合わせて改築が繰り返されてきている。柱などをよく見ると、いくつもの溝が彫られていることからも、その変遷を知ることができる。

 土間と広間の境に立つ柱の表面には、カンナではなく手斧(ちょうな)で削られたハマグリ型の跡が残っている。また、外壁にしし窓があることや土間に独立した二本の柱が立っていることなどが、旧茂木家住宅が江戸時代初期の建築様式であることを示している。

 家の形は、馬屋を組み込んだL字型の曲屋(まがりや)ではなく、長方形の直屋(すごや)型である。古い民家の形式には、曲屋・直屋・分棟の三つがあるが、直屋型はとくに県南及び県西に広く分布していた。

 平面構成は、板敷きの広間と畳が敷かれた集散で主要部を構成し、広間の背面に台所、集鼓の背面に寝間(ねま)がある広間型といわれる形である。さらに、広間の前に玄珂の何があることや広間面積が広く土間が比較的狭いことなど、行方地方の特色を良く残す民家である。

■旧・茂木家の古さを知る5つのポイント

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 大場家住宅長塚節生家間宮林蔵生家県指定・史跡県指定・史跡結城郡右下町国生筑波郡伊奈町上平柳(間宮林蔵記念館)直屋型(下地窓)壁下地(コマイ)をそのまま塗り残したような窓。)仏壇の部屋境の中柱

 これを省略すると建物の中央に太い大黒柱が必要になる。だいどころ□ひろまいろりひろえん神棚窓(鹿窓)

 江戸時代中期以降の民家には見られない様式。土間の独立柱少し新しい構造は,土間だけ構造をかえて,柱が土間に立たないようにする。製材されていても断面が長方形の古い柱。(卦丸太をちょっと加工した程度の古い柱。手斧(ちょうな)の削 り跡(蛤型)がよくわかる。

塙家

塙家住宅(岩間町・岩間町教育委員会提供) 

小野家

小野家住宅(日立市・日立市郷土博物館提供)

堀江家

堀江家書院(金砂郷町)