鳥獣人物戯画(国宝)

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 朝日新聞文化財団は平成21年(2009)、文化財保護に関する助成の第一号として国宝「鳥獣人物戯画」の修復を決定、着手しました。制作から約800年が経過した絵巻には、劣化や損傷、汚れがみられ、平成25年(2013)3月まで、4年がかりで修理が完成しました。

 修理は、解体の後、本紙のクリーニング、折れの部分を補強するための折れ伏せ、裏打ち紙の取り替えなどが行なわれ[写真1]、縦折れが出来にくいようにするため、巻子本の径を大きくして太巻き仕立てとし、一巻ごとの収納箱および全体を収納するための外箱も新調されました。

 この修理過程において、長らく前半が人物画、後半が動物画という組み合わせに疑問が持たれていた丙巻について、もとは表裏の両面に描かれていたものを相剥(あいへぎ)し、つないで一巻に仕立てたもの[写真2]だという新知見が得られました。また、四巻の旧補修紙は、裏面に数か所付着した墨線や墨の詳細な観察により、もとは丁巻の本紙を裏面からうすく剥ぎ、それを甲、乙、丙、丁すべての補修にあてたものであったことも確認されました。

■リンク鳥獣人物戯画 修理過程


 鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は、京都市右京区の高山寺に伝わる紙本墨画の絵巻物。国宝。鳥獣戯画とも呼ばれる。現在の構成は、甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻からなる。内容は当時の世相を反映して動物や人物を戯画的に描いたもので、鳴呼絵(おこえ)に始まる戯画の集大成といえる。特にウサギ・カエル・サルなどが擬人化して描かれた甲巻が非常に有名である。一部の場面には現在の漫画に用いられている効果に類似した手法が見られることもあって、「日本最古の漫画」とも称される。

 成立については、各巻の間に明確なつながりがなく、筆致・画風も違うため、12世紀 – 13世紀(平安時代末期 – 鎌倉時代初期)の幅のある年代に複数の作者によって別個の作品として制作背景も異にして描かれたが、高山寺に伝来した結果、鳥獣人物戯画として集成したものとされる。

 作者には戯画の名手として伝えられる鳥羽僧正覚猷(とばそうじょう かくゆう)が擬されてきたが、それを示す資料はなく、前述の通り各巻の成立は年代・作者が異なるとみられることからも、実際に一部でも鳥羽僧正の筆が加わっているかどうかは疑わしい。おそらく歴史上無名の僧侶などが、動物などに仮託して、世相を憂いつつ、ときには微笑ましく風刺したものであろう。
現在は甲・丙巻が東京国立博物館、乙・丁巻が京都国立博物館に寄託保管されている。

■各巻の内容および断簡・模本

 鳥獣人物戯画は製作されてから800年程度と長い年月を経過し、また多数の作品を集めた性格から、描かれた当時の形態を留めていない。脱落や繋ぎの変更があり、本来は鳥獣人物戯画の一部であったと思われる「断簡」が多数ある。それらは現在の形になる以前に模写された模本により、描かれた当時の姿、あるいは時代経過に従って進む錯簡を推定することができる。

■甲巻 Chouju_thief Chouju_swimming Chouju_sumouChouju_thiefChouju_swimmingChouju_sumouChouju_sumo2Chouju_lilypadChouju_1st_scroll-06Chouju_1st_scroll-05Chouju_1st_scroll-04Chouju_1st_scroll-02Chouju_1st_scroll-03Chouju_1st_scroll-01

 様々な動物による水遊び・賭弓・相撲といった遊戯や法要・喧嘩などの場面が描かれる。描かれた萩などの植生から、秋の光景とみられる。断簡や模本から、甲巻は成立当初は2巻立て以上のそれら自体で独立した絵巻物だったと考えられ、内、少なくとも1巻は、草むらからの蛇の出現によって動物たちは遁走し、遊戯が終わりを迎えるという構成だった。現在の甲巻は、後世に遭遇した火災による焼損被害や、失われた(恐らくは何らかの形で持ち去られた)断簡による不自然さを補うための加筆が一部に見られる。

■乙巻

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 馬・牛・鷹・犬・鶏・山羊といった身の回りの動物だけでなく、豹・虎・象・獅子・麒麟・竜・獏といった海外の動物や架空の動物も含め、さまざまな動物の生態が描かれており、動物図鑑としての性質が強い巻。絵師たちが絵を描く際に手本とする粉本であった可能性も指摘されている。

■丙巻

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 前半10枚は人々による遊戯を、後半10枚は甲巻の様に動物による遊戯を描いている。後半部分については、甲巻の動物の遊戯を手本に描かれたものとも言われる。前半と後半の筆致に違いがあることから、別々に描かれた絵巻を合成して1巻とした巻とみられていたが、京都国立博物館による修復過程で元は表に人物画、裏に動物画を描いた1枚だった和紙を薄く2枚にはがし繋ぎ合わせて絵巻物に仕立て直したものだと分かった[1][2]。19枚目の歩く蛙の絵に墨跡があり、2枚目のすごろく遊びをする人の絵と背中合わせにすると、19枚目の墨跡(烏帽子の滲み)と2枚目の人物画の烏帽子の位置と合致すると判明した後、この他にも1枚目と20枚目、3枚目と18枚目というように墨跡などが合致することが分かった。これにより元々は10枚の人物画の裏に動物画が描かれ江戸時代に鑑賞しやすいように2枚に分けられたと推定されている。

■丁巻

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 人々による遊戯の他、法要や宮中行事も描かれている。描線は奔放で、他の巻との筆致の違いが際立つ巻。

■断簡

東京国立博物館所蔵断簡
益田家旧蔵断簡(実業家・茶人である益田孝が収集していた)
高松家旧蔵断簡(ブルックリン美術館蔵)
MIHO MUSEUM所蔵断簡

■模本

住吉家伝来模本(江戸幕府の御用絵師だった家系に伝わっていた「兎猿遊戯中巻」)
長尾家旧蔵模本(ホノルル美術館蔵):この模本にのみ見られる特徴として、サルの顔だけ朱塗りが施されている。
京都国立博物館所蔵模本(狩野探幽によって模写。長尾家旧蔵模本から更に模したものとされる)

■その他

 1966年に同人グループ映像社がこれを基に短編映画を制作している。またその映画の音楽を基に間宮芳生が合唱のためのコンポジションシリーズの一つとして鳥獣戯画というタイトルの作品を製作している。
福音館書店『こどものとも』で『かえるのごほうび』として、甲巻から場面を抽出してコマ割りされ、新たなストーリーを構成して使用された。
2005年にはキリンビバレッジ「茶来」のおまけとして鳥獣人物戯画のカエル・ウサギ・キツネ・サルの携帯ストラップが登場した。
日本には「劇団鳥獣戯画」という絵巻物から名前をとったミュージカル劇団がある。

 2013年1月25日、岩手県平泉町の柳之御所遺跡で、カエルを擬人化した絵が書かれた木片が出土したと岩手県教育委員会が発表した。木片は、他に出土した遺物などから12世紀後半奥州藤原氏の時代のものと見られ、鳥獣人物戯画の成立時期と同じ時代とされる。都の最先端の表現技法が、既に平泉にまで到達していたことを示す貴重な資料である[3]。

「鳥獣戯画」に似たカエルの墨絵 12世紀後半、平泉で出土

 岩手県平泉町の柳之御所遺跡で発見されたカエルが描かれた木片

 奥州藤原氏の政務の拠点があった岩手県平泉町の国指定史跡「柳之御所遺跡」から、擬人化されたカエルが墨で描かれた木片が見つかり、県教育委員会が25日、発表した。国宝「鳥獣人物戯画」(平安―鎌倉時代)に似ており、同時に出土した遺物から12世紀後半のものと推定されるという。

 鳥獣人物戯画を所有する高山寺(京都市)は「擬人化した動物の絵が、同時期に存在していた例は聞いたことがない」と話し、県教委も「当時最先端の都の文化が、ほぼ同時期に平泉まで伝わっていたことを示す貴重な資料。奥州藤原氏について知る手掛かりにもなる」としている。

■ギャラリー

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