仏画家としての空如

仏画家としての空如 – 鈴木空如資料調査研究事業

仏画家としての空如

 空如は、日清戦争に22歳で従軍し退役後、明治31年(1898)に26歳で東京美術学校(現・東京芸術大学)へ入学します。入学の後、山名貫義 (1836~1903、日本古美術研究の権威)や大村西崖(1868~1927、古仏画家研究の第一人者)に師事することになります。この山名・大村との 出会いが、仏画家・鈴木空如を生むことになるのです。

 仏画家としての空如は、仏画によって生計を立てるというよりは、「仏像は厳格なる法則ありて画彫家の得手勝手に左右すべきものにはこれ無く候」、 「世の所謂大家などと称せらるヽ現今の俗工」が「不謹慎な像」を作っている状況は、「容易にその(仏画)法則を知る機関」がないためであるから広く仏画の 〈厳格なる法則〉を世に伝えるため、仏画の模写に生涯をかけていたことが書簡などを通して知ることができます。

第8号壁画 文殊菩薩像

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第9号壁画 弥勒浄土図

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第10号壁画 薬師浄土図

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第11号壁画 普賢菩薩像

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第12号壁画 十一面観音菩薩像

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法隆寺金堂内陣壁画位置図

 番号は壁画番号を示しています。

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