民衆が熱狂、朝鮮通信使

■民衆が熱狂、朝鮮通信使 500人規模、先々で交流 接待役の藩は大出費

 近世日本と朝鮮王朝を橋渡しした朝鮮通信使。昨秋、関係資料が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に登録された。文化交流の花形としても大歓迎を受けた一行だが、迎える側には少なからぬ苦労もあったようで。

 朝鮮通信使は朝鮮王朝から江戸幕府への外交使節だ。徳川政権は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で破綻(はたん)した国交を対馬藩を通じて修復させ、1607年ついに再開にこぎつける。

 以後、1811年まで200年余りの間に12回の使節が日本を訪れた。海路、瀬戸内海を抜けたのち陸路で将軍のおひざ元、江戸をめざし、ときには日光まで足を延ばした。正使や副使をはじめ画家や医者、芸能者まで含み、400人から500人にも及ぶ大使節団だった。道中は見物客でごったがえし、ちまたには関連の絵図や刊行物が出回るなど、大いに人気を博したという。

 

 「おまつりですね。『鎖国』のイメージとは、まるで違った」と、朝鮮通信使に詳しい仲尾宏・京都造形芸術大客員教授。異国の空気をまとった通信使の到来は、民衆にとっても一大イベントだったのだ。しかし、迎える側には苦労が絶えなかった。

 しかし、迎える側には苦労が絶えなかった。

 往来の沿線で迎える10万石以上の大名などは、その接待に莫大(ばくだい)な支出を強いられたようだ。供応の食事はもちろん、出迎えや護衛、関係先への進物などなど。相手は国を代表する外交使節だけに、藩のメンツをかけても、もてなしに手抜かりは許されない。両国の外交を一手に引き受けた対馬藩も、最後は幕府が援助する資金で持ちこたえている状態だった、とも。もちろん、負担は末端の農民たちにものしかかった。

 福岡藩の場合、一行を迎えた場所は玄界灘に浮かぶ相島(あいのしま)(現在の福岡県新宮町)。島民数百人の小さな島に、通信使一行に加えて接待役の藩士ら数百人が押し寄せた。客館がその都度造られ、豪華な特産品が取り寄せられて一行をあきれさせるほどだったという。ときには不慮の出来事もあった。相島では、大風で船が破損したり流されたり、福岡藩側に60人余りが亡くなる事故も起きている。

 こんな苦労に支えられながら、通信使一行の行くところ、あちこちで交流の花が開いた。なにしろ、儒学や医学、文学など豊富な知識を携えたエリート集団だ。いまで言う外国人タレントなみの人気だったらしく、行く先々で詩文や揮毫(きごう・(筆をふるって)字や絵をかくこと)を求めて知識人や群衆が詰めかけた。日本人の旺盛な知的好奇心はとどまるところを知らなかったようで、通信使側は鶏が鳴くまで眠れなかった、との記録もある。

 仲尾さんは「朝鮮側も『小中華』意識があり、儒教国家として文化を伝え、教化しなくてはとの自負や使命を感じていたはず。一方、日本の識字率は高く、通信使側は、少女がよい字を書くことに、びっくりしている。そんな土壌があって交流が成り立ったのでしょう」。

 文化の伝播(でんぱ)は一方的だったわけではないと、寄港地となった赤間関(あかまがせき)(山口県下関市)の町田一仁・下関市立歴史博物館長は指摘する。「たとえばサツマイモの栽培など農業技術も朝鮮側へ伝えられた。そこには双方向の交流があったのです」

 町田さんによると、当初やや上から目線もあった彼らだが、日本社会の衛生状態のよさを書き残すなど、回を重ねるにつれて日本への理解が進む様子が記録から読み取れるそうだ。

 朝鮮通信使はあくまでも外交使節。幕府や藩は必ずしも市井の人々との交わりを無制限に推奨したわけではなかったとの見方もある。けれど、異文化交流と相互理解の深化は、民衆のパワー抜きに語れない。両国が筆談でコミュニケーションできる漢字文化圏に属していたことも大きかったようだ。

 対馬藩で対外交渉を取り仕切った近江出身の雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)は、その外交方針に「誠信」の交わりを掲げた。国際交流の足腰の強さは、民間レベルの地道な積み重ねがはぐくむもの。「善隣友好」とは一朝一夕に築き上げられるものではないことを、朝鮮通信使は教えてくれる。(編集委員・中村俊介)

■「世界の記憶」不思議な縁

 ユネスコの「世界の記憶」には、全国ゆかりの自治体などでつくるNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会と韓国の釜山文化財団が共同で申請した。日韓合わせて111件333点。外交の記録、通信使が残した日記や行列の様子を模写した絵画類などの旅程の記録、国境の垣根を越えて展開した学術や芸術面分野における文化交流の記録などで構成されている。

 朝鮮通信使の関連資料と同時に、古代の石碑である上野三碑(こうずけさんぴ)」(群馬県)も登録された。楷書体の文字が刻まれる「多胡(たご)碑」もそのひとつ。拓本が朝鮮通信使を介して漢字のふるさと中国へもたらされ、書の手本にもなった。朝鮮通信使が取り持つ、なんとも不思議な縁である。

■仲尾宏『朝鮮通信使』(岩波新書)や同『朝鮮通信使の足跡』(明石書店)などがお手ごろ。「世界の記憶」に絡めた仲尾宏・町田一仁(共編)『ユネスコ世界記憶遺産と朝鮮通信使』(明石書店)もおすすめ。朝鮮通信使自身の手による記録も東洋文庫から出ている。

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