京都・奈良文化財保護サイト
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京都文化財史
国宝三十三間堂
三十三間堂(蓮華王院)の彫刻
二十八部衆
重要文化財目録
快慶
2.飛躍の舞台ヘ・東大寺再興
3.東国への進出
四.勧進のかたち(結線合力による造像)
慶派の仏像
桂離宮建築
楽器の間・新御殿
笑意軒
賞花亭
醍醐寺五重塔
鳥獣人物戯画(高山寺)
鳥獣人物戯画(国宝)
作者論争
奈良文化財史
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民衆が熱狂、朝鮮通信使
遣唐使の時代
法隆寺焼損
花開く都城文化
東アジア都城
2.百済・新羅の都城
3.日本の都城
阿修羅
常陸国府(石岡市)
市民大学講座①「古代の石岡」
文化財研究
鈴木空如
仏画家としての空如
平成21年度の取り組み
法隆寺金堂壁画
浄土寺(兵庫)
仏画家としての空如
仏画家としての空如 – 鈴木空如資料調査研究事業
仏画家としての空如
空如は、
日清戦争に22歳で従軍
し退役後、明治31年(1898)に26歳で東京美術学校(現・東京芸術大学)へ入学します。入学の後、山名貫義 (1836~1903、日本古美術研究の権威)や大村西崖(1868~1927、古仏画家研究の第一人者)に師事することになります。この山名・大村との 出会いが、仏画家・鈴木空如を生むことになるのです。
仏画家としての空如は、仏画によって生計を立てるというよりは、「仏像は厳格なる法則ありて画彫家の得手勝手に左右すべきものにはこれ無く候」、 「世の所謂大家などと称せらるヽ現今の俗工」が「不謹慎な像」を作っている状況は、「容易にその(仏画)法則を知る機関」がないためであるから広く仏画の 〈厳格なる法則〉を世に伝えるため、仏画の模写に生涯をかけていたことが書簡などを通して知ることができます。
第8号壁画 文殊菩薩像
第9号壁画 弥勒浄土図
第10号壁画 薬師浄土図
第11号壁画 普賢菩薩像
第12号壁画 十一面観音菩薩像
法隆寺金堂内陣壁画位置図
番号は壁画番号を示しています。
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