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阿修羅
阿修羅(あしゅら、あすら、Skt:asuraの音写、意訳:非天)は八部衆に属する仏教の守護神[1]。修羅(しゅら)とも言う。大乗仏教時代に、その闘争的な性格から五趣の人と畜生の間に追加され、六道の一つである阿修羅道(修羅道)の主となった。
■概要
古代ペルシアの聖典『アヴェスター』に出る最高神アフラ・マズダーに対応するといわれる(以下、歴史的背景の項を参照)[3]。それが古代インドの魔神アスラとなり、のちに仏教に取り入れられた。古くインドでは生命生気の善神であった[2]。天の隣国だが天ではなく、男の顔立ちは端正ではない。醸酒にも失敗し、果報が尽きて忉利天にも住めないといわれる。
本来サンスクリットで「asu」が「命」、「ra」が「与える」という意味で善神だったとされるが、「a」が否定の接頭語となり、「sura」が「天」を意味することから、非天、非類などと訳され[2]、帝釈天の台頭に伴いヒンドゥー教で悪者としてのイメージが定着し、地位を格下げされたと考えられている。また、中国において「阿」の文字は子供への接頭辞(「○○ちゃん」)の意味合いを持つため「修羅」と表記されることもあった。帝釈天とよく戦闘した神である。『リグ・ヴェーダ』では最勝なる性愛の義に使用されたが、中古以来、恐るべき鬼神として認められるようになった。
仏教に取り込まれた際には仏法の守護者として八部衆に入れられた[1]。なお五趣説では認めないが、六道説では、常に闘う心を持ち、その精神的な境涯・状態の者が住む世界、あるいはその精神境涯とされる。 興福寺宝物殿の解説では、「阿修羅」はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記している。 帝釈天と戦争をするが、常に負ける存在。この戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼ぶ。
姿は、三面六臂(三つの顔に六つの腕)で描かれることが多い[2]。 奈良県・興福寺の八部衆像・阿修羅像(国宝)や、京都府・三十三間堂の二十八部衆像・阿修羅像(国宝)が有名。 日本語では、争いの耐えない状況を修羅道に例えて修羅場(しゅらば)と呼ぶ場合もある。激しい闘争の行われている場所、あるいはそのような場所を連想させる状況を指す。
■歴史的背景
一般的には、サンスクリットのアスラ(asura)は歴史言語学的に正確にアヴェスター語のアフラ(ahura)に対応し、おそらくインド-イラン時代にまでさかのぼる古い神格であると考えられている[3]。宗教学的にも、ヴェーダ文献においてアスラの長であるとされたヴァルナとミトラは諸側面においてゾロアスター教のアフラ・マズダーとミスラに対応し、インド・ヨーロッパ比較神話学的な観点では第一機能(司法的・宗教的主権)に対応すると考えられている。アスラは今でこそ悪魔や魔神であるという位置づけだが、より古いヴェーダ時代においては、インドラらと対立する悪魔であるとされるよりは最高神的な位置づけであることのほうが多かったことに注意する必要がある。
ペルシアのゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーやそれらの神が中央アジアの初期アーリア人経由でインドに伝来してアスラとなり、中国で阿修羅の音訳を当てた。阿素羅、阿蘇羅、阿須羅、阿素洛、阿須倫、阿須輪などとも音写する。 仏教伝承では、阿修羅は須弥山の北に住み、帝釈天と戦い続けた。阿修羅は帝釈天に斃されて滅ぶが、何度でも蘇り永遠に帝釈天と戦い続ける、との記述がある。
■戦闘神になった背景
阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されているが、阿修羅はもともと天部の神であった。阿修羅が天部から追われて修羅界を形成したのには次のような逸話がある。
阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれる。 阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天(とうりてん、三十三天ともいう)に住んでいた。また阿修羅には舎脂という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていた。しかし、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱したともいわれる)。それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。
帝釈天は配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせて応戦した。戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところへ蟻の行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から軍を止めた。それを見た阿修羅は驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。
一説では、この話が天部で広まって阿修羅が追われることになったといわれる。また一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。このことから仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。 阿修羅を意訳すると「非天」というが、これは阿修羅の果報が優れて天部の神にも似ているが天には非ざるという意義から名づけられた。
■阿修羅王と住処
阿修羅王の名前や住処、業因などは経論によって差異がある。パーリ語(Pl)では、阿修羅王に Rāhu、Vepacitti、Sambara、Pahārāda、Verocana、Bali の5つの名が見られる。ただし大乗仏典では、一般的に阿修羅王は4人の王とされることが多い。 『法華経』序品には、4人の王の名を挙げ、各百千の眷属を有しているとある。また『十地経』や『正法念処経』巻18~21には、これら4人の住処・業因・寿命などを説明しており、其の住処は妙高山(須弥山)の北側の海底地下8万4千由旬の間に4層地に分けて住していると説く。以下説明は主に正法念処経による。
■羅喉阿修羅王(らご)
Skt及びPl:Rāhu、ラーフ、パーリ語(PI):訳:障月、執月、月食など、 その手でよく日月を執て、その光を遮るので、この名がある。 (住処) – 第1層、海底地下21000由旬を住処とする。身量広大にして須弥山のようで、光明城に住み、縦横8000由旬。
(業因) – 前世にバラモンであった時、1つの仏塔が焼き払われるのを防ぎ、その福徳により後身に大身相を願った。不殺生の実践したが、諸善業を行わなかったので、その身が破壊(はえ)し、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。 (寿命) – 人の500歳を1日1夜として、その寿命は5000歳
■婆稚阿修羅王(ばち、婆稚とも)
Skt及びPl:Bali、バリ、訳:被縛 帝釈天と戦って破れ、縛せられたためにこの名がある。正法念処経では勇犍(ゆうごん)阿修羅王。ラーフの兄弟で、彼の子らはみなVerocaと名づく。 (住処) – 第1層の下の第2層、さらに21000由旬の月鬘(げつまん)という地で、双遊城に住み、縦横8000由旬。 (業因) – 前世に他人の所有物を盗み、不正の思いをなして離欲の外道に施して、飲食(読み:おんじき)を充足させたので、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。 (寿命) – 人の600歳を1日1夜として、その寿命は6000歳
■佉羅騫駄阿修羅王(きゃらけんだ)
Skt:Śambara、Pl:Sambara、サンバラ、訳:勝楽、詐譌、木綿など 正法念処経では華鬘(けまん)阿修羅王と訳される。
(住処) – 第2層の下の第3層、さらに21000由旬の修那婆(しゅなば)という地で、鋡毘羅城(かんびら)に住み、縦横8000由旬。 (業因) – 前世に食を破戒の病人に施して、余の衆は節会の日により相撲や射的など種々の遊戯をなし、また不浄施を行じたので、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。(寿命) – 人の700歳を1日1夜として、その寿命は7000歳
■毘摩質多羅阿修羅王(びましったら)
Skt:Vemacitra、Vimalacitra、Pl:Vepacitti、ヴェーパチッティ、訳:浄心、絲種種、綺書、宝飾、紋身など 乾闥婆の娘を娶り、娘の舎脂を産んだ。前出のように舎脂は帝釈天に嫁いだため、帝釈天の舅にあたる。
(住処) – 第3層の下の第4層、さらに21000由旬の不動という地で、鋡毘羅城(かんびら)に住み、縦横13000由旬。 (業因) – 前世に邪見の心を以って持戒する者に施して、余の衆は自身のために万樹を護ったので、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。 その他『起世経』では、須弥山の東西の面を去ること1000由旬の外に毘摩質多羅王の宮があり、縦横8万由旬であるといい、また修羅の中に極めて弱き者は人間山地の中に在りて住す、すなわち今、西方の山中に大きくて深い窟があり、多く非天=阿修羅の宮があるという。
■阿修羅道(修羅道)
六道のひとつ。妄執によって苦しむ争いの世界。果報が優れていながら悪業も負うものが死後に阿修羅に生る。 人間道の下とされ、天道・人間道と合わせて三善趣(三善道)、あるいは畜生道・餓鬼道・地獄道の三悪趣と合わせて四悪趣に分類される。五趣に修羅道はなく、天道に含まれていた。また「増一阿含経」では、神通力を持つ魔羅身餓鬼の阿修羅と、海底地下84000由旬を住処とする畜生道の阿修羅が居るとしている。
「起世経」によれば、阿修羅たちは身長や寿命、三十三天の住人と特徴を同じくする。身長は1由旬で、寿命は一昼夜が人間の100年で1000歳。形色、楽、寿命の3点において人間に勝る。「正法念処経」では寿命は5000歳。 「正法念処経」によれば、衣食は望むままに現れ、天界と変わらぬ上等なものが得られる。「大智度論」によれば人間道に勝る食事ではあるが、竜王の食事が最後の一口がカエルに変わるように、修羅の食事も食べ終わるとき口の中に泥が広がるため、人間道に勝るものではない。
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