■情報デザイン
▶︎廣村正彰
グラフィックデザイナー。愛知県生まれ。田中一光デザイン室を経て、1988年に廣村デザイン事務所を設立。日本デザイナー協会新人賞、N.Y.ADC 9th International Annual Exhibition銀賞受賞。2008年 KU/KAN賞受賞。2009年 毎日デザイン賞受賞など受賞多数。サインデザインを数多く手がける。東京工芸大学芸術学部教授。特種東海ホールディングス AD顧問。著者『空間のグラフィズム』六耀社。『デザインのできること デザインのすべきこと』ADP。『字本 JI BORN』ADP。『世界のグラフィックデザインシリーズggg Books』ギンザ・グラフィック・ギャラリー。
▶︎吉岡徳仁
吉岡 徳仁(よしおか とくじん、1967年) 日本のデザイナー、アーティスト。デザイン、建築、現代美術の領域において活動し、光と自然をテーマとした作品は、国際的に高く評価。作品や家具はニューヨーク近代美術館(アメリカ)、ポンピドゥー・センター (フランス)、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(イギリス)など、世界の主要美術館に永久所蔵。国際的なアワードを多数受賞。アメリカNewsweek誌による「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれる。2020年東京オリンピック聖火リレートーチデザイン担当
▶︎山下芳郎
1964年 東京オリンピック・・・オリンピックで初めてピクトグラムを採用したのが1964年の東京オリンピック。日本語が通じない選手や観光客向けに見ただけで分かるよう体のシルエットをモデルにして開発されています。
グラフィック・デザイナー:Yoshiro Yamashita / Masaru Katzumie 1964年 東京オリンピックの結果とハイライト
Tokyo 1964 Summer Olympics – results & video highlights
▶︎向井周太郎
1932- 昭和後期-平成時代のデザイン教育者。昭和7年10月25日生まれ。西ドイツのウルム造形大に留学。ハノーバー工科大工業デザイン研究所をへて,昭和40年武蔵野美大基礎デザイン学科創設に参加,45年教授。ビジュアルポエトリィ「うむ(UMU)」の会を主宰。形象詩人としても知られる。東京出身。早大卒。著作に「デザインの原点」など。
▶︎ダン・ローム
Dan Roamは、Fast Company、BusinessWeek、およびTimes of Londonによって、今年の革新と創造性の本に選ばれた、国際的なベストセラー「ナプキンの裏側:写真で問題を解決し、アイデアを販売する」の著者です。 「ナプキンの裏側」は27か国語で発行され、米国、英国、日本、ドイツ、中国、韓国、フランスでビジネスブックチャートを上回っています。
▶︎シャノンとウィーバー
著者は、コミュニケーションの伝達モデルの標準的モデルとして、シャノンとウィーバーのあの良く知られたコミュケーションモデル(1949)の概要とその難点と思います:それはコミュニケーションを‘情報を伝達する’過程に還元するモデルです。その根底にあるコミュニケーションを伝達に例えるメタファー(metaphor)は日常的な‘常識’の 基礎となっていますが、多くの点で誤った方向へ導くものであり、批判を受けています。
▶︎哲学の図
自由七科の中心に坐する哲学 – ランズベルクのヘラートの『ホルトゥス・デリキアールム』より(12世紀)
▶︎シャルル・ミナール
シャルル・ミナールによる図。大陸軍の遠征中の兵力の移動と増減を示している。下の表は撤退時に記録した温度(レ氏)。-30°R = -37.5°C なお、この図サンキー ダイアグラムの嚆矢としても知られる
サンキー・ダイアグラム(英Sankey diagram)は工程間の流量を表現する図表である。矢印の太さで流れの量を表している。特にエネルギーや物資、経費等の変位を表す為に使われる。 Sankeyの名前の由来は1898年に初めてこの形式の表を用いた公刊物(Minutes of Proceedings of The Institution of Civil Engineers中の蒸気機関におけるエネルギー効率についての記事)の著者であるアイルランド人M.H.サンキー(en)に因(ちな)む。
▶︎サンタクルスの町を手のひらで表した地図
1912年、ポリー・ヒル作。
サンフランシスコ湾を両手で表した地図:1938年、レグ・マニングによるカリフォルニア州のガイドマップマンガより。
▶︎ロンドン地下鉄地図 1933
英語から翻訳–ヘンリーチャールズベックは、1931年に現在のロンドン地下鉄管図を作成したイギリスの技術製図担当者でした。ベックは、ロンドンアンダーグラウンドシグナルオフィスでエンジニアリング製図者として働いていたときに、暇なときに図を作成しました。
▶︎ナイジェル・ホームズ
1942年英国生まれ。ロンドンのロイヤルカレッジオブアートでイラストレーションを学び、雑誌や新聞で活躍後、1978年から米タイム誌でグラフィック部門の責任者を16年間務める。1994年に独立してエクスプラネーション・グラフィックス社を設立。大手企業やナショナル・ジオグラフィック誌などのメディア向けにインフォグラフィック作品を多数制作している
▶︎リチャード・ソール・ワーマン
ワーマンはペンシルベニア大学で建築の訓練を受け、1959年に卒業しました。彼は次の13年間をフィラデルフィアで過ごし、この間、建築家ルイス・カーンとの長期にわたる友情を育みました。
彼のキャリアの早い段階で、彼は「情報アーキテクト」という用語を作り、それに応じて専門的な活動を再調整しました。1981年にロサンゼルスにAccess Pressを設立し、近所ごとに整理された一連の旅行ガイドを作成し、観光客の実際のニーズを中心とした情報を提供しました。彼は同じ原則をスポーツイベントに関する他のアクセスガイド、および金融やヘルスケアなどの他の複雑なトピックにも適用しました。1987年にサンフランシスコでザ理解ビジネスを設立し、電話帳、道路地図、航空会社ガイドの新しい形式で物事を理解できるようにするという彼の使命を継続しました。これらのプロジェクトの動機付けの原則の概要は、1989年に出版された彼のベストセラーの本「情報不安」にあります。
▶︎20世紀: 視覚言語の誕生
1936年、哲学者オットー・ノイラートはいわゆる言語に寄らない国際的な視覚言語として機能するピクトグラムの体系を提唱した。アイソタイプには様式化された人間の形が使われており、最近ではどこでも目にする棒線画の元となった。1942年、ルーマニアの詩人イシドール・イズーは文字主義宣言を発表した。1972年、ミュンヘンオリンピックでオトル・アイヒャーが新たな一連のピクトグラムを使った。これが一般に広まり、公共の標識などでの棒線画の利用に影響を与えた。