かわりのかたち

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■ちぢめ=縮

 (ちぢめ=縮小) 本来長いもの,大きなもの,あつかいにくいものを縮小するには二通りの方法がある。

 一つは,大きなものを矯(た)めたり、縮めたりして小さくしてしまうのである。大柄なものを縮小するとそこに凝縮した面白さが生まれる。西欧のミニアチュア芸術,細密画などほ体躯の大きい西欧人にとって興味をそそられるものなのだろう。日本にも一粒の米に何百という文字を書いて驚かせるものや盆栽・盆石・箱庭のたぐいがある。だがこれらは,珍奇や愛玩の対象でしかない。

 もう一つの縮めるかたち。巻いたり折ったりたたんだりこれこそ機能的要求から生まれた技術でありかたちである。着物をたたみ,袴をたたみ,傘をたたみ屏風をたたみ,扇子をたたみ掛物を巻き,糸を巻く。これらは,あつかいにくいもの大きなもの,長いものを格納するために生まれた知恵である。

 そして日本人の生活美学は使うときばかりでなくこの格納するときの姿にも美しさを求めた。かくて,糸を巻いておく技術は、美しい色どりの糸を玉に巻いて姫てまりをつくり、物を巻いたかたちは、巻ずしや和菓子のかたちに定着する。

 立体的な着物や袴を折りたたんで平面化した技術は、逆にいったん折ったものを半ば立体的におこして折紙の造型をつくった。切りはなしたものをつなぎ合わせてつくるのでなく連続したものを折ってつくる造型の多様さには目をみはるものがある。

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■まき=巻

(まき=巻)糸巻き,姫てまり,黒髪をくるくると櫛に巻きつけた結髪の櫛巻,これらは線状のものを巻いたかたち。床にかける掛物も,机上にひろげられる絵巻物も,巻いて木箱にしまわれる。毛筆の書状に使われた巻紙は,延ばしながら書き書き終わると巻いて封筒におさめられる。これらは平面状のものを巻いたかたち。そして巻きずしをつくるすまきや,日よけのすだれのように,固体をつづってつくられたものは,その面素に従って巻かれる。

 ひろげる扇子や屏風などは,機能的な折りのかたちである。これら折ってつくられるかたちのきっばりときまった美しさから,ひとは折り目正しいなどと人間精神の形容にまでそれは使われている。

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■おり=折

 清らかな白紙による神前の貨幣,紅白の紙を合わせて折った贈物にそえるのし紙,中に包まれた香のかおりをしのばせる香包み,千羽鶴をはじめとする各種の折紙。だが紙ばかりではない。薄い木材を折ってつくる折敷(おしき)や折上盆(おりあげぼん)折櫃(おりびつ)。烏帽子の頂部をいろいろに折った折烏帽子や円形の網笠を二つ折りにした一文字笠は,一種のおしゃれだったろうか。そして折ってしまい使うときひろげる扇子や屏風などは、機能的な折りのかたちである。これら折って作られる形のきっぱりと決まった形の美しさから、ひとは折り目正しいなどと人間精神の形容までそれは使われている。

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■ひねり=異相 

(ひねり=異相) 異相幾何学の初期の命題にメビウスの帯というのがある。紙テープを一回ひねって端と端をはり合わせるとこの帯は裏表がなくなってしまう。ヒラヒラした一本のテープも一つひねられると幾何学的に不思議な性質を与えられるのである。この場合テープのかたちはもとのテープである。だがが同じように,単純な技術をほどこすことでかたちが,相貌が,全くかわってしまう場合がある。

 細く切られたへラへラの紙片もそれをよってこよりにすると下端をもってもビンと直立している。一枚の紙も,両手のひらでもんでひろげてみると細かい起伏をたたえている。もはやもとの紙とは,全くちがったかたちである。ここて異相のかたちと呼ぶのは,こうして結果されたかたちである。

 材料は少しもかわっていないのにかたちはすっかりかわっている。括(くく)ったり撚(よ)ったりその結果のかたちには加えた力が溜っており加えた力の方向が美しい線や面の流れとして残っている。

 つぎに絞ったり揉(も)んだり,その結果のかたちには加えた力の履歴が表面の深い起伏になって残っている。そして最後に大工がカンナで木材をけずると全く薄い木のけずりかすがちぢれたり,まるまったり,反っくりかえったりして出てくる。それはもとの固い材木とは全くちがったかたちである。

 本州中部から西南の地方に分布する正月十五日にそなえる削掛(けずりかけ)は その名のとおり木の棒を小刀で上下からけずりかけたものである。木はもとの木にちがいないのだが相貌はただけずるという単純な技術で,一変する。

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■ひねり=拈

 仏前に志をそえるとき,ひとは紙に貨幣を落とし、きゅっとひねってそなえる。これはそのままおひねりと呼ばれる。夏,つめたいタオルをぎゅっとひねって水をしぼったかたちのまま,さしあげる。これはおしぼり。ひねることで,平面は立体化され,その立体の上をひねった力の線が走る。木の箸にも和菓子にもひねったものがあり,ひねったかたちは多い。

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■より=撚

(より=撚)細い和紙を,指先でよりあげていって、こよりをつくる。そのこよりを,二本より合わせると丈夫なひもになる。

 同じことを,わらを使えば縄ができ綱がつくられる。神前の注連縄、角力の横綱・それは力の溜った丈夫なかたちで,再びもとの薄い紙、わらや糸を思いださせない。 神前の注連縄、角力の横綱・それは力の溜った丈夫なかたちで,再びもとの薄い紙、わらや糸を思いださせない。

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■しぼり=絞

 (しぼり=絞)布の一部をつまみ,それを糸でしぼりあげて染めると,糸でしぼった部分には染色がおよばない。糸を取ると,ここは白くのこり,布地はしぼったかたちをのこして,その部分を突起させている。模様ができるとともに,平たい布地は凹凸を形成して質感を深める。鹿の子しぼりはこうした起伏の密集をたのしむし,大柄なしぼりは平らにもどして模様をたのしむ。そして,紙や布よりも固いしぼれないものにも,このしぼり模様をうつした紋様があり,しぼりがたと呼ばれる。

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■もみ=揉

(もみ=揉)紙をもんでひろげると,人工的な平滑面は消えうせて,不規則なこまかい起伏がみちあふれる。それは光を乱反射し,平滑面とはちがった柔らかい輝きを溜めている。金や銀のもみがみはこうした輝きをねらったもので,ふすまにはられる

 また延ばして色紙にはったものは,不規則なもまれた線がたのしまれる。紙を筆の軸にまいて,上からぎゅっとちぢめると,ちぢみのようなこまかいしわがよる。それでつくるあねさま人形も,一種のもみのかたちだろう。
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もみがみ

■けずり=削

 (けずり=削)鉛筆をけずり,かつおぶしをけずると,けずられた細片の表面はちぢみ,けずられた面は延びて,反りかえる。けずりぶしやゴボウのササガキは,こんな反ったかたちをたのしむ料理。地方の祝木(いわいぎ)(削掛)や,九州のうそ,山形のとりなどは,木の棒をけずりかけて,その部分が羽毛のように反りかえっている。もとの木から想像もできない柔らかいウエーブが展開する。

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■きりはなし=破切

 (きりはをし=破切) 東洋人は,かつて亀甲や獣骨を焼いて、そのひびわれの様相から,人生を占った。どのような破線があらわれるか それは焼いてみないとわからない。その亀裂の偶然の姿に 人生をかけたのである。20世紀の科学の時代にまでつたわる自然で偶然な破線や破面にたよるかたちやデザインは、さかのぼればこうした古代の心に通ずるのかも知れない。

 破ったり,欠いたり,割ったり これらは極めて単純な技術である。だがそれだけに,まえもっての深い配慮が必要である。破ったもの,欠いたもの,割ったものは それはもうもとにもどせないからだ。深い配慮をうちに秘め,祈りをこめて割るその強い決断力、早い打ちおろしの速度。それが破面を輝かせる

 せっかく人工のノミで,刻み仕上げたツクバイの一角を 最後にポーンと欠いてしまう。人工のノミあとに包まれて,いきぐるしかったこのツクバイは割られた自然で偶然な破面から、息づきはじめ,自然の秩序に仲間いりする。

 木材のなぐり仕上げも,生木のうちになぐらないと 破面は輝かない。だが、切ったり,断ったり,落としたり,取ったりには、鋭さはあっても偶然性はない。

 ここでは人間の構想力のままに,技術はほどこされ星。その直線的な鋭さは、炉を切るとか,布地を断つという言葉になってあらわされ 仏門に入るひとの落髪や夫をなくした女性の切下げが その決意の深さを示している。

 武将の使った切裂(きつさき)と呼ぶ指物,千木や竹の花器。すべて直線に使われた刃物の仕わざであり。鋭い断面が美しくうたうのである。

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■やぶり=破

(やぶり=破)色紙にやぶりつぎというのがある。やぶいた紙をつぎ合わせ,はり合わせて,その偶然のやぶれ目を和歌をかく下地のデザインにするのである。

 漆塗りにあらわれる断文,陶器のひびやき,これらは下地の材料と表面の塗りやうわぐすりとの,膨脹率の違いによって生まれる。こまかい亀裂をたのしむのである。破られた材料の,せいいっぱいにこらえた抵抗の力が,これらの破線の表情をつくる.

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■わり=割

 (わり=割)箸は二本合わせて使うものだが,その二本を一本のまま,半ばまで切っておいて,あとは使うとき割って二本にする。一度割って使ったものは,二度使わずにすてられる。わり箸には日本人の深い知恵がひそんでいる。農家や窯場に,山と積まれた割木の薪,そのささくれだった破面は火つきがいい.円空のナタボリの木彫では,この破面が激しくうたう。

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■きり=切

 (きり=切)出雲木社の千木は,その先端を垂直に切っている。伊勢内宮の千木は水手に切っている。垂直に切れば天空に輝きを送り,水手に切れは風をさそう。正月の門松の竹,竹を使った花器など切ったかたちは切断面の鋭い美しさをうたう。竹
の節を一つ中にはさんで上下を切った花器は寸胴。上部にもう一つ切り欠いた部分があれば獅子口,そして節二つを含んで中を切り欠けは竹二重と呼ばれる。切りかたで,いろいろな断面・空間・使用機能の生まれる面白さ.そして,すしにそえる
笹の葉や,やくをはらう紙のひとがたなど,平面を切ったかたちには,刃物の鋭さが香りたつ。

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■くずし=変容

 (くずし=変容) 連続的に姿をかえ,表情をかえてゆくかたち そこに日本的な特色は見出せないだろうか。さらに抽象して、表現を強化し、強調していこうとする西欧の傾向に対して、原型の集中的強さを崩し、暈して、その余韻をもって拡散しようとする傾斜。そんなふうにはいえないだろうか。

 ぶっちがいにとおった直線構成をきらって どこもここも巾や高さの違いあった茶室の内部構成をつくる。

 直線にのびる橋に対して 同形の板を違えてつなげた八つ橋の造型力があり、石の杭を乱にうちこんで その頭を歩きつたって地面を渡る沢渡石もある。

 崩し,違え,そして乱してゆくのである。自然の狂いのぼる,火炎や水煙や巻雲は はじめその激しい姿のままに火炎太鼓や,不動尊の光背や,塔の水煙や,雲竜模様となって人工のかたちに定着した。神魂(かもす)神社の天井にかかれた雲の絵様は元来大地からほなれえない建築物を天にとどかせようとするかのようである。

 だがここでももっとのどかな行雲や春のかすみや陽炎(かげろう)が,やがて日本人の心をとらえるようになる。匂い・薄様,斑濃(むらご)それは集中的な力ではなくて拡散的暈しである。そして裾濃(すそご)や着物の模様のくばりにみられる江戸棲(づま)模様や裾母模様は力づよい上昇性ではなくておちついた下降性を示すものである。

■くずし=崩

(くずし=崩)角ばった強いものから,まるみをもったやさしいものへ,それが日本のディフォルメ−ションの傾向であろう。角ばった真の書体から行をへて,女性的な草の世界へである.こうして優美な曲線に崩れかわった文字は,鋳こまれてふすまの引手にもなる。そして各種の紋や紋様も,くずしになると原初の力を失って,美な情感に訴えるかたちとなる。

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■ちがい=違

 (ちがい=違)違棚という棚の形式がある。一直線に単調に板をわたすのでなく,二つの板を上下段違いにしてつなぐのである。同じ大きさの板,同じ大きさの石材を,一つずつずらしつないでできる八つ橋,同形の畳を,視いのときと凶事のときに違ったかたちに敷き合わせる変化,五包の香をたての五本線であらわし,そのうちの同香を水平線でつなぎ合わせて,五十二とおりの構成をつくった源氏香図,これらには,規格化によってもたらされる単調さを,違えることで救う知恵が認められる。そして,われわれがいまもグジビキに用いるあみだは,一体誰が考案したものだろう。

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■みだれ=乱

 (みだれ=乱)源氏物語絵巻の文字の部分に,乱れがきというのがある。くずした流麗な文字が重なりあって書かれていて,恋情の乱れが文意とともに字くばりのかたちによってもあらわされているのである。池のなかに乱打ちにされた石くいの頭を渡ってゆく沢渡石も,ひとの動きを規制して,それは心の状態に及ぶだろう

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■ぼかし=暈

 (ぼかし=暈)京都をとりかこむ山々,東山や北山をじっと眺めていると,思わぬところにふっとかすみが立ちこめては,また消えてゆく。それは,ひとのなせるわざではないかと疑うほど,たくみな風情である。水墨のにじみ,日本画のかすみ,絵巻物の行雲,これらほこうした自然の風情に由来するものだろうか。匂・薄様・斑濃・裾濃など,あのほのかなうつろいのかたちは,何から生まれでたのだろうか.

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