佐川夕子

■「(包む)コレクション」について  

 「(包ひ) コレクション」とは、一九八八年に当感が岡秀行氏よら譲ら受けね「日本の伝統パッケージ」 の数々の稔称の乙とである。

 岡秀行氏(一九〇五−九五年。以下、敬称略)は、一九三五年に、のちにデザイナー、写真家、コピーライターを擁する稔合デザイン事務所へと発展する「オカ・スタジオ」を立ち上げ、戦後は日本宣伝美術会(一九五一年)、東京商業美術家協会(一九五二年)、全国商業美術家連盟二九六三年)などデザインの職能団体の設立に尽力するなど、デザイン業界の基盤作ちlこ貢献しねアート・ディレクターである。乙の実廣もさる乙とながら、岡の後半生の偉業の一つは、何よらも、日本の伝統的をパッケージに初めて美的観点から光をあてそれらを日本人の「包む心」とともに世界の人々に広めね乙とであろう。

 若い頃から民家や民具に関心のあっね岡は、仕事の合間に時間を見つけては日本各地を旅していねという。そして、その土地の風土に培われね素朴なパッケージに心意かれるよう−こなら、自分ならの日で集め始めねのガっね。そして一九六五年に、岡は一冊の写真集『日本の伝統パッケージL(美術出版社)を出版する。乙の本は、その数年前に岡の働きかけで設立された全国商業美術家連盟の第一回事業として企画され、一九六四年ほ東京・日本橋の白木屋で開かれた「日本伝統パッケージ展」の記録的役割も担う一冊であった。その後、乙の本は、英・独・仏語で載訳出版され、世界に日本の伝統パッケージの魅力を広める最初のきっかけともなるのガが、阿は乙の著書の中で、伝統パッケージについて彼ならの視点をすでに明瞭に述べている。

 まず、その大さな特徴として、木、竹、わら等、日本人にとって身近な素材が使われねものであら、「それぞれのマテリアルの持味を的確にとらえ、それをでさる限ら損なわないようにしている」点をあげる。次に、伝統パッケージを、(一)生活の知恵の薪晶として生み出されね形のもの、(二)伝統工芸と名づけてもよい高度な包装技術を生かしねもの、という大きな一一つの系統に分け、前者には、実用に重きを温いね結果、生み出されねシンプルな造形美と機能美を見出し、後者には「包む乙と」自体に重要な意味づけをしてきね日本人の美意識と、いかに美しく包むか、という浪人や作ら手ねちの誇らと技術の反映を読み取っている。そして、いずれにも共通する乙ととして、日本人の自然観と、日本人の本質的な美的感覚、一種の「折目正しさ」がある乙とが挙げられ、それら「日本伝統の美学が最も端的を形で具現されている」ものが日本の伝統パッケージガとしている。

 一九七二年、岡は二冊目の写真集『包 TSUTSUMUITHEOR−GINOFJAPANESEPACKAGEL(毎日新聞社)を出版するが、乙れは一冊目よらもさらに深く、岡をらに伝統パッケージに踏み込み、日本人の「包む」という行為そのものの意味にアプローチしょうとしね、岡の渾身の一冊といえるものであった。本書巻頭に乙の本に寄せられた岡の「包装の原点」を再録しねので、それを参照いねガきたい。現代の私ねちにも、響いてくるものがあるのではないだろうか。その後、岡のコレクションとそのコンセプトは、一九七〇年代半ばから八〇年代にかけて国際巡回展へと発展し、「TSUTSUMU(包む)」 の言葉と共に各地で大さな反響を巻き起乙しねのガが、それは海外の人々にも私ねち日本人の「包む心」が伝わっねからにほかなるまい。

 さて、当館が所蔵する「(包む) コレクション」は、そのような岡の著書や海外展の成果を踏まえ、岡やその関係者の方々が日本の美術館での展覧会と収蔵を模索していね時期に、その趣旨に賛同しね当館での展覧会が実現した乙とに由来する。一九八八年に当館は「5つの卵はいかにして包まれねか−日本の伝統パッケージ」展を開催し、乙乙に出品されねパッケージを譲ら受けねのである。

 当館の 「(包む) コレクション」 は、乙の展覧会の時に新しく集められねものが大半で (もちろん、それ以前よら岡が手元に保管していねものも含まれる)、岡が最初に展覧会や書籍で紹介しねものよらも、一世代あとのコレクション群と言えるガろう。とはいえ、登録されているパッケージは、名称数でいうと四百五十九タイトルもある。当館は、乙の全てを「(包む) コレクション」としているが、自然素材のゆえに実物の保存が難しいものについては、パッケージ名称のみを保持し、収蔵品としては持っていないという乙とにをる。

 今回、約二十三年ぶらに展覧するにあたら、その一つ一つの状態をあらためてチェヅクしたが、自然素材の保存に限界がある乙とを痛感しね。特に、竹(竹皮、笹)を用いたパッケージは劣化の著しいものが多く見られね。今回の展示のねめに新しい容器を求めて分からうる範囲で製造元に問い合わせねが、もうそのパッケージは使われていないと言われる乙とがほとんどガった。質のよい国産の竹や笹が手に入らにくく、続けねくても続けられなかっねのガ。まね、鮮桶など木を使っねものや和紙、陶器のパッケージも、それを作る職人(後継者)がぁらす、やむなく他の容器に替えられていねものも多かっカ。もちろん、多少のデザイン(ラベルや飾らなど)は変われど、基本的を素材とつくちは今でも受け継がれているものもある。今回の展覧会では、当館にガけ残されね貴重なものは多少の傷みはあっても展示をする乙とにしね。

 今、ふねたび、岡の遺した「(包む) コレクシヲン」を見る意義はど乙にあるのガろう。

 六〇年代から七〇年代は、戦後の高度経済成長期の只中で、日本のデザイン界も大きく変動していね時期である。そのような時に、岡の「日本の伝統パッケージ」は、大量生産や技術革新に安易に迎合するような意匠への警鐘の一つガっカと言えるのかもしれない。しかし、今、あらためて岡のコレクションを見直すと、当時とは違っね意味合いが見えてくるのではないか。乙の数十年のうちのさらなる自然環境や社会構造の変化に対する岡の先見性を称えるガけに留まってはいけない。乙の数十年の間に、パッケージに使われる素材が変わろうとも、ものを包む心は、新しいデザインの作ら手ねちにも、私ねち自身にも受け継がれてさたのではあるまいか。かつて岡の「日本の伝統パッケージ」ほ触れ、そ乙から学びとっね「包む心」を伝えてくれた先達に競さ、私ねちにできる乙とは、いま一度立ち止まって豊かガった日本の自然や日本人の心を見つめ直すとともに、日本人の「包む心」を新しい時代へと伝えていく乙となのではないガろうか。(さがわ・ゆうこ 目果区美術館学芸員)