2.あたらしい存在への変容

春日直樹(かすがなおき)

 「ひとをかたどる、神がみをかたどる」のセクションで展示するのは、人間の身体をもとに神や精霊をイメージした像や人形や飾りの数々である。さまざまな地域でいろいろな年代に制作された品々は、素材も形態もサイズも異なるが、何か共通で特別な力で私たちを引きつける。たとえば、「ユダ人形」udas Effigy」(メキシコ)[写真・下]にどんな意匠や技巧が凝らされているのかを見て取るのは難しい。

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 洗練さも美しさも認めがたく、気味が悪いという形容さえ成り立つ。にもかかわら坑会場に展示されたユダ人形は、西洋近現代のアートが及ばないほどの力で観る者を圧倒してはいないだろうか。

 この不可思議さを理解するために、少し遠回しだが本セクションの展示品の収集に深く関わった民族学者たちに登場してもらおう。彼らがフィールドでこのような品々と向き合うとき、「宗教」「呪術」「儀礼」といった語に相当する実践や慣行を調査中の場合が多い。民族学者は作品の制作過程、所有関係、活用の形態を調べて、宗教的な実践と信仰へと関連づける。しかしながら彼らの調査地の多くでは、かつて高名な学者A.M.ホカートが自分のフィールドを描写したように、「ここには宗教がない」のである。どういうことなのか?

 ホカートの主意は、現地の生活の隅々まで、宗教的な思考や感性が染みわたっているので、人々は宗教をことさらに意識したり論じたりすることができない、という点にある。反対にいうと、民族学者たちにそれができるのは、宗教的なものごとが分離されて対象化される程度にまで、彼らへの影響力を低下させたからに他ならない。要するに、民族学者が遠い異国へと宗教の調査に赴くのは、彼ら・・・そして彼らの属する社会・・・が宗教を客観的な研究対象にできるような状態になり、そして客観的に研究しないかぎりは宗教的な事象を理解できなくなったためなのである。

 民族学者の属する社会とは、本展覧会「イメージの力」を鑑賞する私たちの社会でもある。おそらく私たちの多くは、宗教研究の話など自分に関係ないと思うだろうが、大いにあるといわねばならない。そもそも美術館・博物館の出現そのものが、近現代の宗教研究の成立と不可分なつながりをもつ。

 展示品が「アート」として成り立つ条件は、民族学者が宗教を研究する条件と重なっている。つまり、もしも宗教的な思考や感性が生活全体を覆い尽くすほどに強力だとすれば、展示品は「アート」ではなく神や精霊を表現し、あるいは体現する何かへと変身してしまうだろう。今日のアート・・・そしてアーティスト・・・の一部に、たとえ宗教的な性格が漂うにせよ、宗教的宇宙からの分離という履歴がどこかで見え隠れするのを忘れてはならない。アートも美術館もたそがれ民族学の宗教研究も、いわゆる「宗教の黄昏」を経て誕生したのである。

 このように考えるとき、「ひとをかたどる、神がみをかたどる」のセクションの作品群で展示された品々の特別な魅力が多少なりと納得できる。近づきがたいが離れがたく、崇高と思えばおどろおどろしく、滑稽にみえるが油断するとこちらを食べてしまいそうな品々の力は、いったいどこから来るのか。

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 少なくても、それは美術館で展示される「アート」として創り出された力ではない。かといって、民族学者が現地で出会う人々の生活世界を再現しているわけでもない。品々はすでに原初の背景から引き剥がされて、もともと付与され期待されていた役割も奪われている。では、この力は何に由来するのか。

 私一人で答えるには重すぎる問いだが、以上の考察から引き出せることがある。本セクションの展示品は、純粋なアートでも儀礼的な用具でもなく、けれども「宗教の黄昏」以後を生きる私たちのただ中に舞い降りたものである。少なくとも私たちにとって、それらは従来のアートでは顕現できない超自然的な力を励起する、特別な存在のはずだ。

 それだけではない。超自然や宗教といった表現は、あくまで「宗教のある」側に生きる私たちの言語であって、展示品の発する強烈な力は表現しがたく、それを隠蔽してしまう恐れさえある。この点は同時に次のことを示唆する。美術館での展示によって、品々は「宗教がない」原初の状態から「宗教のある」状態へと移行し、存在しなかった言葉や観念の前にみずからを現前させて、あたらしい存在へと変容を遂げている。

 「ひとをかたどる、神がみをかたどる」の展示品はこうして、アートや儀礼用具や宗教など既存のカテゴリーを突き抜ける何かとなり、何かで在りつづけることによって、私たち観る者を圧倒するのである。