3.時のとらえ方、描かれ方
あらゆる生命体も、そして物質も、時の流れとともに形を変えてゆく。人間は自らの寿命を尺度として、ものの変化を早いと感じたり、緩やかと感じたりはする机時間という次元はひとつで、直線的に過去から未来へと流れていると認識している。しかし果たして、このような時間の感覚は世界共通のものなのであろうか。ヴィジョンをイメージ化するルネサンス以降の西洋美術は現実の模倣(ミメーシス)を目指し、掛こ二次元において三次元の錯覚を生み出すさまざまな技法(明暗法や遠近法など)が洗練されていった。時間の一瞬を切り取り、そこにあるかのように写実的に描くことが求められた。だがみんばくのコレクションにあるさまざまな民族が描いた「絵画」の多くは、現実の模倣としてのイメージではなく、内的ヴィジョンを視覚化したモノである。物質世界の時間が止まったかのような錯覚を現出させることにはとらわれていない。過去や未来とのつながりを体験し、見えない世界を見えるようにするための装置として共同体のなかで機能しているモノなのである。そしてそれぞれ、その集団で伝承されてきた決まり事や技法に基づいて描かれている。 展示されているモノを通して、時間の描かれ方の例をいくつか見てみよう。コマ割り式 まずは、比較的素直に直線的時間認識を表現する手法として、「コマ割り式」が挙げられよう。マンガの描かれ方と同じである。つまり、時間のなかの一時点を−コマとし、画面のなかで一定の秩序に基づいて複数のコマを連続させて時間の移行を表現するという手法である。 ネパールの仏伝図[図版066]は、釈迦の一生をコマ割り式に描いたものである。中央の仏陀の坐像の背景が五段に分割され、各段、■左から右にニコマ、ないし三コマずつ、釈迦の生涯の一場面が描かれている。全体の流れとしては、釈迦の母であるマーヤーが白い象の夢を見て懐妊する左上のコマに始まり、右下の淫磐図に終わる。「字幕」のよ ことばがきうな詞書の欄が各段の下に付いている。仏典、あるいは仏教芸術に親しんだ者であれば、各場面に何が描かれているかは分かるように、各場面はパターン化されている。 キリストの一生が描かれたルーマニアのガラスイコン「十二大禦」[図1、図版063]もコマ割りの形式をとっている机その「読み方」は左から右、上から下、ではないようである。一番左上が天使ガブリエルがマリアに聖霊による受胎を告げる「受胎告知」の場面であることは、前述の釈迦の一生と似ている。しかしその右隣のコマに描かれているのはキリストの復活であり、その右はキリストの昇天である。受胎告知に続きそうなキリスト誕生の場面は、一番左下にあり、受胎告知のコマとのあいだに、マリアとヨセフによってエルサレムの神殿に連れて来られる神殿奉献の場面と、洗礼者ヨハネによって洗礼を授かる場面が挟まっている。どうもキリストの生涯の出来事を時系列的に追っているのではない、ということが分かる。 しかし、この絵も時の流れを示していることには違いない。じつは正教会の十二大祭の順番に沿っているのである。一番右下に描かれているマリア誕生の場面が正教会層の最初の月におこなわれる「生神女誕生祭」で、その左隣がそれに続く「十字架挙栄祭」、といった具合に、時計回りにコマを追ってゆくと、7番目(左上)の大祭が受胎告知を記念する「生神女福音祭」となる。中央に大きく描かれているキリストのエルサレム入城の場面は8番目の大祭であるせいしさい「聖積雲」。次に上部中央のニコマに、キリストの復活(「復活大祭」)と昇天(「昇天祭」)が描かれ、さらに右端に
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