桐島敬子
日本語の仮面にあたるマスク(仏masque・英mask・伊mas・chera)は,狭義では,布・弧木,金・銀・その他の材料で人間や動物あるいはその両方の要素を同時にもつ人体の顔の部分を覆うものを指す・しかしながらマスクという言葉の語源をたどる時・末期ラテン語でmascaは,魔女という意味であり,マスクの古い宗教的で呪術的起源を暗示している。旧石器時代の洞窟には,浮き彫り,線刻画その他のテクニッグで,人間や動物の姿そして呪術的意味をもつ記号のようなものが多くの文化に,しばしば見られる。その中でも動物の頭を持った人間像は多く動物の頭の部分が仮面だと解釈される例が少なくない。これらの動物とも人間とも区別し難い裸体人物群の中に,呪術師だとか魔女だとか判別される人物がいて,それが仮面と呪術が密接な関係を持っているのではないかと言われる根拠でもある。そしてまた顔や体に色を塗ったり,頭に飾をつけたり,動物の毛皮を被ったりする原始的呪術的変装といえる行為から,仮面という固定したものをつける形へと発展していったのではないかと考えられる。
シチリアのバレルモ市近郊のアダウラ(Addaura)の洞窟に鳥のくちばしを持った裸体の男性群を彫った線刻画があるが,その頭部ほ仮面だと解釈され,まさに呪術的祭儀を行っている状況を描いていると言われる。フランスのアリエージュ県(Ariege)のレトロワ・フレールと呼ばれる洞窟には、呪術師と称せられる牡鹿の角をつけ,羚羊(かもしか)のひげ,馬の尾,人間の手足と男根をもった人物の壁画があり、シベリアのシャーマンのかもしかの角をつけ,動物の毛皮を被り、手に太鼓を持った姿と比較し、超自然との関係をもつ者の変装として指摘されている。
更に,北アフリカのアルジェリア東部、タヅシリ・ナジュール(Tassilin・Ajjer)で,1956年フランス人アンリ・ロート(H.Lhote)は,仮面をつけた黒人が踊っている先史岩壁画を発見した。この人物のつけている仮面は,現在もアフリカのコートディヴォアール北西部の森林地帯に住むセヌフォ族の使っている仮面と同じである。
これらの例に示されるように,人間は,強力で影響力のある超自然の力を持つ被創造物として描かれている。それはギデオンによれば,人間の超自然と直接関係をもとうとする必然性から生れる「宗教的衝動」に具体的形を与えようとした努力の結果である。そして呪術的起源から発した仮面の用途ほ,祭儀だけでなく,戦,劇,裁判,政治,或いは死者につける死面へと多様化していった。更にミルセア・エリアーデによれば,旧石器時代の宗教的呪術は,シベリアのシャーマン及び猟民文化の世界に広く受けつがれた.つまりアフリカ,メラネシア及びシベリアのシャーマニズムと最も深い関係をもつエスキモー及び北アメリカ原住民の文化に,特に仮面が発達したのは,これらの文化圏に於ける生活の基盤となっている狩猟,漁猟と切り離しては考えられないのである.シベリアのシャーマンは厳密な意味での仮面を持たず,顔に炭を塗るとか布を被って顔を隠した.反対に衣装は複雑な象徴的意味をもつ無数の小道具のぶら下った特異なもので,エスキモーでは仮面が霊界を施し,シャーマンの欲する創造物になる道具として使われるのと同様の働きをした.いずれにしても仮面は意識下の世界を扱い,仮面をつけることにより,外見上の姿を変えようとする素朴な願いを具体化すると同時に,仮面自体の表現するもうひとつの自己を超越した祖先あるいは神話の人物になることが出来,現在という時から自由に過去,未来への飛躍を試みるのである.
仮面が旧石器時代の産物として,ほとんどすべての世界の文化に共通して存在しているとしても,ここでひとつ大きな区別がなされなければならない.即ち仮面の文化が,社会的宗教的生活の中で重要な役割を果たし,仮面を通じて生命そのものあるいは宇宙の神秘に関与し,世界の根源的秩序に定期的に参加する儀式を有する文化圏と,仮面が限られた独立した分野でのみ使用される文化圏との区別である.前者ほ私がこの小冊子で取り扱おうとしているもので,これまで文字を持たないとか,歴史のないとか原始とか未開とか呼ばれた文明の中のアフリカ・メラネシア・エスキモー及び北米インディアンである.後者は主にヨーロッパ,アジアである. ヨーロッパに於いては,ギリシャ悲劇・喜劇に使用された仮面が,酒神ディオニソスを祭るために,地の神,豊鏡の神を連想させる仮面をつけて長い行列をしたことに発したのは,やはり仮面のもつ呪術的要素すなわち人間と自然との関係が密であり,自然の意志にすべてを委ね自然を恐れていた古い起源を示すものであろう.しかし,悲劇,喜劇,風刺劇のジャンルに分けられ,劇という形式をもつようになると,仮面も芝居の中に出てくる人物の,固定化したひとつのタイプを観客に示す道具として用いられるようになる.ギリシャ語で役者の使う仮面をペルソナ(persona)と言い,役者の演ずる役又ほ役の性格をもペルソナと言った。今日我々の用いるperson(人)の語源がギリシャ語の仮面連を意味する言葉からきているのは,後のキリスト教的仮面の解釈と関連して興味深い。ギリシャ悲劇の仮面の特徴である大きく開かれた口は,演ずる者の声の伝達器官としての機能的意味の外に,ジョルシュ・ビュオーの言葉を借りれば,「まさに運命の深淵に恐れおののく人間の顔−その瞬間をとらえた」という二重の意味があった。ここでは仮面はまだ形而上学的意味を持っていた.しかしながらギリシャ時代にもう既にヨーロッパ文化の個人主義は芽生え,仮面は少しずつ端役的役割を確立し,ローマ時代の仮面にはもうギリシャ時代の仮面が持っていたような,何か普遍的なものを表現するのではなく,道化役に使われるようになる.つまりヨーロッパ文明における仮面の堕落がここから始まったと言える。
ヨーロッパがキリスト教を受け入れてからは,自然と人間は明確に区別されるようになり,キリスト教は人間の仮面をはがすのが目的であり,仮面は悪魔がつけるものと考えられるようになった.人間は心にかかった仮面を外すことにより解放されるのである.こうしてヨーロッパに残存する仮面を使う風習は今でもスイス,オーストリアのチロル地方やイタリアの謝肉祭の折に見られるが,その表情は悪ふざけをしているような悪魔的なもので,また単なる祭の遊びに使われるもので,仮面としての深遠な意味はない.しかしながらイタリアの演劇コメディア・デル・アルテのプルチネッラやアルルカン或いは舞踊会で男性・女性のつけた半仮面よりも異教徒臭のする古い起源を暗示するものである。
ギリシャ悲劇の仮面としばしば比較されるのが,日本の能面である。そこで再びジョルジュ・ビュオーの言葉を借りれば,「日本の仮面は個人主義の勝利であり,純粋な本能の造形的抽象化・・・つまり装飾的幾何学のつきまとうモニュメントである黒人の様式化された仮面の対極にある」能面は,個を表現する一種の肖像なのである。それは人間の心理を,芝居の役者のように,顔という生の変幻自在に動く表情で表現しようとするのではなく,仮面という一元的で動かない固定された面であるが故に,より一層普遍的に人間の喜び,悲しみを浄化し,その可能性を極限にまで追求し得るという東洋的パラドッグスを示している。
西洋や東洋の人間の心理とか感情を表現し,それを観る者とのコミュニケーションの基盤としている美術は,非常に限られた文化圏に於いてのみ可能である.仮面の発達した文化圏,即ち前述のアフリカ,メラネシア,エスキモー及び北米インディアンの間では,人間と自然或いは,世界,大きく宇宙と言っても良いが,その関係は,小宇宙に対する大宇宙のようなもので,仮面は生命そのものと深く関与しており,宇宙の創造とも合体している.これらの社会では,仮面の着用を社会の中で制度化することにより,仮面という手段を用いて,自分でない自分「他者」になり,同時に自己の限界をも超越する能力を仮面がかち得るのである.仮面をつけて,宇宙の根源的秩序に定期的に参加する機会がこうして,祭儀という形式によりもたれる.それ故,仮面をつけることは,単に擬装するというのではなく,それ以上の部族全体に関係ある神話の中で,最も重要な地位を占める先祖と直接まじわる機会なのである.こういう社会は,最近まで残されていたし,今でも限られているが,アフリカやメラネシアの部族に残されている.そこでは祖先崇拝の信仰と深く結びついており,またアニミズムの世界であり,仮面をつける習慣は,信仰の集団儀式となって遂行される.
仮面はまた神聖視され,厳しい約束事を伴い,特定の人々が,特定の機会にのみつける組織をもつ社会が多い.この組織は秘密結社である場合もあるし,多くの場合単なる男性の共同体である場合もある.アフリカでは,祖先崇拝の対象としての仮面は,部族全体の神話,すなわち,世界はどのようにして創られ,最初の人間がどのようにして生まれ,どのようにして死を経験するに到ったかという,根元に関係しており,仮面を着用する人々は,祖先が初めて死を経験し,如何にして蘇えったかという秘密を知る.そして自からもそれを象徴的に体験出来る特権を持っている.この儀式は定期的に繰り返えされ,その都度,神話は新しく現在に蘇える.仮面をつける権利はイニシエーション(ある集団や社会で、正式な成員として承認されること。また、その手続きや儀式。成人式・入社式はその一形態。)の儀式を受けた者に限られる.一定の年齢に達すると,結社に属する村の長老から,社会における位置づけ,義務,守らなければならない約束事や儀式,結社のメンバーの間でのみ使われる言葉を学び,肉体的にも精神的にも成熟する.この定期的儀式がイニシエーションと呼ばれるもので,アフリカの場合ほとんど割札を伴い,割礼を施す老は,しばしばライオンや豹の毛皮を被り,顔に仮面をつけている.割礼は「殺す」という言葉で表現され,この儀式により神話と同じく,死の秘密を知り,祖先のように蘇生するのだと解釈される.女,子供にタブーとされた死の秘密に接し,割礼だけでなく,この時身体の表面を切ったり,刺青を施したりの成人のしるしを受け,女性を嫁とる権利も与えられる。
一般に仮面は女や子供,イニシエーションを受けていない者を恐がらせる。例えばニューギニアのタミ島の仮面は秘密結社のメンバーにのみ披露され,女,子供は誰が仮面をつけているのかを見破ってはならない。見破った場合は死で酬われると言われる。仮面ほ神話に登場する人物,動物,またはエスキモーの仮面のように悪霊,先祖など,明確に形態化出来るものを表現する場合と,一つの仮面に神話を別々の要素と組み合せて伝達している場合とがあり,北アメリカのズニインディアンのように死という或いは霊という抽象的概念を表現する場合がある。
最初の仮面はしばしば啓示という形で出現し先祖より与えられたものである。北米インディアンのように夢の中で見たという場合もある.形,意味,色彩それにつけられる装飾は、既に完全な形で与えられたものである。それ故そこには人間の創造という行為が脱落しているように言われがちであるが,必ずしもそうではない。この問題ほ,現地調査を行った学者達の間でも異論があり一般的結論を引き出すことは不可能であるが,ただ言えることは、仮面の種類は無限にあり,二つとして全く同一の仮面は、ほとんどないという点である。この驚くべき多様性は、仮面を製作する者がどの程度部族の神話を意識しているかによっても異なってくる。
仮面をつける者が限られているように,仮面を彫る者もまた限られており,きびしい一定の儀式に従い彫り進めなければならない。仮面の製作者は文化圏により異なるが,イニシエーションを受けた者,彫る才能に恵まれている者,彫る仕事に従事する階級があり,すべての宗教儀式と関係ある仮面はその階級に属する人々によって彫られる場合,男子であるというだけの場合,シャーマンの場合、鍛冶師の場合とさまざまである。
すべての仮面が必らずしもすべての部族の人々こ関与するわけでなく,その意味するところも従って個人差がある。同じ社会の中に異なる機能をもつ仮面が同時に存在する時もあるし,仮面の結社のメンバーで,イニシエーションを受けた者には,仮面の意味やその語る言語は,仮面の世界から除外された女・子供・イニシエーションを受けていない者と同じではない。仮面の機能はそれぞれの文化圏により異なり、同じ文化圏の中でも部族により異った役割を果たす。先祖や神の出現として祖先崇拝の儀式に使われる時,北米インディアン及びエスキモーのシャーマンは病気治癒を司り,北米のポピやズニインディアンは農業に必要な雨と豊作を村に,しかも定期的にもたらしてくれると信じられている。
アフリカの仮面の結社が政治力を持ち,結社の長が族長である場合,部族の人々を裁く司法権を持っている例もある。エスキモーの長い冬期を楽しむ愉快な踊りやドラマを演ずる時用いられる仮面もある。そして仮面の機能の中でも死者の遺体の上又ほ顔に,死者を保護し,死者が遠い黄泉の国に無事辿り着けるようにとの目的でつけられた仮面がある。死んでもなおこの世との関係を完全に絶ち切らないよう,そして先祖となる死者が何らかの形で生者を支配しようとの意図のもとに、死者と共に仮面が葬むられたのではないかと考えられる。この死者につけられる仮面は,生者につけられる仮面と同様に古い習慣で,世界の文化に共通して見られる.古代エジプトのラムシスニ世の息子で若くして死んだツータンカモンの黄金の仮面,メソポタミヤ,フェニキア,ギリシャの古代文化ではこれに,金,銀,ブロンズ・テラコッタの仮面が死者と共に葬むられた。ギリシャの黄金の仮面は直接死者の顔の上で薄い純金の柔軟性を利用して原型がとられたので一種の肖像で,死者のおもかげを現実的描写で保存している。
ペルーの月で飾った,色を塗った木の仮面や,インカ帝国の宝石で飾った黄金の仮面をミイラにつける習慣,メキシコのひすい,蛇紋岩を彫り,更に月を象嵌した仮面,木の表面にひすい,黒曜石,月等をモザイク状に並べた仮面,アリューシャン列島の木の仮面,と広く早られる習慣であるが,その中でも死者を保存するという目的を最も顕著に示している例にメラネシアの死者の頭蓋骨を仮面そのものの基本に使用してつくった儀式の踊りにつけられる仮面がある。死者はこのようにして直接先祖を型どることなく祭儀に参加するのである。
仮面の赤い目が村にやってきた
仮面の目は太陽の目だ
仮面の目は火の目だ
仮面の目は矢の目だ
仮面の目は斧の目だ
それは赤い
(ドゴン族のイニシエーションの言葉の断片),ミッシ ェル・レイリスにより採集,展覧会‥Chefs−d,oeuvrede Mus昌edel・Hommeのカタログより・(パリ,1965)
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