6.商品としての新たな意味づけ

斎藤玲子(さいとうれいこ

 文化接触と商品化 世界で年間10億人が海外旅行をする時代。20世紀後半から外国への旅行者数は爆発的に増え、各地の民族文化が観光の対象となり、そこでつかわれていたさまざまな物や図案などが急速に商品化されていった。もともとは生活用具・儀礼具などとして、その社会のなかでのみ使われていた物が、他者向けの商品となったのは、近年に限ったことではない。古くは隣接する集団や権力者への交易品や献上品、探検家らが持ち帰った「珍品」、植民者の日用品として需用が増えたものなど、接触のあったところに商品は生まれてきた。

 観光客向けにつくられた物は、「伝統的」でなく「真正」ではないとの考えから、かつては博物館の収集品の対象とはみなされなかった。しかし、観光人類学が盛んになり、観光が文化に与える肯定的な面もとりあげられるようになると、その見方も変わっていった。たとえば、伝統的な技術やモチーフを活かした物づくりや芸能が経済的な支えとなり、文化の復興や継承に役立つとともに、自文化に誇りを持てるようになるといったことである。今では、商品化された物たちも、時代をうつすものとしてむしろ積極的に収集されるようになってきたと言ってよいだろう。以下に、展示される物の商品化の経緯や特徴を見ていきたい。

■マコンデ

 マコンデと呼ばれる木彫は、それをつくる民族の名で、彼らの多くは20世紀に現在のモザンビークからタンザニアに移住した。ヨーロッパ人の到来以前、マコンデの人びとは木製の仮面や、狩猟や旅に出る者のために小さな木製の護符をつくっていた。1920年代にキリスト教の伝道師が土着信仰を改宗させるため、呪物を否定し、かわりにキリストやマリアの像を製作させ、それを教会で購入したり、市場にだしたのが木彫の商品化のはじまりという。同時に伝道師は材として黒檀を用いるように指導した。黒檀は堅く彫刻するのが難しいが、艶があって虫害に強く、商品価値が高い。しかし、1930年代に入るとポルトガルの植民地支配は過酷さを増し、タンザニアに移住した人びとは周囲から冷遇され、木彫製作の意欲を失い、木彫の作品は市場から消えた。再び作品が人目につくようになったのは、1960年代後半になってからである。

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 現在よく知られている代表的なモチーフは、さまざまな表情のマコンデの人びとが1本のポールに重なり合って刻まれている“ウジャマー”と呼ばれるもので、親族の絆を基調にし、頂上に集団の祖母を彫刻したものが多い[図版上左]。もうひとつは“シェタニ”という悪魔を表したもので、形態の自由度が高い[図版上右]。 近年の報告によれば、黒檀の伐採地近くで概形が彫られた後、タンザニア最大の都市ダルエスサラームにある黒檀製彫刻の一大集積地(マコンデ手工芸村・地図下)に集められ、そこで仕上げ作業をおこなう分業体制になっているという。

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■アレブリヘ

 メキシコのアレブリヘは、「不思議な生き物」の工芸品である。もともとメキシコ市では、復活祭で焼くための張り子の人形などがつくられてきた。1930年代に著名な紙細工師のペドロ・リナーレスが重病にかかり、生死をさまようなかで見た奇妙な生き物を、快復後に紙細工で表現したのが始まりで、夢のなかでその怪物たちが「アレブリヘス!」と叫んでいたことから紙人形はアレブリヘと名付けられ、やがてメキシコ内外で評判になったという。いっぽう、メキシコ南部のオアハカ州では1950年代から観光みやげ品として木彫が制作されていた。1980年代から、メキシコ市のアレブリヘの影響を受け、ユーモラスな形と苔抜な彩色をほどこしたカエルやウサギなど動物の木彫が多数の作家によって制作されはじめ、これらもまたアレブリヘと呼ばれるようになった。

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 ドラゴンはアレブリヘの典型的なモチーフのひとつである[図版上]。

■シルクスクリーン版画

 カナダ太平洋岸にくらしてきた「北西海岸先住民」と総称される人びとの美術は、トーテムポールに代表される独特の様式で知られる。彼らの文化は、同化政策などにより20世紀初頭までにいったん裏返したが、第二次世界大戦後まもなく伝統復興の動きが高まった。はじめはミニチュアサイズのトーテムポールや仮面などの木彫がみやげ晶として出国っていた机1970年代からはシルクスクリーン版画が導入され、持ち運びやすく比較的安価なこともあり、人気を得た[図版下]。

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 今でも木彫は彼らの作品の主流だ坑原画を描いて版画で認められることが、木彫家としての登竜門となっている。 モチーフとして描かれることが多いのは、祖先と関わりが深いと考えられている動物(トーテム)や、その由来を示す神話である。大きな目をもつデフォルメされた動物など、ユニークな図柄はひろく受け入れられ、Tシャツやマグカップなどさまざまな雑貨にプリントされて、代表的なカナダみやげとなっている。2010年のバンクーバー・オリンピックでは、メダルのデザインに北西海岸先住民のアーティストが参加し、ワタリガラスとシヤチのモチーフが採用された。

■空き缶細工

 アフリカのセネガル、東南アジアのベトナムやタイ、そして南米のブラジルなど、いわゆる開発途上国で、空き缶を材料にした玩具や日用品が市場や幣鋳で売られ、観光客にも人気だ。空き缶細工は、世代によってまったく別の受け止められ方をするかもしれない。若い人にとって、ロゴ入りの空き缶を素材にした雑貨はポップアートそのものである。バッグやおもちゃの車の素材がよく知った商品名の飲料缶だと気づいたとき、驚きと親近感から思わず手に取り、人に見せたくなるだろう。

 しかし、戦後まもなくの日本でも、空き缶をつかった自動車などの玩具が流行した。物のない時代、アメリカ占領軍の放出した空き缶は、鍋や食器になり、楽器になり、おもちゃになった。当時を知る世代にとって、空き缶細工は懐かしいだけのものではないだろう。

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 べトナム戦争終結後の南べトナムでも、アメリカ軍の空き缶を利用したジープなどのおもちゃがつくられ、国連軍兵士向けのみやげとして売られるようになったという。1990年代になると、アルミニウム缶を素材に多様な製品がつくられるようになり、ホーチミン市中心部の路上などで観光客に販売されるようになった[図版上]。

 セネガルの空き缶細工は、ヨーロッパ人が首都ダカールの木工職人にアタッシュケースを見せて、注文を出したのがきっかけという。もともと木製の衣装箱をつくっていた職人は、外側に空き缶を貼りつけ、古雑誌で内装をはどこし、取っ手も廃品を利用してカバンをつくった。空き缶の鮮やかな色がトレードマークで、1980年代ころからみやげ物として観光客の目をひくようになり、海外からの受注もくるようになった。さらに実用品だけでなく、廃品を利用した自動車や飛行機のおもちゃなど、創作的な工芸品もつくられるようになった。都市の失業者らが日銭稼ぎのために集めていた空き缶が、創意あふれる物づくりに発展した例である。

 空き缶細工で感心するのは、見事な再生はもとより、その手間ではないだろうか。きれいに洗い、切ってのばす。柄をそろえて、組み合わせる。何か物をつくった経験がある人ならば、空き缶細工を前にしたとき、手間ひまをかけたそのつくり手に思いをはせることだろう。

■買い手の求めるもの

 商品として売れるか否かは、「イメージの享受のありかたに人類共通の普遍性があるのか」という命題を解くヒントになるかもしれない。 たとえばこの章の展示品には、いくつかの共通する要素が見られる。モチーフとしては、神話や精霊・怪物など、目に見えない世界や想像上の生き物を表現したものが多い。すべてが合理的・科学的であろうとする現代において、これらは人をひきつける何かがあるのか、はたまた魔除けやお守りになるものを求めようとするのだろうか。また、造形や配色は、意外性も大きせ魅力である。思いもよらない場所に身体の部位がついていたり、デフォルメされて元の姿がわからないものや、廃品がまったく別の物に生まれ変わる意外性。自然界にはない水玉や花柄のカラフルな動物たちと、黒と赤の強烈な線で縁取られた神話の世界。そして、手間と時間をかけたものたち。商品の売れ行きは作り手側にフィードバックされ、より売れる物へと変化してゆく。

 しかし、商品に金を出すのは、たんに「気に入ったから」だけでもないだろう。こうした途上国の手づくり雑貨には、NGOなどの支援により海外の展示会に出品されたり、フェアトレード品として販売されているものもある買い手は、つくり手の生活改善と自立を目指す運動の一端に参加したという充足感や、現地とのつながりを感じるかもしれない。また、異文化に関する知識を見せびらかし、知的な自分を演出したいという欲望もこれらの商品の消費を後押しする。消費されるイメージのありようは、その背後の消費社会を映し出している。

 つくられる現場から離れ、意味から自由になった物が、文化を越えて受容され、消費される。物の意味をたいせつにした使用と、造形のおもしろさでの消費は、ときに対立することもあるが、新たな文化や解釈がうまれる可能性を秘めている商品化002

■文献


川西陽一 2004「タンザニアの「ブッダ」あるいは「日本の神様」」『アジア・アフリカ地域研究』4(2)pp.263−270

国立民族学博物館篇 2009F千家十職×みんばく一茶の湯のものづくりと世界のわざ』河出書房新社

斎藤玲子・大村敬一・岸上伸啓編 2010『極北と森林の記憶−イヌイットと北西海岸インディアンの版画』昭和堂 2010「名人の看板」『月刊みんばく』35(5)p.9

三島禎子1999「セネガルのブリキ製かばん」『月刊みんばく』23(12)表紙うら

和田正平1977「東アフリカ収集調査ノートより」『国立民族学博物館研究報告』2(1)     PP.227−238

 

みやげもの屋に並ぷアレブリヘ。メキシコ(碓彰・鈴木紀)バンクーバー空港に展示されている巨大な糸巻きのオブジェスーザン・ポイント作。カナダ(撮影・斎藤玲子)空き缶を切り開いて1枚の金属板にする。セネガル(撮影=三島禎子)できあがった玩具と小物入れ。セネガル(撮影・三島禎子)