1.視線の逆転、親密な相交

足羽輿志子(あしわよしこ)

 私たちの魂は、そろそろ近代人の条件であるような主知主義の軛(くびく・自由を束縛するもの)から自由になってもよいのではないだろうか。今と未来を生きるために、「近代」の合理性から周縁化されてきた情動を、感性を、そして想像/イメージの力を再び自分のものとするときがきていることを実感する。それは、近代に矯正された一方向的視線ではなく、相交的で親密な視線一人ひとりが根源的にもつ、生命が息づく喜びに震え、未知なる物への畏れにおののくことのできる共振性である。そしてその回復への誘いは、そこここに潜んでいる。

 現代の人びとは幸いな者と不運な者、富める者と貧しき者が描く点描画のような現実世界に生きていかざるをえないことを、体のどこかの深いところで感じ取っている。そして、そこで生きていくためには、点と点のあいだにバランスをとる絶え間ない努力の継続と反復が要求され、そしてその終わりのない作業への徒労感によって感情が徐々に壊死しかねないことも、漠然とだがかなり確実に了解している。そのなかでもなお未来を志向しようとする人びとが砂漠の水のように求めるものがイメージの力なのかもしれない。

 国立新美術館・国立歴史民族資料館(大阪万博跡地)に集結するエナジーに満ちたイメージの力。そこに現れた空中楼閣のような空間の結界のモノたちはその渇望を知る人びとをよび寄せる。そして、「見る」ことに慣れた人びとを「凝視」するのだ。

 これまで私たちは自分や自分の生きる世界を知るために、ひどく遠回りをしてきたようだ。例えば、芸術であれば西欧の「近代合理」を修得する延長線上に自らの姿を模索するという迂回路を巡ることを常としてきた。西欧の芸術家が一世紀以上も前から浮世絵に衝撃を受け、その独自の技法や構図、多様な遠近法を模したというのに、私たちは西欧近代啓蒙主義の流れを終始一貫してたどり、その流れの打破に至ってまでもいまなおピカソやダリの視線をなぞることに汲々とする。イメージの力を身体に取り戻すために、あるいは身体に備わるイメージの力を再発見するために、近代西欧を学習しその視線を自分の視線にすげ替える手続きを必要とする。この一見、生真面目だが、じつは安易な主知的啓蒙の手続きを私たちはいつまで続けるというのだろうか。西欧美術史に長け、難解な専門用語を使い、それとの対比のなかでしか非西欧の作品を評価できない批評家をいったいどこまで必要とするのだろうか。今、なによりも必要なことは一人ひとりが自分の根源的なイメージの豊穣性に気がつくことであろう。

 学術界、とりわけこの企画においては人類学や民族学の世界も西欧近代啓蒙主義の産物であり、主知主義を当然のこととして受け入れてきた。そして審美や情熱、情念は脇に避けられるか、極めて限られた分析を施されるかだった。20世紀の知の巨匠と諾えられるレヴィ=ストロースが著した『仮面の道』(レヴィ=ストロース1977)は構造主義の心髄を示す名著として名高い。親族や神話の分析で確立した構造分析の手法を、北米先住民の仮面にあてはめ、造形的に正反対の仮面、例えば、目が飛び出て口を開き舌をだす面と、落窪んだ穴だけの目と小さくすぼめた口をもつ面がじつはコインの両面のような二項対立をなし、同じ思惟構造にあることを解いてみせた[写真1、写真2]。知の至芸である鮮やかな構造分析に接する知的爽快感は格別である。

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 ただ私にとって興味深いのは、禁欲的なまでの主知的静寂が漂う本書の主要部分とは対照的に、彼がアメリカ自然史博物館で経験した迸(ほとばし)るような喜びと感動が率直に書かれている本書の最初の数ページである。1943年、ナチのフランス侵攻により亡命中のニューヨークで北米先住民の仮面や衣服等を買い集めていた彼は、同博物館で「仄暗(ほのくら)がりに光のさす洞穴に入って崩れんばかりの過去の秘宝の山を前にしたような感動を与える、番外の魅力を併せ持っている場所」に出会う。そこでは北米先住民の「歳月を経たトーテム柱が唱いかつ語りかけ、奇妙なオブジェが不安げに凝固した表情で訪問客のほうを窺い、また人間離れした優しさをもった動物たちが前脚を人間の手のようにあわせて祈っている」ことに感動する。彼は「この収蔵品が民族学博物館を出て、美術館…(に)陳列される日が、遠からずやってくるに違いない。」と興奮した口調でメモをとっている。

 構造分析の初動にはこうした「訪問客の方を伺う」モノと彼との交感、最基層の

イメージの響き合いがあったのだ。しかし彼はモノに構造分析を施し、目の飛び出た面も記号化し、訪問客も読者も、そしてモノも美術館にはいかせず本書に引きとどめてしまった。主知主義の学者が謎を解読して、人びとを近代的啓蒙の知の森に導くという知的欲求を追求した結果であろう。

 もちろんモノにはそれが造られ使用される文脈がある。構造論者は切り捨てるが、仮面が使用される社会組織の分析やパフォーマンスとしての儀礼の研究もある。スリランカ南部のシンハラの人びとの、仮面劇を伴う病気治療儀礼について私は1980年代のはじめから研究を始め、今まで大小含めて数えきれないほどの儀礼に立ち会ってきた。カッフエラーによるこの儀礼のパフォーマンス性についての秀逸な研究では、直感的にではあるが美学/アートに言及する(Kapferer 1983)。完全にシナリオ化できない儀礼には分析枠には納まりきれない、美学としか表現できないリアルで強烈なイメージがあるという。私がその意味を少しなりとも了解したのは、飛び出た目をした悪魔の面をつけたダンサーが激しく踊っていたとき、目が動くのを見た瞬間だった

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[写真3]。ある儀礼で深夜、何百人もの村人が集まるなか、目の飛び出た悪魔の面をつけた頭が激しいダンスを瞬間停止して見栄を切ると、重たい木彫りの面をつけた頭がゲラリと傾き、その度に飛び出た目が左右に動いたのだ。その日はギロリ、トロリと見物客をねめ回した。突き出た目が大きな弧を描いて左右に振れる効果であることは解っていても、悪魔の視線に自分が捕らえられたと思った瞬間、曇りも迷いもない完壁な欲望のイメージに全身が包まれた。「病人も食らい、供物も食う。世界すべてを飲み込んでやる」。その仮面は構造分析の記号化はもとより、どのような分析も拒む普遍的で原初的、そして強烈な欲望のイメージを発散した。飛び出た目の仮面の一振りで厳然と立ち現れたパワーに儀礼の場は完全に制圧されたのだ。そのことに唖然とした感覚を今も鮮明に覚えている。

 モノの文脈化を提唱しているのではない。逆である。分析や文脈化を遮断し、超越するような情動や感性が交感のなかに生じるモメントを得るには、むしろモノをそれが埋もれていた文脈から切り離し、例えば、美術館のような不安定な中間空間に置くほうがよいのかもしれない。モノはより餞舌に別の物語を話しだすであろう。

 私たちも同じである。展示されている作品を見に行くのが近代の美術館である。しかし私たちに作品から凝視された経験があるだろうか。そもそも、モノから見られに行く、という入館者は「人もいるまい。「イメージの力」展では知らず知らずのうちに結界を踏み越え、異界に踏み入る。異界の森に踏み入るとあらゆる角度から幾千もの視線が降り注ぐ。何者が来たのか。おまえは誰だ。最初に目があうひとつの仮面に見られていることに気がつくと、その上下左右、そして背後の仮面と、あっというまに洪水のように渦巻く視線に射すくめられていることを感じる。それからゆっくりと、外側からの視線が形どる新しい感性の身体としての自分が立ち現れてくることがわかるだろう。

 「見る/見られる」という関係の逆転、視線の逆転は、近代に与えられた延命装置である感性の人工呼吸器を外し、身体に自らの力での呼吸を促す。ただしそれは主知主義を脱する誘いにすぎない。近代美術史や記号化、文脈化など偏狭な主知主義からの脱皮にむけて、新たな感性の羽の準備は一人でしなければならない。ここまで出向いてくれた異界のモノに、私たちも自らを開き、相交的で緊密なその即興性に、そして豊穣なイメージの可能性に自らを放り込もう。母国フランスから遠く離れて北米先住民の異郷のモノたちに囲まれたニューヨークのレヴィ=ストロースに比べたら、私たちにはそんなに難しいことでもないのかもしれない。なにしろ、ここにはナマハゲの面のように私たちの「同郷」のモノたちもそこに混じって、こちらに還っておいでと誘っているのだから【写真4]。

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★1−レヴィ=ストロースは晩年、ケ・ブランリー美術館に彼の収集物1478点を寄贈した。

文献

C・レヴィ=ストロース1977『仮面の道』山口昌男・渡辺寺章訳、新潮社、東京