常識ゆさぶる法哲学

■自由・平等…正しさを探究

 国境を越えて人やお金が動くグローバル時代。国家の枠組みを超えた暴力が現れ、国家から少数者を排除する動きもあります。法と民主主義が揺さぶられるなか、根本から法を問う法哲学が存在感をみせています。

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 法哲学とは何か。答えを求めて教科書の一つ『法哲学』を開くと「法哲学は広大である」「法哲学は深淵(しんえん)である」「法哲学者の数だけ法哲学がある」とある。頭を抱え、著者の一人、瀧川裕英・立教大教授を訪ねると、「一言でいえば、正しい社会制度を探究する学問」とズバリ答えてくれた。

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 刑法や民法など既に存在する法を研究する実定法学と違って、法哲学は、いまの制度や法が正しいのか根本から考え、「常識も揺さぶります」と瀧川氏はいう

 例えば臓器の売買。今は違法だが、片方の腎臓を売って起業の資金を得たい人にとっては「自由」が奪われていることになる。

 「肉体は神聖」が理由ならば、移植や献血が許されることとの整合性がとれない。「金持ちが貧しい人の臓器を買う問題がある」という理由も、仮に経済格差が完全に解消されれば成立しなくなる。

 こうした「自由」に加えて「平等」の問題も法哲学の主戦場。例えば子を持つ世帯にだけ現金を給付する児童手当は独身者差別か。「子を持つことは幸せだから」「子育てにはお金がかかるから」でなく「次世代育成」という理由ならば「中立性」がある。「社会制度にはある価値観を善として押しつけるのでなく、善を上回る正しさが求められる。それを徹底的に考えるのが法哲学」と瀧川氏。

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 科学技術が秒速で発展する現代。浮上する課題に対応する法制度を考えるのも法哲学の役割だ。

 例えば、AI(人工知能)による自動運転車が普及した未来。自ら学ぶ能力を持ち、人間の能力を超えたともいわれるAIが起こす事故を人間が予測するのは難しい。それでも車が歩行者を死なせてしまったら、車の製造責任者を牢屋に入れるべきか。

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 大屋雄裕・慶応大教授は「事故の予防につながらず、開発を萎縮させるだけなら意味がない」と、禁錮などの刑事罰には慎重な立場だ。公共交通がない地方の高齢者にとっては、自動運転車の普及が移動の自由の回復につながるかもしれない。「科学技術が生むリスクをどこまで社会が受け入れられるか。最後に決めるのは主権者である国民ですが、選択肢の意味を探究し説明するのは我々の仕事」と大屋氏は話す。

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 正しい制度といっても、思想的立場により様々な正義が対立・競合する。それぞれの正義が共通に持つべき「正統性」は何か。

 井上達夫・東大教授は「反転可能かどうか」で正統性を判断できると主張する。「自分がされて嫌なことは相手にもしない。二重基準は許されません」。例えば米国が核を減らさずに核不拡散を主張するのは正統性がない。

 自衛隊を持つ日本が憲法9条で戦力不保持を掲げることについても井上氏は「欺瞞(ぎまん)」と批判し、9条削除を主張。良心的な兵役拒否は認めた上で徴兵制を導入し、自衛のための負担を国民全員で背負うべきだとする。「ただ乗りは許されない。自衛の戦力を持つならば人を殺し殺される危険をみんなで負う。戦力不保持なら敵に殺される危険を受忍する。どちらにするか国民が決めるべきなんです」

批判を恐れず難問に挑むのも法哲学の魅力だ。(赤田康和)

■民主主義のレッスン 社会学者・大澤真幸さん

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 人ではなく法が支配するのが民主主義社会。最高権力者である首相も勝手に法を変えてはいけない。しかし日本は空気が支配する国。例えば、大学の教授会はなんとなく意見が出て会議が終わり、後日の議事録で結論がわかる。

 集団的自衛権を巡って首相が法の支配を逸脱しても我々の問題という意識が希薄。集団的自衛権がそもそも必要かという議論も足りなかった。

 法は勝手に変えてはいけないが主権者が同意すれば変えられる。この「二律背反性」を超えて解を出すためにも法哲学は重要。西欧から輸入された法をどうやって根付かせるか。我々の生活に直接の影響を与える法や制度をどう変えていくか。法哲学は「民主主義のレッスン」といってもいい。一般の人にも開かれた学問である必要があります。

 歴史的現実を踏まえた議論も大事です。例えば憲法9条削除は日本が敗戦で学んだ歴史的事実も捨て去ることにならないかといった議論です。

 <学ぶ> 今回、法哲学が挑む実践的問題を図で紹介した『問いかける法哲学』(瀧川裕英編、法律文化社)は法哲学の魅力に触れられる。瀧川氏や大屋雄裕氏らによる『法哲学』(有斐閣)も「おもしろい」と自ら宣言する教科書。

 <もっと学ぶ> 井上達夫氏の思想は『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』と続編『憲法の涙』(いずれも毎日新聞出版)や『普遍の再生』(岩波書店)で読める。大澤真幸氏は編著の『憲法9条とわれらが日本』で井上氏らと対談している。