60安保と岸信介

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〈戦後史〉戦後50年NHK特集

「そのとき日本は 60年安保と岸信介 秘められた改憲構想」

■ビデオ

■60年安保闘争 – 1960(安保法議決・岸内閣総辞職)

■確認事項

1.岸首相が考えていた日米安全保障条約の問題点は。日本と米国の関係が(対等)でない

2.岸首相は日米両国が対等に相互防衛【集団的自衛権〕するために、なにが必要だと考えていたか。憲法(9条)の改正

■岸首相「日本が侵略された場合にはアメリカが日本を守ると同時に、アメリカが侵略された場合には日本がこれを助けるという双務的関係を結ぶためには、憲法9粂の改正が必要だ」

自分の国を守るときは「個別的自衛権」、仲間の国を守るときは「集団的自衛権」

3.岸首相はインタビューで、 憲法改正を進めていくために、国民に対しなにが必要だと話したか。「憲法改正も必要で、憲法は不適当だ、改正せざるをえないという気持ちをおこさしむるような(宣伝)と(教育)をやっていかなければしかたがない」

4.A級戦犯容疑者として巣鳴プリズンに収容された岸信介は、東西冷戦のなか、日本はどうやって再興を果たすべきだと考えたか。

■日本が(防共)の障壁となれば、冷戦日本再興の好機となる

*安倍晋三首相の祖父。戦前、満州国の政府実業部で活躍、東条内閣では商工大臣だった。戦後は、A級戦犯容疑者として逮捕された。獄中、東西冷戦のなか、日本はアメリカの防共の障壁となって、再興を果たすことを訴えた。3年後、米国は容疑不十分として釈放、政界に復帰した

5.釈放後、昭和28年、衆議院議員・自由党憲法調査会会長に就任し、憲法改正に乗りだした。岸が考えていた憲法の問題点は、(占領)下に施行された憲法を改正しなければ、日本はアメリカから完全に独立できない

6.1960年1月19日ワシントンで日米安全保障条約の改定の署名を行った日本の首相はだれか。岸信介

7.改定の内容は岸首相の意図したとおりであったか

8.5月19日に国会の衆議院で起きたことは 岸首相は、500人の(警官隊を導入して、本会議の議場から、安保改定に反対の(社会党)議員を排除し、(自民党)単独で安保条約を強硬採決した。

9.なぜ5月19日、岸首相は無理にでも安保条約改定を採決しようとしたのか

lケ月後にアメリカの(アイゼンワー)大統領の訪日が予定されていたので、その日までに条約を承落させたかった。条約は衆議院で決まって(30)日後までに参議院で決まらなければ、自動的に衆議院の決定のまま成立する

【憲法第61条】衆参で議決が異なる時に開く両院協集会で成案が得られない場合、又は衆議院議決案の受領後、30日以内に参議院が議決しない場合、衆議院の義決が国会の議決となる。

10. 6月4日、全国で安保反対集会やデモに参加した人の人数は(560万人)
11.  6月10日の米国大統領補佐官ハガティーの来日目的は、アイゼンハワー大統領の来日の準備
12. 岸信介は、国民の運動の盛り上がりを押さえるために、どんな対策をたてていたか。自衛隊の出動
13. 6月14日、練馬・朝霞で出動態勢を整えていたものは、催涙ガス 拒馬(バリケード)戦車 小銃
14. 首相のデモ対応策に対して、反対していた人たちの反対理由は
国民運動の鎮圧に自衛隊を出動させ、国民を傷付けるような事が起きたら、これまでの自衛隊が努力してきたことが水泡に帰してしまう。
15. 岸信介首相は国民運動をどうとらえていたか。国際共産主義の陰謀16. 6月15日、学生らが国会突入をして警官隊と衝突した。
そのときの負傷者( 589)人、死者は(1)人
17. 6月16日、大学生樺美智子さんの死を知ったアイゼンハワー米大統領が、訪日についてだした結論は、延期


暴徒化したデモ隊、樺美智子さんの死 投稿者 c4649
18. 6月19日、日米安全保障条約は、参院で審議が行われることなく自然
成立した。
19. 首相はこの後どうしたか。退陣した
20. 首相は退陣後、池田首相や弟の佐藤首相に期待していたことは(憲法)を改正すること
21. しかし、岸首相退陣後、池田勇人首相がおこなったことは(所得倍増)計画
22. 岸首相は「日本が侵略された場合にはアメリカが日本を守ると同時に、アメリカが侵略された場合には日本がこれを助けるという双務的関係=(集団的自衛権)を結ぶためには、憲法9条の改正が必要だ」と話している。
*自分の国を守るときは「個別的自衛権」、仲間の国を守るときは「集団的自衛権」