検索サイトと情報削除 

■忘れられる権利 朝日新聞「報道と人権委員会」

 朝日新聞社の「報道と人権委員会」は9月23日、定例会を開いた。インターネット上の検索サイトによって表示された情報について、どのような場合に削除ができるのか。「忘れられる権利」はどう考えればいいか。相模原事件での実名匿名問題も併せ、意見を交わした。

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▶「忘れられる権利」という言葉が広まる契機になったEU司法裁判所の2014年5月の判断をどう見るか。

■長谷部委員

 この決定は、検索サイト「グーグル」を日本流に言えば個人情報取扱事業者と認めた上で、検索結果がすでに過去のもので、知らせるだけの価値を失いながらも情報を拡散し続けている場合などは、情報が真実でも削除を求めることができる、との法解釈を一般論で示した。EU外の個人情報保護法制の解釈や適用には直接影響を及ぼさない。米国の受け止め方は極めて批判的。米国では第三者による書き込みについて、検索サイトやリンク先のプロバイダーが責任を負うことはまず考えられない。

宮川委員

 個人名をグーグルに打ち込むと、十数年前の社会保険料滞納による不動産競売に関する新聞記事が、滞納額を支払っているのに検索結果として表れるという事案である。削除を命じた判断は市民感覚にかなっている。日本でこの件について人格権に基づく削除請求がなされた場合、データの価値、滞納の解消、受けている不利益、時の経過から裁判所は削除請求を肯定すると思う。

■今井委員

 ニュース報道の立場からすれば、忘れられる権利が、検索サイトだけにとどまらず使われていくリスクがある。安易に見逃せない。「ジャーナリズム」の「ジャーナル」の意味は日記。毎日の出来事を正確に検証しながら記録している。記録したものが積み上がって歴史になる。そのプロセスから、何かを消し去る。そんなことが今後安易に認められることにつながらないか、不安を感じる。

▶ネットでの表現の自由との関連から日本の検索サイトをどう位置づけるか。

宮川委員

 検索サイトでネット上の膨大な情報が体系化され、誰でも必要な情報にアクセスできるようになった。表現の自由、知る権利への貢献は非常に大きい。では、単なる情報の媒介者かと言えば、そうではないと思う。機械的、自動的な表示と言っても、膨大な情報を関連づけ、価値序列を付け、編集している。タイトルやスニペット(抜粋)と編集も合わせると、リンクとは別の表現を形成しているとみることができ、表現者とみなすことができる。

長谷部委員

 タイトルとスニペットについては表現者と見る余地はある。ただ、それ以外の機能では、情報の媒介者と見るのが穏当。その情報がどういう内容か、本当に信頼できるか、価値があるのかは、リンク先で利用者自身が確認すべきもので、そのための行き先を示す情報だけを示している。個人情報保護法上の個人情報取扱事業者と見るのは難しいのではないか。

 今井委員 情報媒介者と位置づけていい。利用者が指示するキーワードを手がかりに膨大な情報の中から引き出し、提供する大変複雑なコンピューターの仕掛けの中にあるわけだが、作業としては非常に単純な仕事だと思う。

■ネット上のプライバシー侵害の有無、検索で表示されたタイトルなどの削除の判断は、検索事業者に委ねられるか。

■今井委員

 媒介者として、忘れられるべき、忘れられてもいい情報か、判断する主体になる機能、責任は現段階では持っていない。その判断の責任と権限が与えられた場合、結果的に社会にとって必要な情報の遮断が起き、消してしまうことによって歴史を書き換えることにつながる恐れもある。

■長谷部委員 

 タイトルやスニペットだけで、明白にプライバシー侵害というのもある。住所や電話番号が書いてあるような場合で、これは検索サイトで出すべきでないと判断できる。ただ、リンク先の掲載情報がプライバシー侵害か、明確に判断できる事案はそれほど多くない。その場合は、何らかの形で司法判断を経由するのが穏当だ。

■宮川委員

 削除請求を求める事案は大量であり、司法が全て処理するのは不可能。現実に生じている事態を考えると、検索事業者がその社会的責任として、司法判断や有識者の意見を参考にした恣意(しい)的でない基準で対応し、その結果については、常に検証するという仕組みをつくる必要がある。

東京高裁が今年7月、さいたま地裁の決定を取り消した際忘れられる権利について認めず、地裁、高裁で判断が分かれているが。

■長谷部委員 

 忘れられる権利をわざわざ日本法の概念、観念とする必要はない。ほぼ対応する法的な判断の枠組みは、最高裁のノンフィクション「逆転」事件判決などで示されている。日本の確立した先例に即して物事を考えていくことで十分なのではないか。プライバシーと表現の自由との対抗関係を解決する上で、適切な枠組みと思う。

宮川委員 

 忘れられる権利を作りだし、その要件、効果を考えて問題処理する必要は現段階ではないと思う。ただ、人間の観点を忘れてはならない。普通の市民に関しては、情報の公共性判断を厳密に行うなど、ネット社会の特質を十分に踏まえて考えなければならない。

■今井委員

 高裁の決定は妥当な判断と理解している。新たに忘れられる権利という概念を打ち立てるのではなく、既存の人格権の中で、司法判断を繰り返しながら扱っていくのが基本。

▶ネット上の犯罪歴の情報は、報道機関が発信した記事に基づくものが多い。検索サイトとは立場が違うが、報道機関が注意すべき点は。

■長谷部委員

 日本の場合は最高裁判例が比較衡量(こうりょう)する要素を示している。その観点から判断していくということになるのではないか。

宮川委員

 いつまでも残り続けることを考慮すると、報道価値を厳しく考えることが必要で、市民のささやかな事件は取り上げないスタンスもあり得る。

今井委員

 犯罪歴を含めた情報の扱い、実名の扱いは、公人、私人、いろんな条件はあるが、一つひとつきちっと判断していくべきだ。責任と義務は情報社会にあってますます厳しく求められている。

▶実名・匿名問題

 ――相模原市内の施設で障害者が殺傷された事件で、神奈川県警は被害者の性別と年齢は発表したが、氏名は公表していない。被害者が障害者であり、遺族からの要望もあると説明している。

今井委員

 19人という犠牲者の数字によってのみ、事実が社会に示されている。被害者一人ひとり、ご家族を含め大切な物語を記録し社会に知らせて伝えることにより、国民一人ひとりが我が身の問題と考える。そういうことが行われてしかるべきだ。その重み、苦しみを無にしないため、最低限、取材の自由を報道機関が確保することは譲れない。実名報道すべきか最終判断する主体は報道機関にあり、厳しい判断が求められる。

宮川委員

 個々の人たちの実存のリアルが記号化により消されてしまっている。重傷を負った方とその両親を取り上げた朝日新聞の記事を読んだが、その方の幸福な日々と家族のいとおしい思いがよく伝えられていた。全員にそれぞれのストーリーがあるのであって、こういう記事の積み重ねが知的障害者に対する偏見を除去し、社会を変化させることにつながる。知的障害者であることは氏名を公表しない理由にはならない。

長谷部委員

 すべての国民を個人として尊重するのが出発点でないといけない。知的障害者も同じであるはず。知的障害者であるから実名を明らかにしない、するべきではないという考え方は、その人たちを単なる手段とする見方、社会にとってお荷物だと見る考え方と通ずる。ただ、それは日本社会にそういう考え方が根強く、それが反映していると見るべきであって、私はそこをまず変えていかねばいけないのではないかと思う。

 (司会は報道と人権委員会事務局長・中崎雄也)

▶忘れられる権利

 インターネット上に掲載された自分の過去に関する報道内容に触れたリンクについて、検索サイト「グーグル」の検索結果からの削除を求めたスペイン人男性の訴えに対し、欧州連合(EU)司法裁判所は2014年5月、グーグルに削除を求め得る場合があるとの判断を示し、その中で「忘れられる権利」にも言及した。

 日本では、さいたま地裁が15年12月、逮捕歴がわかる検索結果の削除を命じた仮処分を不服としたグーグル側の異議に対する決定理由の中で、ある程度の期間が経過した場合の「忘れられる権利」にも触れた。

 これに対し、東京高裁は今年7月の保全抗告審で、さいたま地裁の逮捕歴の削除命令を取り消す決定を出した。忘れられる権利について「法で定められたものでなく、独立して判断する必要はない」として認めず、地裁と高裁で判断が分かれた。

▶ノンフィクション「逆転」事件判決

 1964年に起きた米軍兵士死傷事件を扱ったノンフィクション作品「逆転」(77年出版)で、傷害の罪を犯して更生した男性が実名で取り上げられたことをめぐり、表現の自由とプライバシー保護の関係が争われた訴訟で、最高裁第三小法廷は94年、不法行為の成立を認めた。

 判決理由で、前科の事実は公表されない利益が法的保護に値する場合もあれば、公表が許される場合もあるとし、判断基準として

(1)事件公表に歴史的、社会的意義がある

(2)対象者に社会的影響力がある

(3)対象者が選挙で選ばれるなど公職についている

(4)著作物の目的、性格などに照らした実名使用の意義や必要性がある

を挙げた。