政治・文化情報2017
政治・文化情報2017 site
コンテンツへスキップ
ホーム
政治
60安保と岸信介
敗戦の歴史
ヒットラー誕生秘話
主権者教育
平成27年12月15日国家戦略特別区域諮問会議
強制収容所のバイオリニスト
憲法
「共謀罪」のある社会
(争論)「共謀罪」
テロ等準備罪
常識ゆさぶる法哲学
憲法を考える
9条・安保
検索サイトと情報削除
憲法審査会
日本国憲法70年の議論
緊急事態条項
日本会議国会議員懇談会の会員(2016年現在)
英語強化は民主主義の危機
科学
オートファジー解明
オートファジー(自食作用)
ゲノム編集
折り紙の可能性
美術
西洋美術
現代
アントニー・ゴームリー
アンドリュー・ワイエス
アンドリュー・ワイエス作品群
クリスト
クリストとの出会い
年譜
ザッキン
ザッキンと日本
近代(西洋)
日本美術
現代
■北大路魯山人と岡本家の人びと
■北大路魯山人と岡本家の年表
万博の太郎
パリ留学までの太郎史
新宿中村屋サロンの美術家たち
日本ダダと構成主義
すべての僕が沸騰するために
日本のダダ・構成主義
鯉江(こいえ)良二(陶芸)
近世
円山応挙(別冊太陽)
北斎
北斎の生涯
富嶽三十六景
柴又帝釈天(彫刻)
雪村
近代
原田直次郎
原田直次郎その三十六年をたどる
音楽
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ
メディア情報
101歳のジャーナリスト
むのたけじさん
宗教
孔子の言葉
法然と親鸞
禅宗
道元(別冊・太陽)
道元の生涯
栄西と臨済禅(別冊・太陽)
中国の禅宗史
禅宗様建築
仙厓(別冊太陽)
仙厓の生涯
仙厓禅画の世界
佐々木 閑
枡野俊明(共生デザイン)
生死を繰り返し、一瞬に込める
空海と密教美術
般若心経
般若心経・関連作品
般若心経を解く
第3章「因」について
第4章「空」の中では
第5章 絶対的真理と相対的真理
第6章 仏教修行の原点
第7章 無分別の分別
第8章「空の哲学」の系譜
■100分de名著 般若心経
葬儀関連
永代供養墓
法名・戒名の選び方
位牌は必要か?
忍性
忍性「救済に捧げた生涯」
忍性の三村山止住
忍性の開いた寺(三村寺)
福祉・生活
年金・介護・医療、負担増を議論
生協の父
相続人関係図
介護保険、きしむ約束
歴史文化
仏像鑑賞ツアー(かすみがうら市)
宍塚般若寺と結界石
エピローグ 中世社会の変質
日本人の祖先
真田父子犬伏〔いぬぶし〕密談図
親鸞、教科書記述に変化
音源
富嶽三十六景
『
富嶽三十六景
』(ふがくさんじゅうろっけい)は、葛飾北斎の作成した代表的な
風景画・浮世絵
である。現在では作品名を「富嶽三十六景」と表記することが多いが、作中では異体字で「
冨嶽三十六景
」とされている。「
富岳三十六景
」と表記されることもある。
「
富嶽」は富士山のこと
であり、
各地から望む富士山の景観を描いている
。初版は
1823年(62歳・文政6年)頃より作成が始まり、1831年(72歳・天保2年)頃から1835年(77歳・同4年)
頃にかけて刊行されたと考えられている。版元は
永寿堂西村屋与八
。発表当時の
北斎は72歳
と、晩年期に入ったときの作品である。遠近法が活用されていること、当時流行していた「
ベロ藍
」ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。浮世絵の風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、
名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立
したと言える
[6]
。
▶
画ごとの特徴
「
凱風快晴
」や「
山下白雨
」
(上図左右)
のように、富士山を画面いっぱいに描いた作品から、「
神奈川沖浪裏
」や「
甲州伊沢暁
」
(下図左右)
のように遠景に配したものまであり、四季や地域ごとに多彩な富士山のみならず、各地での人々の営みも生き生きと描写している。巨大な波と舟の中に富士を描いた「
神奈川沖浪裏
」、赤富士を描いた「
凱風快晴
」などが代表的な作品として知られる。当初は名前の通り、主版の
36枚で終結する予定
であったが、作品が人気を集めたため
追加で10枚が発表さ
れ、計46枚
になった。追加の10枚の作品を「
裏富士
」と呼ぶ。
▶
影響
日本のみならず、
ゴッホやドビュッシーなど、世界の芸術家にも大きな影響を与えた。
アンリ・リヴィエールは本作に触発
され『
エッフェル塔三十六景
』を描いた。
2010年10月31日、葛飾北斎の生誕250年を記念して、Google日本版のホームページの
ロゴが「神奈川沖浪裏」バージョン
となった(画像)。
顔料「紺青」は本作に使われたことで普及したとの俗説がある。実際は海外から大量に流入した為に値崩れを起こした
紺青を北斎が使った
のである。日本では山梨県出身の木版画家・
萩原英雄
(1913年 -2007年)は1981年(昭和56年)から〈三十六富士〉に取り組んでいる。萩原は戦前に高見沢木版社に務め実際の浮世絵に触れており、戦後は聖書やイソップ物語など西洋の題材を取った具体的表現の連作や、
「幻想」「石の花」など抽象的な表現の連作
を手がけていた。萩原は〈三十六富士〉は北斎の〈
富嶽三十六景〉に学び、富士を具体的に描く表現で
各地から見た風景を描いている。ただし、北斎が人々の生活や生業を多く描いたのに対し、萩原は人間を一切描かず、純粋に富士の見える風景を描いている。
(下図左右)
■作品群
Top