真田父子犬伏〔いぬぶし〕密談図

■真田父子犬伏〔いぬぶし〕密談図

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 「東、徳川か、西、豊臣か」、右は真田昌幸、相向かいはその長男信之、その間で下を向いてじっと聞いている次男幸村。
慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦に際し、真田氏は父子兄弟が東西に分かれて戦った。昌幸と幸村は西軍に味方し上田に籠〔ろう〕城し徳川軍の攻撃を受けることになったが、幸村の兄信之は徳川方についた。この図は上杉景勝征伐の軍に従っていた昌幸下野〔しもつけ〕国犬伏(栃木県佐野市)で石田三成からの密書を受け、東西両軍のどちらにつくか協議している場面

▶「犬伏の別れ」の地は栃木県佐野市犬伏新町の「新町薬師堂」

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 NHK大河ドラマ「真田丸」のストーリー上で重要な場面となる「犬伏の別れ」についてまとめます。あわせて、「犬伏の別れ」の舞台となった実在の場所についてもまとめます。

「犬伏の別れ」とは、関ヶ原の戦いを目前にして行なわれた真田父子の ”決別” のことです。真田家の長男・信幸(大泉洋)が徳川側に、父・昌幸(草刈正雄)と次男・信繁(堺雅人)が豊臣側につくことが親子三人の密談で取り決められ、父子は東軍、西軍に分かれて関ヶ原の戦いに挑むことになります。

その父子の密談の舞台となったとされるのが、栃木県佐野市犬伏新町にある「新町薬師堂」です。「新町薬師堂」には犬伏新町町会によって立てられた「真田父子 犬伏の別れの地」の説明看板があります

▶以下、看板の説明文を引用します。

 慶長五年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の合戦を目前に控えた七月二十一日、徳川家康について会津の上杉家討伐に向かった真田昌幸、信幸、信繁父子は下野国犬伏(現在の佐野市)に到着しました。そこで陣を張っていた父子のもとに石田三成から密書が届き、豊臣方に味方するよう書かれていました。この書状を受けて父子三人で話し合い、どちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断したとされています。

 その話し合いの場がこの薬師堂であったといわれており、すぐそばを流れていた川に架かっていた橋は、真田父子の別れ橋としてこの地に語り継がれています。


■真田の郷・上田真田三代の歴史

 第二次上田合戦関ヶ原の合戦に間に合わず!徳川の大軍の足止めに成功した合戦

▶ 上田合戦 合戦場マップ

徳川・北条の領地争いの末、真田昌幸公が徳川家康にそむくかたちで起った第一次上田合戦、関ヶ原の合戦の前哨戦となった第二次上田合戦。二度にわたり徳川軍を撃退した上田合戦の重要なポイントとなった場所を紹介します。

■時代背景

豊臣秀吉が死去し、家康は秀吉の遺言で秀頼を託され、実際の政権運営を担っていた五大老などの役職から、政権運営の実権をじわじわと我が手にしていった。そのような振る舞いに対して秀吉に仕えていた諸大名の中でも徳川の振る舞いに対してよく思わぬものもいた。五大老の一人、上杉景勝は家康からの大阪への上洛をことごとく拒み、家康から謀反の疑いを掛けられてしまう。

■犬伏の別れ

慶長3年(1598年)、豊臣秀吉が亡くなりました。それから2年ほど経った慶長5年(1600年)。上杉景勝が謀反を企てているとして徳川家康の大軍が会津征伐へ向かいました真田氏父子3人も徳川勢に加わり、会津へ向かいました。

そのころ、京都で石田三成が挙兵します。真田氏が会津へ向かう途中、真田氏へ石田三成勢に加わる誘いの書状が届きました。昌幸公は様々なことを考えぬき、父の昌幸公と次男の幸村公は石田勢(関が原の戦いでは西軍)へ長男の信幸公は徳川勢(関が原の戦いでは東軍)につくこと事にしました。信幸公はそのまま会津へ向かい、昌幸公と幸村公は沼田城あたりを通り、上田城に引き返しました。

■上田城へ向け出陣

石田三成勢を討伐するため、徳川秀忠は徳川勢の本隊を率いて下野の宇都宮を出発しました。秀忠は、宇都宮から直接上洛せず、石田勢についた真田昌幸公・幸村公父子のいる信濃の上田城を攻め落としてから合流する予定を立て総勢約38,000の軍勢で、中山道から上野を抜け信濃に入りました。

▶9月2日、秀忠は小諸城に到着しました。

▶9月3日、秀忠は本多忠政・真田信幸公らを使者に送り、上田城を明け渡すよう伝えました。昌幸は両者を信濃国分寺でもてなし、使者の申し出に昌幸は「家来を説得してからから返事をしたい」として使者を返しました。その後昌幸公は、返事を先延ばしにして、その間に上田城内の建築修繕など戦いの準備を進めました

▶9月4日、徳川勢の使者から返事の催促があり、昌幸公は、石田三成方に加勢することを告げ、徳川の使者を返しました。

■上田城へ攻撃

9月4日、返事を聞いた秀忠は激怒しました夜中に小諸を出発し、染屋台に陣を敷き、上田城攻めを開始しました。徳川勢を迎え撃つ真田の兵力は約3,000でした。

▶9月5日、秀忠の命により真田信幸公は、砥石城攻めに向かいました。砥石城を守っていた真田幸村公は、兄の信幸と戦うことを避けるため、砥石城を捨てて上田城へ戻りました。

▶9月6日、秀忠は上田城への総攻撃を命じました。真田勢は、小競り合いを繰り返しながら、上田城へ退却したように装いますそうとも知らず、追撃してくる徳川勢を城内から戦っては退き、退いては戦いを繰り返しました。

■徳川軍撤退、関が原へ

小競り合いを繰り返しならが時が過ぎ、結局、徳川勢は上田城を攻略することはできませんでした。秀忠は上田城の攻略を諦め小諸城に撤退し、上田城の押さえとして仙石秀久・真田信幸公らを残しました。

▶9月11日、秀忠の軍勢は関が原へ向け、真田の領地の和田峠を越えず、徳川の領地の役の行者を越えて、中山道の木曽路へ移動を開始しました。

▶9月15日、関が原の戦いがはじまり、徳川勢の東軍が勝利しました。
秀忠が勝利を知ったのは、木曽路あたりでした。結局、徳川勢の本隊約38,000は関が原の合戦に間に合うことはできませんでした。


  NHK大河ドラマ「真田丸」のストーリー上で重要な場面となる「犬伏の別れ」についてまとめます。あわせて、「犬伏の別れ」の舞台となった実在の場所についてもまとめます。

 「犬伏の別れ」とは、関ヶ原の戦いを目前にして行なわれた真田父子の ”決別” のことです。真田家の長男・信幸(大泉洋)が徳川側に、父・昌幸(草刈正雄)と次男・信繁(堺雅人)が豊臣側につくことが親子三人の密談で取り決められ、父子は東軍、西軍に分かれて関ヶ原の戦いに挑むことになります。

■佐野市犬伏新町の「新町薬師堂」が密談現場

 その父子の密談の舞台となったとされるのが、栃木県佐野市犬伏新町にある「新町薬師堂」です。「新町薬師堂」には犬伏新町町会によって立てられた「真田父子 犬伏の別れの地」の説明看板があります。以下、看板の説明文を引用します。

 慶長五年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の合戦を目前に控えた七月二十一日、徳川家康について会津の上杉家討伐に向かった真田昌幸、信幸、信繁父子は下野国犬伏(現在の佐野市)に到着しました。そこで陣を張っていた父子のもとに石田三成から密書が届き、豊臣方に味方するよう書かれていました。この書状を受けて父子三人で話し合い、どちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断したとされています。

その話し合いの場がこの薬師堂であったといわれており、すぐそばを流れていた川に架かっていた橋は、真田父子の別れ橋としてこの地に語り継がれています。

▶日光例幣使街道中山道・倉賀野宿から犬伏を通り、今市・会津西街道方面へと抜ける道)沿いにある「新町薬師堂」。

 「犬伏」の地名は古くは「犬臥」とも書き、山伏がヒヒを退治した際に連れてきた犬が戦いで死んだのでこの地に葬ったことが地名の由来とされる(犬伏町郷土誌より)。

■会津への道中、三成からの書状

 江戸から上杉家討伐(会津討伐)のために会津に向かっていた徳川秀忠に合流するため真田昌幸、信幸、信繁の三人は七月上旬に信州・上田を発っていました。7月21日、その道中の下野国犬伏で真田父子のもとに届いたのが、三成からの「秀吉の遺言に背いた家康には非がある」「秀吉の恩を忘れていなければ、(秀吉後継者の)秀頼に忠節を誓ってくれ」との書状でした。

 三成は、会津討伐のために東へと出発した家康の不在を狙い、出兵を企てたのです。この書状を受けて、真田父子三人は犬伏の地で話し合いの場をもうけます。

■父子の密談「犬伏の別れ」で東西に分かれる

 信幸は一時期徳川に出仕しており、妻・小松姫(吉田羊)が徳川四天王のひとり・本多忠勝(藤岡弘、)であったことなどから、徳川方(東軍)につくことを決めます。一方、兼ねてから徳川家康を良く思っていなかった昌幸は勝った時の恩賞も大きいと予想される秀吉方につき、これに信繁も追従する形をとり、父子が敵味方に分かれることになるのです。

 この ”決別” には徳川(東軍)、豊臣(西軍)どちらが勝っても真田家が存続するように、という真田家の生き残り戦略があったともされます。「真田丸」ではこの「犬伏の別れ」が昌幸、信幸、信繁(真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。)の三人が顔を揃える最後のシーンになるとのことで、真田一家の絆の強さを見続けてきた視聴者にとっても切ない場面となりそうです。


■佐野の城壁 

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