柴又帝釈天(彫刻)

■法華経説話の彫刻

■塔供養図(序品第一)

 文殊菩薩は、「過去世において天から華が散り大地が振動して、みなが奇瑞(きずい・めでたいことの前兆として起こる不思議な現象)だと喜ぶと、日月灯明如来(天にあっては日月のごとく,地にあっては灯明のごとき光明を具える仏の名)という仏が現われた。眉間の自重からは光が放たれ、東方の一万八千の世界を照らし出した。そんな不思議な現象が起こった後に法華経が説かれた。釈迦も今、三昧の境地から普遍的な真理である法華経を説かれるであろう」と語った。

 日月灯明仏(にちがつとうみょうぶつ・『法華経序品に出る仏で、日月如く光明発するという)が出家して最高の悟りを得たと聞いて、八人の王子たちも父に倣って同じく剃髪して出家し、みな法師となって仏塔を供養している場面を表現している。

■三重火宅図(誓囁品第三)

 舎利弗は釈迦から「三車火宅の譬え」を説かれた。悪獣、悪霊がはびこる苦に満ちた長者の邸宅が火事になる。ところが遊びに夢中の子供たちは火事に気付かず家から出ようとしない。そこで父の長者は子供を救うためをこ鹿、羊、牛が引く三台の車を用意して、かろう焔の中から外へ導き出す。さらに長者は大きな白い牛が引く事を用意して子供たちを乗せて救い、難から逃れさせた。火事の家は三界の苦が満ちた現世、三人の子供は声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩の三乗、大きな白い牛車は法華経の一乗の教えを譬えている。

■一雨等潤図(薬草喩品第五)石川信光彫刻

 釈迦はすべてのものをみな仏にすることが目標であるが、その教えの受け取り方には違いがあることを「三草二木の譬え」で説く。三草すなわち小草・中草・上草、二木すなわち小樹・大樹に仏の説法の雨を等分にそそいで皆を成仏させようとしても、大きい葉、小さい葉では吸収が異なる。つまりその教えを聞く弟子や聴衆たちの能力によって理解は千差万別で、度合いには差が出てしまう。右上方にある風神と雷神が雨を象徴し、天女が舞う花園はその御利益の成果を表現したものである。

■法師修行図(普賢菩薩勧発品第二十八)横谷光一 彫刻

 普賢菩薩は法華経を説く釈迦に誓う。「釈迦入滅後、濁悪の世で法華経を受持・読誦(どくしょう・声に出して読むこと)・憶念・修習・書写し、弘めようとする者があれば、私は六牙の白象に乗ってその前に現れ、これを守護し、煩いを除いて安穏にする」と。これに応じて釈迦は「法華経を敬うものは仏を敬うものであり、これを軽んじた時の罰を説き、普賢菩薩に法華経を伝える者を敬うべし」と諭した。菩薩・声聞・縁覚(えんがく・仏教で修行の段階や修行者の性質を示す)をはじめ聴衆たちみなが歓喜し、普賢菩薩と同じ悟りを得た。みな釈迦に礼拝して去り、法華経の説法が終わる場面。

■多宝塔出現困(見宝塔品第十一)石川報次朗彫刻

 釈迦の説法は霊鷲山から天空の宝塔に舞台を移す。釈迦と聴衆の前に突如宝物で飾られた塔が大地より湧出して空中に浮かび上がる。塔の中からは「釈迦が説く法華経の教えはすべて真実だ」という多宝如来の叫びが聞こえる。あらゆる世界の者たちが皆この多宝塔の前に集まると釈迦は宝塔の扉を開いた。宝塔の中には多宝如来がいて釈迦を招き、二仏は並んで坐る。その神通力で聴衆も虚空に上昇して宝塔のそばに集められ、釈迦は法華経の信仰の難しさを語り、その伝持を勧める

■千載給仕図(捏婆達多品第十二)加府藤正一彫刻

 仏になれないとされた堤婆達多(だいばだった・釈迦仏の弟子で、後に違背したとされる人)の成仏を説く。釈迦は自分が王だった時に法華経を知っている阿私仙という仙人に身を捧げて奴隷として千年間仕え、法華経の教えを得ることができたとされる。ところがこの仙人こそが実は釈迦にはむかう堤婆達多の前身であり、未来世ではという仏になると明かす。堤婆違多は釈迦のいとこであるが、対立して釈迦の殺害を謀った極悪人であった。それでも成仏できるとした悪人成仏の教えの根拠でもある。水汲み、薪拾い、木の実採りなど釈迦の給仕奉公の様子を表現している。

■龍女成仏図(堤婆達多品第十二)山本一芳 彫刻

 古来成仏できないとされてきた女性でも必ず仏になれることが、初めて説かれた画期的な教えといえる。海中に在る龍宮で法華経を説いていた文殊菩薩が「龍王の娘である龍女が菩提心を起こして成仏した」と語ったことに舎利弗が疑念を持ち、「女身は穢(けが)れていて成仏できない」と反論するすると龍女は突然男に変わり成仏した(変成男子)。法華経の救済力の大きさを物語る証左である。龍女が宝玉を釈迦に献じて、その至誠で成仏が約束されようとしている瞬間を表現している。

■病即消滅囲(薬王菩薩本事品第二十三)今関光次 彫刻

 過去世で日月浄明徳如来が一切衆生喜見菩薩に法華経を説き、如来と法華経を身をもって供養するために様々な香料を飲み、香油を体に塗って自らを千二百年間燃やした。さらに生まれ変わって日月浄明徳如来の涅槃に際して火葬に付して仏舎利を拾い、塔を建て、自らの(ひじ)を7万2千年間燃やして供養した。この菩薩が今の薬王菩薩であり、身命を賭しで法華経を伝持すべきことを説いた。法華経は世界のあらゆる人々の病を治し、不老不死の境地が得られる良薬を作っている場面を表現している。ここでは薬研や乳鉢で薬いる。

■常不軽菩薩受難図(常不軽菩薩品第二十)・法華軽功徳図(薬玉菩薩本事品第二十三)小林直光彫刻

 正しい教えが消滅する時代に常不軽菩薩という比丘(びく・所定の戒を受けて仏門に入った男子修行者)が現れ、出会うすべての人に礼拝し、「あなたはやがて仏になる人だから私は尊敬します」といったが、人々は腹をたてて迫害した。やがてこの菩薩が臨終を迎えた時、虚空に法華経の偈を聞き、六根清浄の功徳を得て成仏できた常不軽菩薩とは釈迦の過去世であった。法華経はすべての者に救いの道を与えてくれる。一枚の図の左側には暴力をふるわれる常不軽品の常不軽菩薩の受難右側に寒さと火、母子、川と船など薬王菩薩本事品の法華経功徳の場面を表現している。

■法師守護図(陀薙尼品第二十六)加藤寮之助彫刻

 陀羅尼(だらに・呪文)とは真言・総持(悪法を捨てて善法を持する意)・呪文を意味し、薬王菩薩たちが護身の陀羅尼を説く。まず法華経を保つことを心に誓い、読誦し、暗記し、解説し、書写する者の功徳は、八百万憶那由陀恒河沙(おくなゆだこうかしゃ・ガンジス河の砂のように無数なこと・命数法)の諸仏を供養するに勝るとして、この経をもつ者に対して、薬王菩薩、毘沙門天、持国天、羅刹女たちがそれを擁護するための陀羅尼を説く。法華経を未来に向けて伝えようとする法師に、釈迦の滅後であっても法華経を守護する陀羅尼が授けられている。

■経栄山題経寺 東京都葛飾区柴又7-10-3

 寅さんの映画で有名な柴又帝釈天は、正式名称は経栄山題経寺。寛永年問の一六二九年に開基され、日蓮聖人御親刻と言われる帝釈天の坂本尊が祀られている。江戸時代高所在不明となっていた本尊が発見されたのが、安永八年(一七七九)の春、庚申の日、だったため、帝釈天信仰と庚申信仰が重なり信仰を集め、昭和になって寅さんの映画の舞台となり今も人々に親しまれている。

 ◆二天門、鐘楼、手水舎などにも彫刻が施されているが、帝釈堂は彫刻ギャラリーとして公開されている。覆屋がかけられ、廻廊が設けられているので、帝釈堂の素晴らしい胴羽目(お堂の横壁にあたる部位)を間近に拝観することができる。昭和初期の彫刻だが、十名の名匠が一面ずつ担当した十面の胴羽目彫刻は、『法華経』の説話に基づいている。そして胴羽目上部の天女や十二支、さらに頭貫の獅子や尾垂木の龍頭、下部の鶴の群れ、さらに廻廊下段では腰羽目に花鳥や汲に亀の白木の彫刻を堪能できる。さらに帝釈堂内部は堂内も見事な彫刻で装飾されている。