茨城県南地震確率の最近の記事

ピクチャ 6.png

県南西部のやや深い場所(深さ30?50km)や深い場所(深さ50?70km)では、定常的に地震活動が活発です。被害地震としては、県内で4名の死者を出した1895年の霞ケ浦付近の地震(M7.2)や、1921年の竜ケ崎付近の地震(M7.0)、1930年の那珂川下流域の地震(M6.5、深さ約30km)、1983年の茨城県南部の地震(M6.0、深さ約70km)、2005年の茨城県南部の地震(M5.3、深さ46km)などが知られています。これらは、関東地方の下に沈み込んだフィリピン海プレートや太平洋プレートに関係する地震活動であり、このタイプの地震活動としては、この地域が関東地方の中で最も活発です。最近数十年間では、M7程度の地震の発生は知られていませんが、M5?6の地震は、数年に1回の割合で発生しており、局所的に若干の被害が生じたことがあります。
 相模湾から房総半島南東沖にかけてのプレート境界付近で発生した地震では、例えば、1923年の関東地震(M7.9)では、県南部を中心に強い揺れが生じ、県内で死者・行方不明者5名などの被害が生じました。
 関東地方東方沖合から福島県沖にかけてのプレート境界付近で発生する地震としては、明治以降では、1909年の房総半島南東沖の地震(1日にM6.7とM7.5の2つの地震が発生)、1938年の塩屋崎沖の地震(M7.0)、同年の福島県東方沖の地震(M7.5)などが知られていますが、M8を越えるような巨大地震の発生は知られていません。また、これらの地震による大きな被害は知られていません。1938年の福島県東方沖地震では県内で最大88cmの津波が検潮儀によって観測されましたが、この津波による被害はありませんでした。ただし、歴史の資料によると、1677年にはM8程度の規模で房総半島東方沖に発生したと考えられる地震により、県内では津波によって溺死者36名などの被害が生じたことがあります。
 相模湾から房総半島南東沖にかけてのプレート境界付近で発生した地震では、例えば、1923年の関東地震(M7.9)では、県南部を中心に強い揺れが生じ、県内で死者・行方不明者5名などの被害が生じました。
 1987年の千葉県東方沖の地震(M6.7)など周辺地域で発生する地震や、三陸沖や東海沖などの太平洋側沖合で発生するプレート境界付近の地震によっても被害を受けたことがあります。さらに、外国の地震によっても津波被害を受けることがあり、例えば、1960年の「チリ地震津波」では、県内に2?3m津波が襲来し、船舶などに被害が生じました。
 県内では、確実に活断層であるとされるものは知られていません。また、県内に被害を及ぼす可能性のある海溝型地震には、茨城県沖で発生する地震三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域で発生する地震及び南関東で発生するM7程度の地震があります

アイテム

  • usiku92.jpg
  • usiku08.jpg
  • usiku00.jpg
  • ushiku_02.jpg
  • ushiku_03.jpg
  • arakawa09.jpg
  • arakawa02.jpg
  • arakawa04.jpg
  • tan68.jpg
  • tan67.jpg

2017年10月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリ

最近の記事