桜川下流域の地盤条件と地震災害の最近の記事

 桜川が霞ヶ浦に流れこむ河口域は,ほぼ標高2m以下という低い湖岸低地(三角州)で,地形からみるかぎりでは地盤は良くないと判断されてもおかしくありません.しかし,軟らかい沖積層の厚さは数m程度と薄く,その下には地層の硬さを示すN値が30を超えるという硬い砂礫層(土浦礫層)があります(図8).この砂礫層は約2万年前に鬼怒川が日光山地などから運びだしてきたものです.鬼怒川は小貝川近くをほぼ平行して流れており,下館の北方付近で現在の小貝川低地に向け流路をとっていたときがあります.
 筑波山の西方において,筑波台地北部が比高10mほどの崖を境にし幅3?4kmほどが一段低くなっています.この低位の台地面は北北西に伸びて小貝川低地につながっています.小貝川は上流に山地を持たない平地河川で礫を運び出さないので,2万年前ごろには鬼怒川がこの低位台地を斜めに切って流れ,現在の桜川に流入していたと考えられます.2万年前には海面が現在より100m以上低かったので,それに応じ河床勾配は大きくて運搬力が増していたので,大きな礫も下流まで運ばれてきていました.低位台地面や桜川低地にはこの砂利の採取場が10箇所ほどあります.
 沖積層は1.8万年前の氷河期ピーク時(海面最低時)以降に堆積した地層なので,約2万年前の土浦礫層よりも上にある厚さ数m程度が沖積層になります.ほぼ粘土・シルトの地層で砂の層は多くありません(シルトは粒径が粘土と砂の中間).N値は非常に小さくて軟弱な地層ですが厚さが薄いので,とりたてて悪い地盤ではありません.沖積層が薄いのは桜川の搬出土砂量が少なかったためで,これは霞ヶ浦が埋め立てられずに現在も潟湖として残っていることにもつながっています.
 この低地では,マグニチュード7クラスの関東平野南部直下の地震が起こった場合,最大震度6弱が想定されています.砂層はあっても薄いので,液状化が起こってもそれによる地盤変形は小さいでしょう.桜川低地を横断して砂洲が伸びており,かつての水戸街道はこの上を通じ,古い町並みを連ねていました.砂州と言っても比高は最大1mほど,砂層の厚さは数10cm程度です.ほぼ常磐線の東側(霞ヶ浦寄り)は三角州に分類される地形で,地盤は多少悪くなります.




 一方,台地を刻む谷の底には非常に軟弱な有機質土が堆積しており,花室川では厚さが10mもあります(図9).このような谷底では局地的に震動が大きく増幅されます.これは周辺台地面から主にローム(粘土)が運ばれ堆積したものであり,谷底の湿地に生えた植物が分解されずに混じっているので,きわめて軟弱です.なおE地点付近からは氷河期に大陸から移動してきていたナウマン象の化石が発掘されています.
 1923年関東震災時の土浦における被害は,レンガ造りの建物や塀が多少壊れた程度でした.ただし,土浦駅と荒川沖駅の間において常磐線旅客列車が脱線し,56人が死傷しています.1895年の霞ヶ浦付近の地震(M7.2)では,土浦での被害は報告されていませんが,石岡では家屋倒壊などかなりの被害が生じました.

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