茨城の原子力施設

000      茨城県地図~原発事故は基本的人権を奪う!~  

たんぽぼ舎 山崎久隆

■当日の講演内容の音源データにリンク

■茨城の原子力施設の概要

■茨城県 核施設集中立地

茨城の原子力施設放射能測定箇所

 茨城県に上図のように原子力施設が多数立地しています。何故、これら原子力施設が設置されたのでしょうか。

 核開発の黎明期は、主に国の研究機関や大学が原子力施設を設置し、多くの研究者が従事しました。それには東京に比較的近く、まとまった土地が確保でき、さらに人口も少ない地域がうってつけでした。1950年代の東京近郊では、東海村周辺が最もそれに適していました。そのため原子力集中立地の標的になったと考えられます。

 東海村とその周辺には核燃料サイクル施設のほとんどが存在し、非常にコンパクトに研究開発が進められました。核開発とは核武装研究と同一の技術開発であり、秘密の確保と安全保障上の問題もあります。コンパクトにまとめることには、そういった動機もありました。

 那珂川と久慈川に挟まれた平均標高38メートルの平坦地で、東京に近く、その敷地の大部分(330万平方メートル)が国有地であり、原子炉等の冷却水確保と核のゴミ捨て場に、太平洋はうってつけの地理的条件を備えていたのですが、一方、東海村への原子力施設の集中立地は安全上大変な開磨を抱えることになります。第一に、人口額密な地帯のただなかにあること。周辺30キロ圏内に約100万人の人口、10キロ圏でも30万人超、こんな原子力旛設群は世界的にも例はありません。第二に、様々な用途をもった原子力施設の超過密化による連鎖事故の脅威です。第三に再処理施設に伴う巨大事故です。

 2011年に起きた東北地方太平洋沖地煮において、日本原子力発電(日本原電)・東海第二原発は危機的状況に陥りました。結果としてメルトダウンのような「過酷事故」には至りませんでしたが、一歩間違えば福島第一原発のような事態を招き、接溌している敷地内にある原子力研究開発槻構の東海再処理工場、あるいはその他の原子力施設が連鎖的に過酷事故になったかもしれません。東京はもちろん、日本を超えて世界的規模の放射能汚染になった可能性もあります。

 日本学術会議が「原子力委負会」の設置を決め、1956年1月1日に設置されてから今年で60年。余り知られていませんが、日本で初の原子力予算を通した1954年の前年には、既に原子力推進体制が作られていました。これについて吉岡斉九州大学副学長は『原子力の社会史:その日本的展開』(朝日選書、1999)において次のように書いています。

 『日本の原子力開発利用は基本的に、その推進に直接な利害鰐係をもつ諸集団(科学技術庁、通産省、電力業界、製造業界等)が、与えられた国際環境のもとで、それぞれの利益を確保することを目的として進められてきた。異なる集団間の利害が対立する集合も多かったが、その際には誰もが損をしないように相互訴並がはかられてきた。このような「利益本位のインサイダー取引」こそが、原子力開発利用に関する意思決定の基本的な仕組みをなしてきたが、それはしばしば国民的ないし国際的見地からみて、非合理的・没合理的な意思決定をもたらしてきた。』

 日本の原子力開発が民主的に行われてなどいないことは、重要な視点です。

 この間、米国スリーマイル島原発事故、旧ソ連(現在はウクライナ)チェルノブィリ原発事故、美浜原発事故、高速増兼炉「もんじゆ」のナトリウム漏れ・火災事故、動燃東海再処理施設・アスファルト同化処理施設の火災・爆発事故、JCO核燃料工場臨界事故、そして福島第一原発煮災を経l鼓しました。日本の原子力開発60年史はまた、放射能汚染の60年でもあり、原子炉の寿命の尽きる時雨でもあるのです。すでに日本原子力発電・東海発電所は廃炉となり、浜岡原発1、2号棲も「南海トラフの地真に耐えられない」と廃炉になり、福島第一原発は、東日本大東災で6基が廃炉になりました。直下に断層のある敦賀原発も事実上全部廃炉であり、日本として「脱原発に舵を切る」ことが確定しているのが現実です。この60年間で思い知ったことは、原子力技術が定着するどころか、その矛盾は最高潮に達したということです。

 東海村を中心とした原子力施設の歴史は、それを実証してきたと言えるのです。

 東海村は東京から北東に120bl、県庁所在地の水戸市から15bnのところにあります。しかし、原子力施設は東海村だけに在るのではなく、隣の那珂町やひたちなか市、大洗町、旭村、大宮町などにも立地しています。原子力災害は東海材だけでは収まらないことを意味し、これら施設の全てに原子力防災計画と原子力災事対策の施策が必要なのです。 立地自治体が増えれば交付金をばらまく自治体も増えることなどが施設の広がりの理由だったのでしょう。

 見方を変えれば、住民は原子力施設に囲まれて生活をしていることになります。県北部の日立市から南へ大洗町に至る海岸沿いを中心に関連施設を含めると38もの核施設がひしめいています。以下、主なものを締介します。

■東海村・日本原電・東海発電所

inside_h1title_haishi

 『東海原発(GCR・コールダーホール型・出力l16.6万キロワット)』は、96年9月に日本原電取締役会で、97年7月をもって廃炉が決定されました。老朽化と地景に耐えられないリスクのうえ、規模の執こは発電量が小さく、存続させる意義は無いという判断に依ります。もともとコールダーホール型は核兵器開発のために米国で設計され、英国が主に建設しできましたが、その英国でもほとんど廃炉になっています。この解体が進められていますが、労働者被ばくや寮境汚染、大量の放射性廃棄物の行方が同居になります。

 『東海第2原発(BWR・沸騰水型・出力110万キロワット)』は、2011年の地震と津波で被災しています。地廣の大きさは基礎版上で最大225ガル、津波は5・4メートルでした。原発の停止は「タービン軸受振動大」の信号によるもので、「地震加速度大」ではありません。揺れの大きさだけならば、設計上は「直ちに原発を止める必事があるものではなかった」ということになります。

 しかし外部電源を失い、最悪の事故につながる全電源喪失を非常用ディーゼル発電機3台のうち2台稼働でかろうじて免れました。その後の点検で、外部電源を受電する設備に地震による損傷があることが分かっています。非常用ディーゼル発電機は稼働しましたが、海水ポンプは地震時に津波対策として側壁のかさ上げ工事中であり(+5・8机標高+4・飢n)。この工事では、側壁の外側にH.P十7.伽n(標高哺.1m)までの側壁を新たに設置しましたが、壁の貫通部(電気ケーブル等を通すための小さな穴)の封止(浸水を防ぐ)工事は完了していなかったため、貫通部からポンプ室に海水が浸水しました。

■原子力研究開発(旧原研)・東海研究所

原子力研究開発(旧原研)・東海研究所

 96年12月、『研究炉・JRR−2(出力1万キロワット)』の運転を終了しました。東海研究所で廃炉となったのは、『JRR−1』、『動力試験炉・JPDR』に続いて3基目(厳密に言えば『JRR−3』も数えなければなりませんが)となります。JPDRの解体を230億円をかけておこないましたが、それによって生じた廃棄物は約24000トン、約3700トンが放射性廃棄物で、残りは非放射性廃棄物だとされています。

 原子力機構では、これまでに解体した際に出た鉄骨廃棄物1500トンを民間の業者に払い下げました。この鉄骨廃棄物はすぐに溶鉱炉で溶かされてしまって、それが製品として何処へいったのか分からないといいます。このことは国にも県にも報告されていませんでした。こうしたr放射性スクラップ」のリサイクル間者は、予想され得ることですが、要はスクラップだから、極低レベルだから、何をしてもかまわないという考え方に間寮があります。このように原子力施設の解体の過程で出された、放射性スクラップがリサイクル製品として、ヒトの生活に入り込んでくるということが事実をもって示されました。

■原子力研究開発機構(旧動燃)・東海事業所

原子力研究開発機構(旧動燃)・東海事業所

 97年の『アスファルト固化処理施設』の火災・爆発事故と、95年12月の『高速増殖炉・もんじゆ』のナトリウム漏洩・火災事故の際にとった動燃職員の組織的な「情報隠蔽」そして訴査担当者だった西村さんの疑惑の死(自殺とされたが纏めて不自然)などで動燃が改軌されてF核燃料サイクル丙発機構』に衣替え、延命を図らざるを待なかったのですが2005年10月に、中央省庁及び国家機関の再キ合理化で、こんどは原研と合併して日本原子力研究開発機構となります。

 ここには、『軽水炉用再処理施設』、『プルトニウム燃料開発室』、『プルトニウム貯#施設』、『核廃棄物貯#施設』などが、所決しと設定されています。

 一連の事故限しやウソ報告に見られるように以前の動燃は閉鎖的、独善的な体質を色漉く持っていました。

 「もんじゆ」の付属施設としての『リサイクル株券鮮魚施設・RETF』は、「もんじゆ」が動かない以上、必要のない施設ですが、依然として廃止もされず、900億円軌ナて集塵は完成しており、内部の梯器類を設置すれば開発続行可能な状態にあります。

 高レベル廃棄物の処理施設『ガテス酎ヒ処理施設・m:T血iV加点血i仇Facil吋』は、日本原燃六ヶ所再処理工場にも作られている尤設ですが、この東海にあるmlは電極の破損、その後作られているTV和も故障と耐兼任及び津波対策の不備から2007年以降稼瀕していませんが、今月末に再稼動することを1月13日に原子力機構が発表しました。しかしこの施設は長らく止まっていたことで、危険な高レベル廃液がそのままになっていたため、早期稼蝕の要務が出されていたこともあり、新規制基準の事査もせずに稜角する(5年間の期限付き)ことには大きな間麓があります。なお、施設が稼辞しても約430トンの高レベル放射性廃液のガラス同化が終わるのに20年はかかるといいます。釣400立方メートルを630本のガラス固化体にします。これまでに製造された247本と合わせて計880本の貯裁番所が足らなくなるため、未利用施設の活用を検討しているようです。(東京・毎日新開1月13日)

 MOX燃料の製造を行う「プルトニサム燃料第3開発室」は製造が止まっていましたが、こちらもプルトニウ溶鰊約3.5立方メートルを処理するために14年4月に運転を再開しています。

 アスファルト固化処理施設の火災・爆発事故後、東海再処理施設は止まり、軽水炉燃料処理施設としては既に廃止が決定されています。正式には20柑年度以降に施設廃止計画を申請する予定とのこと。しかし高速増束炉計画が進むと、そのブランケット燃料が問題になります。これをここで再処理することが計画されています。高速炉燃料再処理をRETFで行い、その手含も高レベル放射性廃棄物処理は東海再処地殻のガラス固化処理施設で行うとされています。計画自体が実現可能なのか極めて不透明ですが、見かけ上計画されている姿勢を維持するために将来再処理工場の部分運転再開が目論まれているという可能性があります。なお、廃止になる主な理由は、新規制基準に基づく耐煮補強工事に巨額の費用が掛かることとされています。

■核燃料製造工場など

「原子燃料工業j(BWR燃料製造)

 「原子燃料工業j(BWR燃料製造)、そして舛年の岳界事故を起こしたrJCO」、及び「三菱原子燃料」(PWR燃料製造)などの核燃料製造所から、全国の原発サイトへ向けて、核燃料が陸送されています。その籍入原料ウラン(六フツ化ウランや酸化ウラン)が東京方面から東海村へ、東海再処理施設で分#された回収ウラン(低浪舘照射済ウラン)が岡山県人形時の施設まで頼送され、製品となって再び東海材へ、低レベル放射性廃棄物は青森県六か所村へ搬出され、全国の原発サイトからは使用済燃料積送船(清栄丸など)で使用済み燃料が東海村へ搬入されています。つまり、放射性物質が東海村から全国へ、また全国から東海村へと運ばれ移動しているのです。その数は茨城県を貫く常磐自動車道を3日に1度の頻度でおこなわれています。

■ひたちなか市

 ここには日立製作所の関連の工場があり、放射線の研究や原発関連の事業をおこなっています。また『放射線医学総合研究所(放医研)・那珂湊支所』があります。

■那珂町・原子力機構・那珂核融合研究所

スクリーンショット(2016-01-24 18.16.55) スクリーンショット(2016-01-24 18.17.30)

 東海村の西隣りのこの町には、那珂研究所があり、『熱核融合炉・汀-60』の他、『国際熱核融合炉実験炉・ITER』の研究がおこなわれています。ITERそのものは2005年にフランスのカダラッシュに建設が決まりますが、ITERの前進のJT60はそのまま日本にあります。これを改修して核融合研究を継続しています。200丑年に超伝導設備が改修に入り、13年に完了しサテライトトカマクJTJOSAとして再起動を計画していますbImは、アメリカ、ロシア、日本、EU(フランス)が出資をして共同研究をすることになっていますが、ほとんどの国が経済的理由で手を引いてしまっています。さらに東日本太平洋沖地震の彼杵、核融合開発と銘打ちながらr核融合分野に止まらないJとして震災からの復興を開発の理由付けにくっつけています。まさに利権が絡むと何でもありです。

■大洗町・鉾田市・原子力機構・大洗研究所

ordc_header

 『材料試験炉・JMTR」で、各種の材料に放射線を当てた研究を、また、『高温ガス研究炉・HTTR』で原子炉からの高温ガスを利用する研究をおこなうています。

■原子力機構(旧動燃)・大洗工学センター

20040423a02_02

 160万平方メートルと大洗町と鉾田市まで敷地が続く研究所で、『高速増殖炉・F8R・原型炉・常陽』があり、プルトニウム利用の技術の軍用化の研究をおこなっています。これらの関連施設もあり、事故も起きています。JCOの臨界事故は、常陽」用の核燃料加工作業で起きました。そのオーダーをしたのが旧動燃です。もともと軽水炉用の燃料取扱を前掛こ作られたJCOの設備に1名.名%もの高濃鯨ウラン235を持ち込むこと自体、製造委託をした偶の責任です。 高速炉・プルトニウム政策が破綻したいまJこの常陽は直ちに廃炉にすべきです。

■日本核燃料開発株式会社

 東芝と日立製作所との共同出資により,両社の核燃料研究開発部門を統合し,ウラン燃料や原子炉の材料を研究し,新しい技術をつくっています。

■常陸大宮市

 ここは直接原発や再処理施設とは関係がありませんが、農林水産省『放射線育種場・ガンマーフィールド』があり、放射線(コバルト60)を放射し、植物の変異などを研究しています。

■まとめ

 茨城県内の原子力施設は、核燃料サイクル施設が並び、原発と再処理施設、とりわけ、プルトニウム問題が同時進行していることが分かります。この一つ一つの施設が放射能汚染源となり符、普段の運転から帝境に何らかの形で吐き出されているのです。

 これらの原子力施設の危険性は福島原発兼災を経て、ことさら多言を要しなくても容易に理解できると思います。しかし、これまでは何が起きようとも「軽微な事故」「希な事故」「人為ミス」などと雇みられることがなく、けっきょくはトカゲのしっぼ切りのごとく親株をいじったり、一部の企業や労働者に責任を負わせてきました。最近も「もんじゆ」の不祥事に関連し、欠陥でありリスクしか生み出さない高速炉計画を断念するのでは無く、新たな組糠を作り上げ、それが継兢するように持っていく誘導を、原子力規制委員会が行いました。誰が引き継ごうと、もはや修復不能な欠陥設計炉を維持し掛ナるだけで美大な国費の浪費になっているだけですが、この浪費構造こそが原子力産業の捷になっているため容易に廃止できない、恐るべき構造ができあがっているのです。

 東海村の原子力施設の多くは、すでに30〜40年も経っているということが大きな問題点です。老朽化が進み、建設当初よりも施設の破壊の可能性は高まっているうえ、茨城県はその沖合を含めて、いつでもマグニチュード8を超える地震が起きても不思議ではないという「お墨付き」を、気象庁や地兼学者が異口同音に曹告しているのです。

 もはやだれも、今さら r巨大地景が起きるかどうか分からない」などとは言いません。「巨大地煮が何時起きるか分からない」と言っているのです。いま何が起こっても不思議ではない状態であるということです。

 ※以上は「反原子力茨城共同行動」の文章などを参考にし、筆者が、その後の状況を踏まえて加筆訂正しました。

■原子力防災と東海村

 原子力防災では、集中立地は危険性を高めるだけの愚かなことだけれども、原子力事業者は、これまで過酷事故や原子力災害が起きることなど考えもしないし、国や自治体も事故や災害はあり得ないと思い込んでいたので、今になって始末に負えない事態を招いてしまいました。

 福島第一原発兼災の教訓は、集中立地している原発が一つ過酷事故を起こすと、他の原子炉への対策も極めて困集になり、複数号磯が共倒れになっていくリスクがあることです。複数号機の同時炉心崩壊は、今も十分に憩定した対策はありません。

 また、原発に大量に貯裁されている使用済燃料が冷却不能になることも、全く想定外でした。福島第一原発の場合は、1号機の使用済燃料プールに392体、2号機に‘15体、3号機に5‘古対、4号様に1535体、5号機に舛4体、‘号機に如0体が貯載されていましたが、このほか、欺地内の共用プールには‘373体ありました。原発のコントロールが出来なくなり、大規模な放射性物質の拡散が掛ナぱ、電力社員も作業具も邁げ出さざるを得なくなります。燃料プールが崩壊していたら、本当にそうなっていた可能性が高く、また免震重要棟が2010年‘月、わずか寮災の7ケ月前に出来ていなければ、やはり地煮で被災し全く使えなくなっていた事務棟では作業の継鰍ま出来ず早期に全員撤退せざるを得ない事態になっていたと考えられます。

 現在ヰ号機からは鯨料が移送されていますが、1〜3号機はまだ残ったままです。これを取り出してようやく、少し危険性を低減できる見通しですが、時期はまだ未定です。 使用済燃料は今後順次乾式貯発破設に移される計画ですが、その日軽や進捗も決まっていません。これが全て乾式貯鼓されるまでは、冷却水を失うと燃料が熔けるリスクが残ったままであることは、大きな問題です。

007乾式貯蔵施設

 東海第二原発は、現在使用済燃料を使用済燃料プールと乾式貯蔵施設で保管しています。そのうち燃料プールは1250体の使用済燃料と炉心に入っていた7糾体の燃料、そして取替用の新燃料川島体合わせて訟02体と、福島第一4号機よりも大王の燃料が入っています。さらに乾式貯我意設には卯5体が入っています。今後乾式貯裁に移す燃料体を増やすというのですが、施設内のキャスク貯裁容丑を大きく増加させることは困難で、今後7基軽度のキャスクを増やす軽度です。他に貯蔵設備を建設する必要があります。

■福島第一のシナリオ

 福島原発東災の直後に政府は原子力委負会の近藤駿介委員長に対し、今回の事故で最も大きな災害に発展した場合の想定を試算させました。その文書は3月25日に内閣に提出されましたが、マスコミにも一切公表されませんでした。そのため翌年1月に情報公開請求により公開されるまで明るみになることはありませんでした。その文章は「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」(以下「不測事態シナリオ」という)という題名です。

 その中で最も衝撃的だったのが、4号機使用済燃料プールの冷却失敗により起こりえる大量の放射能放出でした。事故発生占日日から放射能放出が始まり、14日目にピークになり柑日日まで続くと見られていました。寮災当日の11日から数えて25日から29日頃っまり3月末に大規模な放出になることを意味しています。この報告を受けていたのが25日ですから、まさしく大規模な放射性物質の放出が起きているかどうか、瀬戸際の判断を強いられていました。3月1‘日、東電城見を乗せた自衛隊のヘリが上空を通過し、4号機のプールの撮影を試みました。水が残っていなければ全員退避せざるを得なくなりの場合東京も含めて避#することになる恐れも出てきますが、水があれば当面その心配はなくなります。翌朝まで解析が続き、水が残っていると判断されました。この原因は原子炉ウエルと呼ばれる、普嘩は水が無い場所に水が張られていたことが理由ですが、これは4号機のシュラウド交換工事が行われていたため、交換で取り出されるシュラウドが放射化されているため、遮蔽の意味で入れてありました。工事は3月7日までに終わり、予定通りだったら震災時にはこの場所に水が無かったのですが、日程が二週間ずれ込んだため、この場所の水が残っていました。偶然のたまものでした。

2013110414_01_14b7b0e0ee9d9f3dbdb157e32a87ec132

008

 米国NRCは規定の量のプール水を元に計算し、既に水は蒸発していて燃料が熔け始めていると判断しました。それが 「80km圏内全員退避」の根拠です。水がなければ日本も同じ判断をする必要がありました。

 「不測事態シナリオ」でも、同様の見解が述べられています。

 さらに、この事故が進展した歩合、強制逓#区域は半径170km任意連発区域は半径250kmに達する可能性が梅林されています。

 これらは、原子力施設が集中立地している歩合のリスクが相乗的に増大することを現しているのです。

■東海村の場合

 核燃料サイクル施設が集中立地していれば、防災など考えなければ当然コストダウンにっながります。新燃料の製造や使用済燃料の再処理など、各種輪送取掛ま短くて済みますし、原子力事業者同士の共同運営も都合が良いと言えます。国にとっては許認可を巡り「説得」すべき住民が−箇所にまとまっていることになるので好都合でもあります。当然、自治体や畿会対策もまとめてできます。一方自治体は、これら施設一つ一つが極めて巨額の資金を投じて行われることから、固定資産税や電源立地交付金などが沢山入ります。

 これら核燃料サイクル施設に働く人々も近くに住むケースが多いでしょうから、住民税なども入ります。廣ったり叶ったりというわけです。

 ただし、いずれもこれら核燃料サイクル施設の防災対策を考えなければ、です。JCO事故対策行動表 JCO配置図

 茨城県東梅村に最初の原子力施設が立地したのは1955年当時、原子力研究所が日本最初の動力炉「JRR-1」を作ります。1957年に臨界。そ甲後、日本発の商業原発「東海発電所」日本発の再処理工場「東海再処理工軌少し群れた大洗町には日本最初の高速増殖実鼓炉「常陸」と、核燃料サイクル施設が次々に建設され、東海原発の併には東海第二原発、核燃料加工施設も三菱原子燃料や日本核燃料コン′く−ジョン(後のJCO)などが建てられていきます。

 1999年9月30日に、ついに日本で「初めてjの原子力災害、疋0臨界被曝事故が発生します。この「初めて」の意味は二つあります。†つは2名の従業員が高線量放射線被曝のために死亡し、放射線被曝が原因で直接死亡した最初となったこと、もう ̄つは少なくても666名の作業員と周辺住民が、JCOから拡散した中性子線と放射性物質(主に希ガスとヨウ素)で被曝をしたことを国が承めた最初のケースであることです。

 大勢の住民被書と従業員の死亡、いずれも日本ではrあり得ない」とされてきた事故であり、また核施設が立地している自治体にとっても重大な間度です。

■東日本太平洋沖地震と東海第二原発

 福島第一原発が地震と津波で大惨事を引き起こしているとき、東海第二でも危機一髪の状況にありました。

 地震により外部電源を全部喪失したのは、福島と同じ。そのうえ津波により非常用ディーゼル発電機が止まります。しかし3基あるディーゼルの内2基は持ちこたえました。止まったのが1基だったので、通常よりも長い時間が掛かったものの、冷温停止に持って行くことができました。

 もし全部の非常用ディーゼル発電携が止まっていれば、原子力災専対策基本法第15条の状況、r全冷却装置停止」になり、早期復旧できなければ福島第一の後を追ったことになります。

 そうなると、10キロ県内で31万人、20キロ圏内で75万人、30キロ圏内で100万人以上が避難対象となります。1999年のJCO臨界被唖事故では、10キロ牌内31万人が屋内退避を指示され、常磐線や常磐自動車道も閉鎖されました。現場周辺350メートルが避難指示、また那珂町は独自に東海村に隣接する本米崎地区に避難指示を出しています。63

東海第二地震・津波

 もし、東海第二原発や東海再処理工場で大量の放射能放出が起きたらどうなるか、その恐怖を2011年3月11日に多くの人々が味わうのですが、おそらく最も強くそれを感じた一人が村上達也東海村村長だったでしょう。 東海第二原発の状況は、原毛からファックスなどで通知されていたものの、その実態は23日になってはじめて知ったというのです。

 ポイントは「非常用ディーゼル発電機の冷却用海水取水ポンプが水没寸前でかろうじて回避していた」ことです。村上村長は日経新開インタビューで次のように語っています。r原電はよくぞ持ちこたえてくれたと評価したい反面、破滅と紙一重だったのも事実だ。防潮壁は茨城県のハザードマップ見直しを受けて高くし、2日前に壁の穴を塞いだぼかり。十分に備えがあったから大丈夫だったのだとはとても言えない。原電が安全最康先でやってきたとも患えない」「日本には技術は世界一だという過信がある。日本人が科学技術で世界に秀でているとは思えないのに、米国で事故が起きたが日本では起きないとか、旧ソ連は労働者のレベルが低いとか、そんな篇胡が強かったことに以前から危惧していた」脱原発を目指す首長会議にも参加し、東海第二原発の廃炉を強く要求している村上村長には、未来の姿が見えているように思います。

■東海村を襲った地震と津波

 重大事故の一歩手前までいった東海第二原発、襲った津波と地景の揺れは、想定された範囲でした。

11津波の高さ

 図は津波の波高を示すもので、東海夢二原発で記録された津波の高さは5・1メートルでした。

 ただし引き波もかなりあったこともこれで分かります。実は原発を冷却するポンプは、津波をかぶることも危険ですがが、引き波で水面が下がる場合も同額を起こします。東電の吉田所長は、寄せ波よりも引き渡が心配だったという趣旨の証書をしています。

 ポンプは水がなくなると空回りします。水が引いたり寄せたりすれば回転が不安定になり、破損する可能性もあるため、引き波の時ほポンプを停止します。それが長ければ冷却l.水がなくなる。つまり最終ヒートシンクを失うことになるのです。

 東海第二原発は寄せ波に対するポンプ防護の壁を増築していますが、引き渡に対するポンプ駆動停止の対策は何もありません。数十分水が入らなくなることは巨大地煮の場合あり得ます。その対策がなければ冷却不能になり炉心損傷を引き起こすのです。

【原子炉妊農の最大加速度】単位 ガル

■再処理工場の運転履歴と核のゴミ

12東海再処理施設の処理実績(2012年12月31日現在)

13

■原子力防災の何が変わったのか

 原子力防災については、その構造も法的基準も基本的には震災前と何も変わっていません。最も大きな問題は、大規模放射能災害により大量の住民避難が想定されるようなケースにおいて、避#そのものが困難か不可能な場合、原子力施設の運転を諌めて良いかどうかを判断する権限が無いことです。

避難計画の無責任体制スクリーンショット(2016-01-25 16.43.10)

 この権限を自治体が持たないと、結果として住民の命を守る使命が全うできないのです。

 災害対策基本法は第一条として住民の命を守る責務は国と地方自治体にあると規定しています。様々な手段を尽くしてもなお、市民の命を守ることが出来る防災計画が策定不可能ならば、原因を除去する他に市民を守る方法はありません。

 この点が3.11原発震災後に変わらなければ、まず本質的に意味を持たないと考えます。しかし残念ながら、従来どおり原発立地自治体(川内原発ならば鹿児島県と薩摩川内市の議会と首長)以外は原子力施設の稼嶺の有無について意見を表明することさえ認めようとしません。さらに立地自治体がノーといっても、法的には原発の運転停止命令を出せるのは経産大臣であり、自治体の首長ではないという問題も以前のままになっています。

■30キロ圏内自治体に権限を

 運転停止命令を地元自治体のみならず少なくても30キロ筒内の自治体が発することが出来ること、福島第一原発煮災の教訓を生かすにはこのことを確立する必要があります。

 防災指針の問題点は、まず複合災害発生を想定していないことです。それぞれの原子力防災計画は、どういう原因で原発事故が発生したという想定はありません。ほとんどは単純な事故で一定規模の放射能放出を想定している軽度です。大地景と津波が複合している場面に大雪が降っている(日本海側の原発ならば当然の想定)ことさえ想定されません。雪が降れば道路は通れないし放射能は雪と共に近いところに集中的に降り注ぐ恐れがあります。また、強風が吹き荒れる気象では、船で逃げることも不可能です。伊方原発の防災訓練では漁船が動員されましたが、年に何パーセントほど使えるのかさえ、計算されていません。もともと考える気もないのです。

 また、事故の想定が極端に甘く、事故が急速かつ大泉掛こ進展すると対応不能に陥ります。驚くほど詳細,立派な職員の動旦シナリオが作られていたり、ヘリを動員して必要な人見を必要なところに送り込むといったシナリオが書かれていますが,現実群れしていることを、関係者は書とも疑っていません。

 また、防護対象であるr緊急防護準備区域(UPZ)」が30キロ圏というのも狭すぎます。福島の経験からも、50キロから抑キロ軽度は設定が必要です。飯館村で年間20ミリシーベルトを超える区域は、40から50キロにまで及んでいます。‘0キロ群れている福島市でも年間20ミリシーベルトを超える恐れがある地域があり、避難を余儀なくされている人たちが大勢いるのです。

■原子力防災批判の論点

 まず、事故の想定をどうするのかをはっきりさせる必要があります。今各自治体で作られている計画が、本気で大規模複合原子力災害に備えられる計画になっていると信じているのかが問題です。もし、そうでないとしたら最初の定義に戻ります。「命を守れない計画しか立たないなら本質的に原子力施設を稼為させてはならない」ということです。自治体はそのことを表明しなければなりません。つまり r原発事故から市民を守れないので運転してはならない」と言うべき義務があるのです。

 これと全く逆のことを言ったのが、鹿児島県知事です。伊藤祐一郎知事は要援護者の避難区域について、本来30キロ圏内で策定すべき計画を10キロ寓までで止めてしまいました。これで十分だというのです。それ以上に広げることは、考えれば極めて困難であることがわかり.ますから、策定不能と言うべきです。策定不能ならば川内原発の再稼動についても同意できないと表明するしかありません。

 鹿児島県は、出来もしない計画を作りつつ、要援護者の避難計画を放棄し、さらに原発の再稼動を諌めるという、三重の誤りを犯しているのです。 原子力防災計画が改正されたとしても,建前は立派だが実質が伴っていないということが十分ありえます。本当にその計画は実行可能なのか、訓練を通じても可能であるとちやんと証明されているのか。短時間に5万人を動かすには50人乗りの大型バスを千台動具しなければならないが、いついかなる時でも可能だと、どうして保障できるのかが問われるわけです。

 特に市町村は、県の計画をそのまま引き写してくることが考えられます。そういう場含も、美東的に対応可能な計画なのかをチェックする体制が必要になります。本来は集会ですが、議員ではそんな知熟も経験もないので、原子力防災を検証できる人材を育てる必要があります。

 そして、原子力規制香魚会に責任を持たせる必要があります。原子力規制委員会が新規制基準の適合性を事査し、それに合致しているとして合格させているのですから、防災計画に実効性があり、住民の命を守れる計画になっていることを兼任を持って検証する義務があるはずです。

 この国では無責任体制の連軌こより、原子力規制委員会が、防災計軌こ責任を持たない体制になっています。これは何の為に規制しているのか。事故を未然に防ぎ原子力災害を引き起こさない為の責任を果たせない筈ですから、規制委員会の責任も追及しなければなりません。「原子力規制委員会設置法」の第一条にちゃんときていされているのですから。防災避難基準原子力防災指針 111

■茨城県の首長会議等内訳

■東海第二発電所安全対策首長会議(15市町村)発足:2014年12月3日

 水戸市(座長)  日立市  常陸太田市  高萩市  笠間市  ひたちなか市  常陸大宮市 那珂市  鉾田市  小美玉市  茨城町  大洗町一 城里町  大子町 東海村 ①2014年(平成26年)12月25日、日本原電に対し「日本原子力発電㈱東海第二発電所 周辺地域の安全確保に関する申入れ」、2015年1月30日に回答。

■原子力所在地域首長懇教会(6市村)

 東海村(座長)日立市 ひたちなか市 那珂市 常陸太田市 水戸市

■県央地域首長懇話会(9市町村) 

 水戸市(座長)  笠間市  ひたちなか市  部珂市  小美玉市  茨城町 大洗町 城里町 東海村

 ① 2014年(平成26年)4月22日付け,原子力所在地域首長聴教会及び県央地域首長懇話会からの「東海第二発電所の設置変更許可申請(安全審査申請)に係る申し入れ」について,5月12日(月),原子力所在地域首長懇萩会座長(山田 修 東海村長)及び県央地域首長 轟音会座長(高橋 清 水戸市長)へ日本原子力発電株式会社 常務取締役 茨城絶合事務所長 山本直人氏より回答文書が手渡されました。

 併せて,4月17日付,4月30日付の原子力所在地域首長懇教会及び県央地域首長懇話会か  らの質問に対しても日本原子力発電株式会社側より,回答が行われました。

■稲敷地区6市町村放射能対策協叢会

 稲敷市 牛久市(会長) 龍ヶ崎市 阿見町 利根町 美浦村

2015、12.22作成