海進と海退の歴史

■関東平野における海進と海退の歴史

中島 礼(産業技術総合研究所)

 研究活動は、1)地質図の作成、2)化石・古生物の研究、3)教育普及活動の3つに分けられます。地質図と古生物は純粋に研究ですが、これらの研究内容や成果を一般の人たちや社会へ向けた普及を行っています。

▶︎本日の講演

○関東平野における陸と海の歴史

○関東平野を流れる河川の歴史

○海進、海退とは?

おまけの話

 

■配布資料より

 約260万年前以降、現在までの時代である第四紀は、氷河性の海水面の変動
により約120m以上の海水面の昇降が繰り返されている時代です。

 

 海水面が昇降し、陸域から海域にかけての侵食・堆積作用により、様々な地形がつくられるとともに海岸線の位置が変化することがあります。

 

 一方、海水面の変化がなくても沿岸部の隆起や沈降が起こることでも海岸線の位置が変化します。海岸線が陸側に移動することを“海進’’、海側に移動することを“海退”と一般にいいます。

■①録音23分

 

 複数の要因が重なることにより海進と海退が起こるのですが、変動の規模をみると、日本周辺では海水面の昇降の規模が大きいため、海水面の変動が海進と海退の最も大きな要因といえます。

 第四紀こおける関東平野域は、この海進と海退が繰り返すことによって現在の平野が形成されました。

■②録音10分

 約40万〜10万年前までは、関東平野の現在の埼玉県から茨城県南部までが約10万年周期で「古東京湾」と呼ばれる海域と陸域の繰り返しでした。この時代の地層は下総層群と呼ばれ、貝化石が大量に含まれる内湾性の海成層から主になります。一方、陸域の地層も海成層に挟まれるように存在しますが、陸成層は常に風化浸食の場にあるため、地層として保存されることが稀です。

  

 そのため、下総層群堆積期間における陸域の地形や河川などの情報はほとんど残っていません。約10万年前以降になると、平野全体が陸化していき、現在も広範囲でこの時期の地層がそのまま段丘堆積物(台地)として残っています。

■③録音14分

■④録音1分

 その後、海面は下がっていき陸域の表面はいくつもの河川が谷を削り、約2万年前の最終氷期極相期になると、現在の海水面から約60mもの深い谷ができました。今度は温暖化とともに海水面が上昇して谷部がおぼれ谷の内湾となりました。しかし、「古東京湾」のような広い内湾ではなく、最終氷期に形成された谷だけに広がった狭い内湾でした。その内湾も主に河川が運んできた土砂によって埋め立てられ、陸化することで現在の低地になりました。

 海水面は数10万年間も同じ規模で変動していますが、海域と陸域の繰り返し
はずっと同じではなく、少しずつその範囲が変わっています。この理由は、ハイ
ドロアイソスタシーという大陸氷河の形成と融解による地殻の隆起・沈降、関東
周辺地下におけるプレートの沈み込みや衝突などによる地殻の隆起・沈降など
と言われていますが、まだ明確な答えは出ていません。遠い将来の関東平野はど
うなっているのか考えてみましょう。


 地質図とは、私たちが生活する地盤を構成する岩石や地層の分布を色付きの情報で表した地図のことです。私が所属する産業技術総合研究所はかつては地質調査所と呼ばれる研究所で、19世紀後半から日本国内の地質図を作成してきました。現在は、日本全国を5万分の1の区画の“図幅”に区切り、区画毎に地質図を作成しています。この区画毎の地質図を『地質図幅』と呼びます。地質図は、地下資源探査やダムやトンネルなどのインフラ整備、最近では地震などの地質災害を軽減する目的で使われています。私は現在、東海地域で地質調査を実施し、この地域の地質図を作成しています。

■⑤録音23分

■プレゼンの画像