荒川沖稲荷神社

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■お稲荷さんとは 一稲荷信仰の広がリー 

 稲荷を祀る稲荷社は全国に3万社以上ともいわれる。街角の社や、ビルの屋上、料理屋や家々の屋敷神として祀られた同を加えれば総数100万ともいわれる。企業や工場にも祀られ、日本企業の海外進出で、海外でも稲荷社をみられるという。

■農耕神としての稲荷 

 稲荷組はもともと農耕神として信仰された。稲荷(いなり、稲成り)の神は、元来農業の神で、古代において稲は「倉稲魂神(うがのみたまのかみ)」と人称化されて、その霊を神と信じ、食物の神でもあるので、「保食神(うけもちのかみ)」とも信じられた。そして食物は御餞(みけ、みけつ)ともいわれた。このミケツの神のミケツ→ケツ→キツネと音が転じて稲荷は狐、または稲荷神の眷属(けんぞく)(お使い)だと思われるようになる。稲荷の神を田の神としてお祀りするといった形態は、農村社会に於いて、伝統的にみられるもので、岡も田んぼの中にあった。また、それを屋敷にもってきた。「苦からあったので、どこの稲荷社から勧請(かんじょう)(お迎え)したか分からない」といった稲荷が、土浦市内の調査統計では一番多い、屋敷神、氏神としての稲荷である。こうした屋敷神も稲荷神社の影響が濃く、二月初午(旧初午等も)祭日とし、赤い職旗を立て、赤飯、油揚げ等を供えてお祀りする。初午とは関係なく9月や、11月、3月や4月を祭日とする所もあり、これも「田の神」に対する祭りであろう。春は農事始め、秋は収穫祭である。

■神道系の稲荷

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 京都の伏見稲荷神社は、稲荷の総本宮である。和銅4年(711年)初午の日、稲荷神が稲荷山三ヶ峰に降臨し、あとに稲が生じたという。この稲荷大明神は、稲を担ぎ、両側に狐を伴う翁としての姿が知られる。

 この頃古代王権を支えたのは、秦(はた)氏の前にこの地を治めた荷田(かだ)氏、そして秦氏の二大勢力である。

 伏見稲荷は秦氏の氏神として祀られた。秦氏の祖先は朝鮮半島からの渡来人で、 半島から持ってきた技術は、養蚕や機織りばかりでなく、治水工事や古墳の築造に も技術を提供し、大いに力を奮い裕福であった。また、稲荷大明神への信仰が篤かった。

 近世においては、除災招福の神として、江戸の武家屋敷神、町屋商人にも広がり、稲荷を勧請するものが多くなり、各町内にも稲荷が祀られ笠森(瘡守・かさもり)稲荷や、出世稲荷、太郎稲荷など、ご利益や、由緒、地名などをつけた稲荷があらわれ、一代の流行神となった。こうした稲荷はいちように「正一位稲荷大明神」を名のり、その織を掲げたのである。

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 ■「正一位稲荷大明神」とは

 お稲荷さんに「正一位稲荷大明神」という赤い職旗が立っている。正一位という のは飛鳥時代に定められた位階の最高位で、従一位、正二位と続さ、これは人間に 授けられた位階だが、天武天皇のころから神社にも授けられるようになった。

 天長四年(827年)正月、淳名天皇が体調を崩したため卜(うらない)をすると、稲荷神社の木を伐ったためであるという卦(け)が出た。この木は、先朝、桓武天皇の御願寺であった東寺に五重の塔を建てるため、弘法大師の奏上により伐採されたものであった。天皇は早速稲荷大神に「従五位下」を授けた。以来年と共に神階が上がり、天慶五年(942年)ついに正一位に昇りつめた。こうして「正一位稲荷大明神」と書かれた赤い幟旗(のぼりばた)が全国に広まった。お稲荷さんは最もご利益のある神ということで、正一位と通称されるようになったと考えられている。

■仏教系の稲荷

 仏教系の稲荷としては、愛知県の豊川稲荷や、岡山県の最上稲荷などがよく知ら れている。豊川稲荷は、豊川閣妙厳寺という寺で、千手観音を守護するための茶枚尼(だきに)真天が祀られている。茶択尼真天は、インドのヒンズー教でのシヴァ神の女鬼の一人であったが、後に仏陀に帰依することにより善神となった。インド、中国から日本に伝わり、頭に狐の冠を載せた霊狐使いの女神は、稲荷が狐の姿をした神と信じられるようになった。

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 豊川稲荷は、福徳を授け、抜苦与楽の神として人々に信仰され、各地に分社が奉 る。幟旗(のぼりばた)は白地に赤で「叱枳尼真天」と書かれている。土浦でも、豊川稲荷を勧請しているお稲荷さんが多い。 注・豊川稲荷では「茶枚尼」を「叱択尼」と書いている。

■農業神から商工業神まで

 秦氏一族は古代工業の織物業で、民衆の機織りより進み、高級布の生産に技術が高度化された。これに商業が加わり、ここに稲荷の神の新しい働きが求められ、信仰魔の拡大にも伴った。各地に大さな稲荷社が創建され、豊作、招福、病気平癒、除艶工業、商業、芸能、交通安全の神として信仰されている。したがってお稲荷さんは、氏神と同様に広く親しまれている。

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