翠巌山向上庵

向上庵のシダレザクラ(こうじょうあんのシダレザクラ)は、茨城県土浦市(以前の茨城県新治郡新治村)小野地区の向上庵境内に生育していたシダレザクラ巨木である。樹齢は約300年とされ、1970年に茨城県の天然記念物に指定された[1]。2011年9月の台風15号による強風被害を受けて根元から折れたために伐採されたが、2012年4月10日付の毎日新聞茨城県版が「見ごろを迎えた」との虚偽記事を掲載していたことが判明した[2][3][4][5]。この事態を受けて、毎日新聞は同年4月12日付の茨城県版紙面にお詫びの記事を掲載した

由来

 向上庵は正式な名を翠巌山向上庵(すいがんさんこうじょうあん)といい、暦応年間(1338年 – 1342年)に、小田氏の第8代当主である小田治久が創建したと伝えられる[1]。創建当初は臨済宗中峯派に属していたが、その後臨済宗建長寺派の寺院となった[6]。向上庵は、天正年間(1573年 – 1592年)の戦火によって堂宇を失っている[6]

 向上庵のある小野地区は筑波山麓に位置し、平安時代の名高い歌人でその美貌でも知られる小野小町ゆかりの地といわれる。からみちのくへの旅路で病を得た小町はこの地で力尽き、村長の家で手厚く介抱されたが、元慶7年(883年)7月7日、69歳で亡くなったと伝えられ、小野地区には彼女の墓標とされる五輪塔が残されている[7][6]

 向上庵への参道は細い石段が続き、その石段脇、本堂のすぐ前にこのシダレザクラの巨木がそびえていた[6]。 樹齢は約300年、樹高はおよそ10メートル、幹回りは3メートル、四方に広がる枝張りは約15メートルに達していた[6][8]。地上から約3メートルのところで幹が二股に分かれ、満開の時分には大きな花傘のような美しい花姿を見せ、樹勢は旺盛であった[6][8]。このシダレザクラは、1970年5月25日に茨城県の天然記念物の指定を受けた[6][8]

虚偽記事騒動

2012年4月10日、毎日新聞の紙面に、このシダレザクラの満開を伝える記事が掲載された。茨城県版紙面の「天然記念物を訪ねて」というコラムで、見ごろを迎えたシダレザクラと花見客でにぎわう向上庵境内の様子を紹介し、満開のシダレザクラの写真も掲載されていた[2][4]。しかし、このシダレザクラは2011年9月21日、台風15号の影響による強風で根元から折れてしまっていた[4]。シダレザクラはやむなく伐採され、茨城県教育委員会が2012年度中の茨城県天然記念物指定解除を検討していた矢先に、この虚偽記事が掲載されていたのだった[2][4]

向上庵は「事前の取材はなかった」と困惑し、同年4月11日に土浦市はこの記事の訂正を毎日新聞社に求めた[4]。この記事を執筆したのは毎日新聞社外部の有識者で、紙面に掲載された満開のシダレザクラの写真もこの有識者が前年中に撮影したものだった[2][3]。締切日の関係で、シダレザクラの現況を確認せずに記事を執筆したとのことで、「迷惑をかけた」と話していたという[2][3]。この事態を受けて毎日新聞は、4月12日付の茨城県版紙面にお詫びの記事を掲載している[2][3][4]

11/29(金)晴天のもと訪問し、住職と会話する。内容は、寺の歴史、臨済宗について、三春町の福聚寺住職・玄侑宗久について 雪村庵についてなど

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小野小町伝説

小野小町終焉の地と言われる。といっても日本中に小野小町の墓は多数あるみたいですが・・・・そのうちの一つの近くにあるのが今日の話の小さいお寺向上庵。

そこの庭園は室町時代に造られたそうです。そこの庭の大掃除をするべく、日本庭園協会の協会常務理事の廣瀬氏を招いて、日本庭園協会茨城県支部の会員と技能士会の会員が集まりました

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駐車場に着いてこの景色です。何があるか 妙にワクワク・・・・

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その庭園は、裏庭と言うのか? 本堂の脇にあります。管理はもちろんされていますが、実生の椿やモミジ、五月やつつじ シダや苔に覆われています。池は泥が20~30cm溜まってます。池の泥をさらい、石組みに溜まった土を掻き出しますそれが夕方には

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ここまで片付き石組みが姿を現します。石組みと言うのも変な話で、自然の岩盤がくっきりと現れました。素晴らしいです。明日はもっと岩肌を出します

庵と成っている訳は、庵てなんとなくわかるけど住職の話だと小さいお寺を庵と呼ぶそうです。建物が何戸かないとお寺とは名乗れないみたいです。お寺につきものの門もないです・・・ 別に必要もないと思いますがつきものみたいです

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お墓も点々といくつもありません。でもお茶会・座禅会や飲み会等色々な催し物もあるようです。とっても素敵なお寺です。住職も鎌倉の建長寺で修行して、鎌倉のあるお寺を任されるのが決まっていたのに、急にここの山里の庵に行けと言われたそうです。その時はなんでこんな所にと思ったそうですが・・・・

そうそうメインの池ですが、池の岸の土を取ると、上からの岩盤とが繋がって、なんともダイナミックな見事な池に変身しました。

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池の水を貯めだしたのですが、いかんせん山からの絞れ水が頼りです。もう一度見に行くしか無いかな・・・・お茶会にでも行こうかな 話を聞く限り本来のお茶会おのような気がする 会話は無し

合掌のみ お軸がどうの 茶器がどうのなんて 話はないんでしょうね

PS

 ここのすぐそばに小野小町のお墓があります 少し早く終わったので見てこようと思ったのですが 民家の中にあるみたいで 見学はお断りします・・・ だそうですマナーの悪い人がいるんでしょうね

小野小町の墓

茨城県新治郡新治村小野
フルーツライン左手側の山裾に美人で有名な小野小町の墓がある。
彼女が往途、此の地で病に罹り病死したと伝えられる。
墓は彼女の看病をしてくれた庄屋の屋敷内に祀られていいた。
今は垣根で屋敷で仕切られている。

言い伝えによると、小野小町は京都から奥州への旅の途中、
新治村にある清滝寺(清滝観音)に詣でた際に体調を崩し、
村長の小野源兵衛宅で手厚い介抱を受けましたが
元慶(ガンギョウ)7年7月7日69歳で亡くなった、ということです。
清滝寺は「小町ふれあい広場」から東へ600mほど、
山を少し登った所にあります。

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10年ほど前は、個人の屋敷に入る様な感じだったが、
今は町で旧跡として整備されて、綺麗になった。

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石段の上に五輪塔が祀られている。

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傍らの大杉には、注連縄が掛けられ、
由緒書きの看板が設置されている。

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