龍ケ崎市の土地の成り立ちと自然災害

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地形や地盤条件など地域の土地環境は、そこで起こるおそれのある災害の種類と危険の程度をほぼ決めています.沖積層のような軟弱な地盤では、地震波がいわば詰め込まれるような状態になるので、揺れが増幅されて震度が大きくなります.地表近くにある砂層が地下水で満たされていると、地震により液状化が生じて地盤が変形し破壊されます.水は低きにつくという言葉どおりに、洪水は地形に支配されて流れ低いところに氾濫します.土砂の崩壊を発生させる基本要因は地表の傾斜です.地域の土地環境を知ることは防災対策の基礎であり、それに基づいて住居の構造や強度、住み方などを決め、避難などの災害時対応を準備しておく必要があります.

 この地域は、広い常陸台地の最も南部にあたる稲敷台地と利根川・小貝川が流れる低地(龍ケ崎南部低地)とからなります(図1).台地を構成するのはかなり締まった砂質層で、表面にロームを載せています.低地は鬼怒川などが運んできた軟弱な沖積層からなり、台地を削り込んでつくった谷地形を埋めています.このような地形と表層の地層の形成は十数万年前以降のことです

十数万年前の地球は温暖で海面は現在よりも高かったので低地には海が侵入し、関東平野は東に向け開く湾となっていました.この浅い内湾を周辺山地からの土砂が埋め立てた堆積面(浅海底およびデルタ)が台地の原形で、形成当初はほぼ東南に緩く傾く平坦な地形でした.温暖のピークは12.5万年前にあり、その後気候は寒冷化に向かい、大陸氷河の成長による海水量の減少によって、次第に海面は低下しました.最も気温が低くなったのは1.8万年前で、このときの海面は現在よりも130mほど低い位置にありました.

この海面低下により海抜高を増したデルタ面上を流れる河川は、侵食力を増してデルタ面を削り込みました.流量の大きい鬼怒川は60?70mほど削り込み、また流路を大きく蛇行させて台地側面を侵食し谷幅を広げました.この侵食が及ばなかった範囲が現在の台地面です.なお、関東平野中央部の沈降により利根川はある時期から南に向かって流れるようになったので、平野東半部を流れる最大の川は鬼怒川となりました.流量の小さい小河川(小野川など台地内の川)は幅狭く浅い谷をつくっただけでした.

寒冷化初期の8?9万年前ごろに鬼怒川などが運搬した砂礫が、関東平野の南東部に最大5m程度の厚さで堆積しました.これは龍ケ崎砂礫層と名づけられています.この最上部は火山灰質の常総粘土層です.さらにこの上に2?6万年前に古箱根火山から飛んできた火山灰の風化土層(ローム層)が厚さ2m程度堆積しています.

  1.8万年前以降気候は急速に温暖化して海面は上昇しました.縄文前期にあたる6千年前には海面は現在よりも数m高くなり、氷河期に削り込まれた谷には海水が侵入しました.こうして関東平野には多数の細長い入海が出現し、鬼怒川の谷では下妻の南方まで海でした.龍ケ崎の台地は、ほぼ島状になった下総台地との間に広がる内湾に突き出す岬でした(図2).この入海を埋め立てた地層が沖積層です.したがって沖積層は1.8万年前よりも新しい地層で、まだ全く固まっておらず軟弱です.厚さはその場所での谷の削り込みの深さによって決められています.龍ケ崎の南部低地ではこの厚さは最大30?40m程度です.

河川低地は洪水・土砂の氾濫の繰り返しによってつくられてきたものです.龍ケ崎南部低地の表面には比高1m前後の低い自然堤防が形成されています.自然堤防は河道から溢れ出した洪水が運ぶ土砂が堆積してできた堤防状の高まりで、主として河道沿いに発達します.牛久沼の排水河川であった江川沿いには自然堤防がほぼ連続しており、最近では鬼怒川本流がここを流れていたことを示しています.6千年前における海面上昇時の入海の名残りが牛久沼・手賀沼・印旛沼などであり、鬼怒川などの運搬土砂によって谷の出口が塞がれたところに形成されたものです.低地の標高は3?6mで、台地面との比高は15?20m程度です

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