あいちトリエンナーレ
■あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」
▶︎80年代の作品『遠近を抱えて」の表現問題の経緯
◉天皇の肖像と表現の自由の矛盾(日本国憲法・・・表現の自由の保障の危機)
批判や脅迫で一時は中止に追い込まれた、あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」大浦信行さんの映像作品「遠近を抱えてPart Ⅱ」も、作中で「天皇の肖像を焼いた」と抗議の対象になっている。天皇と表現をめぐり30年以上も格闘してきた大浦さんの目に、この国の”自由“はどう映っているのか。
・・・「表現の不自由展・その後」は中止・再開という異例の展開を見せています。今回、一番驚いたことは何ですか。
「令和と呼ばれる時代になっても日本の人々の中に天皇タブーというものがこんなに根強く残っていたのか、ということです。」
・・・そこでいう天皇タブーとはどのようなものでしょう。
「芸術、表現の中で天皇を扱うこと自体が認められない、そんな風潮です。どのような動機からであれ、どのような形であれです。」
・・・表現の具体的な中身に問題があるから、ではないですか。
「そうとは限りません。昭和天皇が存命だった時期には、劇映画で昭和天皇を正面から演じること自体がほぼ不可能でした。」
「表現する側の自主規制が大きいと思います。表現の中に天皇を入れることは不敬だと実は多くの人が思っているのではないでしょうか。ふだんは意識の底に眠っているその感覚が、僕の映像をきっかけにして噴き出したと見ています。天皇を神聖視する感覚。近代に明治政府が作った『日本は神聖な天皇を頂く国家だ』というイメージに由来するものでしょう」
今回大浦さんの映像は、昭和天皇の肖像写真を焼き、灰を靴で踏みにじったものだといぅ批判を受けていますね。実際、天皇の肖像を焼いたのですか。
「いえ。燃えているのは僕の作品です。80年代の作品『遠近を抱えて」のうちの4枚を燃やしました。天皇が入った版画です」
・・・SNSでは、誰かが映像の一部分を切り出した短い動画がみられます。私も最初にそれを見たときは、「大浦さんが天皇の肖像写真を焼き、その灰を踏みにじった作品であり、天皇批判を表現している」との印象を持ちました。
・・・正直よくわかりません。
「祈りだと言い直せば伝わるでしょうか。燃やすという行為に、神社でみこしを燃やすような宗教的な側面もあるはずです。僕は今回の映像で、30年前から向き合ってきた「内なる天皇」をついに昇華できたと感じました。抹殺とは正反対の行為です。そもそも、もし天皇を批判するために燃やしたのだとしたらそんな作品は幼稚すぎて表現とは呼べません」