いうまでもなくダゲレオタイプは、フランス人ダゲール(Louis Jacques Mande daguerre、1787−1851)の考案した世界初の実用的写真術である。1839(天保10)年にパリで公表された後、政府が特許を買い上げ、技術を公開したので、ダゲレオタイプは実用的な写真として瞬く間に欧米の社会に広がっていくのである。
一方、ダゲールとほぼ同時期にダゲレオタイプとは異なる紙支持体の写真撮影術カロタイプを考案したイギリスのタルボット(willliam Henry Fox Talbot、1800−1877)は写真の正確な再現性だけでなく、表現手段としての可能性も予見していたのではないかと考えられる。タル-ボットが1840年に考案したカロタイプの技術は、その後19世紀から20世紀を通じて写真プロセスの主流となるネガ・ポジ方式の嚆矢(こうし・物事のはじめ)であった。1枚のネガから数に制限なくポジ像の印画が作れるという利点を活かして、タルボットは1844年には世界初の写真を挿絵に使った『自然の鉛筆』を刊行している。この本の序文でタルポットは以下のように述べている。
最初の職業写真師の一人である上野彦馬は、海軍伝習所でオランダ軍医官ボンベ・フアン・メールデルフォールト(J.L.C.PomPe van meerdervoort、1829−1908)に師事して湿板写真の知識を得た。その後、津藩校有造館で舎密学を教授するとともに、その講義のため1862(文久2)年、原書から訳出した『舎密局必携前編全三巻』を刊行し、第三巻の巻末には「附録 撮形術ポトガラヒー」として湿板写真の技術を中心に解説している。
そして1893(明治26)年には、バートンの斡旋により、ロンドン・カメラクラブから296点に上る作品が招来され、上野公園第三回内国勧業博覧会の旧五号館を会場にして「外国写真展覧会」が開催される。そこにはロビンソン、エマーソン、キヤメロン(julia margaret Cameron )らをはじめとしたイギリスの写真家の作品が展覧され、当時の日本人写真家たちに大きな驚きをもって迎えられたのである。