■異説・国づくりは筑波からと伝わる
イザナギ・イザナミが登場する、江戸時代に出版された本がある。安永8(1778)年に発行された草紙「筑波山名跡誌」である。それには『夫このあめつち山ハ天地ひらきはじまりつるより。東方しんいさき震位にあたり先に成あるい出る山なれバ。或ハ長男山ともか呼峯ハ仮名のいの字のごたなみ そばだちとく二並みに峠。を書ほひのづから陰陽の形勢そのなんたいあり。其西を男体山いぎなぎのみことしづまと称す伊弊諾尊鎮り玉う。東を女体山といぎなミのみことゐま たてまっ号す伊井丹尊座し奉ふ。実に齢パ品郎のはじめ原始なれバ。誰か筑波山神社山に詣でざらん。のうふじょ たうえうた農夫女の田植謳にも。あれ見さひ筑波の山の横雲を。雲の下こもとそ我等か元の親里なりと。関東 たみの百姓久しき世うたひより諷来れり。以下略』(筑波町史資料集より)とある。 地域の人の田植え歌にも登場するなど二神の存在は、広く浸透していた。こうした地方独特の認識も、近代化という名の文化中央集権化や皇国日本推進のなかで希薄となった。 筑波山神社の資料としては、江戸時代に善かれたと思われる「常陸国筑波山縁起」がある。漢文で書かれ神仏習合時代の特徴を持つ文献。要旨が筑波山神社ホームページに掲載されているので引用したい。三 『天地開闘の初、諾冊 (イザナギ・イザナミ) みことのり二尊が天祖の詔をうけて高天原を起ち、天之浮橋に並び立ち給う、天之壕矛(あめのぬばこ)を以って治海をかき探り給えば鉾の先よりしたたり かたま落ちる潮凝って、一つの島となる。即ち二神は東方霊位に当たる海中に筑波山を造り得て降臨し給い、天之御柱を見立て、左旋右旋して東西御座を替え給い、相対面なされて夫婦となり大八洲国及び山河草木を生み給う。次に目神、月 ひるこのみことすさのおのみこと神、蛭児命、素蓋鳴尊を生み八百万神を生 み給う。記紀に伝える 「おのころ島」とは筑波山のことで、この故に筑波山は日本二柱の父母二神、皇子四所降臨御誕生の霊山であり、本朝神道の根元はただ此山にあるのみと伝えている。以下略』と記している。 これら江戸時代の文献も、イザナギ・イザナミの二神が筑波を起点として活躍したと苦から信じられていた状況の証拠となる。その結果、ホツマツタエの信憑性を僅かではあるが高まる事になるだろう。 (続く) 文/いい・のみち 光二益人】とは、数が増し栄 えてゆく人民。(広辞苑より)