その後も赤瀬川は、様々な機会に仲間の芸術家のパフォーマンスに協力したり、出演したりしている。1963年末に草月会席ホールの「SWEET16」で、飯村隆彦の《スグノーン・プレイ》に協力したときは、高松次郎の背中に投影された飯村の《いろ》というフイルムのフレームに治って、高松のジャケットを四角く切り取った。またこの催しでは小杉武久の《マーリカ》にも出演し、扇風機が飛び散らす花びらを舞台上で写真に撮影した。1965年未には、ヨシダ・ヨシエのモダンアート・センター・オブ・ジャパンで開かれた「ミューズ週間」にも参加。ジュラルミン・ケースから、アクアラングを着用した風倉匠が飛び出るイヴェントをおこなった。さらに1966年末、草月会館ホールと京都会館第ニホールで2回にわたって行われた「バイオゴード・プロセス」でも、小杉、風音、中西夏之、川仁宏らとともに、刀根康尚の《Theater Pieace for Computer》に出演している。刀根が2個のランプのオン・オフで繰り出す4パターンの指示にあわせて、演者たちが4通りの動作を行うこのイヴェントで、赤瀬川は袖口の瓶から醤油を垂らしながらアイロンで牛肉を焼き、ホール内を焼肉の臭いで満した。